昨日は次姉、次姉のお嫁さんと息子くん、うちの娘と孫と計6人で中国料理の円卓を囲んでの新年会。
時間に余裕を持って出ようと思っていたのに、出がけにエアメールの年賀状が届いて返信の手紙を書いていたら出発時刻ギリギリに。交通量もそれなりに多かったので約束の時間には
なんとか間に合いましたが、狭い駐車スペースに車を停めるのに一苦労。私が一番遅い到着となり、個室に案内されたときには既に注文した料理が運ばれてくるところでした。
うちの孫娘は中華のターンテーブルは初体験で、最初のうちは文字通り借りてきた猫状態でほとんどしゃべらず。
今検索してみたら、このターンテーブルは日本発祥なんですってね。便利なものを考えたものだなと思いますが、昨日もお料理を取り分けようとしたら誰かが動かしたために目の前から
去ってゆく、ということがありました。私も他の人にそんな思いをさせてしまっているかも。気をつけたいところですね。
昨日次姉のところへはお寺さんが月参りにいらっしゃる日で、時刻も午後1時半あたりだったことから、いつまでもだらだらと食べ続けることもなく切り上げて。義兄にテイクアウトを
持ち帰るという理由もありました。餃子と炒飯でしたが、私たちが食べたものより質素で申し訳なかったな。
義兄の会社、と言っても既に代替わりしているけれど、昨日から仕事始め。そうなると誰かが電話番などで会社に残らなければならないので、昨日は義兄がその役目でお留守番でした。
以前義兄のご両親が住んでいた家の台所でお茶をいただきながらおしゃべり、お寺さんの月参りが終わったあとには次姉のマンションにお邪魔して。孫娘はマンションは初体験で、
まるでモデルルームの見学会のように母親と全部の部屋を見て回っていました。
次姉は私と違って、昔から整理整頓が得意。それにマンションはほぼ寝るだけくらいだし、年に2度は専門業者にクリーニングを依頼しているので、築20年を過ぎているものの
きれいなもの。先月床にワックスをかけてもらったということで、ピカピカでした。う~ん、うらやましい暮らしぶり。
でも今でも古い家に住んでいるせいか、お茶をいただいていた古い家の台所のほうがなんとなく落ち着くんです。長年暮らしてきた生活感が地層のように積み重なって、それが
嫌な感じではなく温もりのようになっているとでもいったような。
そう、ここで思い出す。この前書きかけて消えてしまった記事で書こうとしたのは、その生活感について、でした。
よく暮らしに関する本や雑誌で目につくのが、生活感を消す、とか減らすとかの言葉。
生活感って、そんなに嫌なものでも悪いものでもないような気が、私はするのだけれど。
暮しているのだから生活感があって当たり前で、全くなかったらそれこそモデルルーム。きれいだけれど温もりはあまり感じられないのではないのかな。
いろいろなものがいっぱいあって足の踏み場もない、なんて乱雑な状態ではいけないでしょうけど。
私も前はあれこれやろうとしました。タオルは白、洗剤などの容器もラベルを剥がしたりすっきりしたものに入れ替えようとしたり。
でも今はそういうことをしたいと思わなくなりました。老眼が進んで文字が見えにくいから、洗剤などは売られている容器そのままのほうがわかりやすいし、第一説明書きを読む
必要が出たときに困るもの。
タオルも使う場所で色分けしたり、広告入りのタオルでも品質がよければ使う、と割り切りました。見た目より自分がよければそれでいい。たまに来る人にどんなふうに見られるかより
実際に暮らす自分の気持ちが大事。と言ったら言い訳に聞こえるかな。
まあきれいに整った次姉のマンションの居心地が悪い、とは言いませんが、いくら見晴らしがよくても見えるのは林立するビル。名古屋城も見えるけれど遮るビルでも建ったら隠れて
しまうし、私には豊かな緑や自然が見える方が好ましい。それに8階って、地震の時結構揺れるそうで、しかもエレベーターが止まったらかなり困ることになります。
今にも壊れそうな古家住まいも自分もさることながら、発災後のことも考えるとやっぱり私は地面近くに住んでいたいと思います。洪水の心配のないところに限るけど。