人間が変わってしまった時、必ず環境に原因を求める事ができる。
ここ10年で大きく変わったのは性の環境、食の環境、そして環境とは周りの人間も含んでいる。一人が髪を染めれば、その他大勢も染め始める。
インターネットの普及を考える。仮に国民全員がインターネットにのめり込んだなら、国民の睡眠の質と量が低下する事態に繋がるだろう。睡眠不足に陥れば気力・体力が落ちて精神状態がカリカリし易くなるのは誰もが承知の通り。周りに怒り易い人は増えていませんか?仕事を増やされると激怒する人が増えていませんか?
アスパルテーム-米国国防総省(ペンタゴン)で化学兵器の扱いを受け 微量でも脳腫瘍、胎児の脳障害を引き起こすという物質。何でもないと思われているが国内での消費量は年間180トンに上る。
本来「一事が万事」そう全員で戒め合うべき部分でも、バラバラの国民は「極端だ、神経質だ、何でもない」と国家全体をとらえないのである。飲酒運転の加害者も「飲酒運転くらい何でもない」と思って事故を起こしているに違いないのだが。
10代20代が起こす凶悪犯罪、重大事故の増加は、大人の教育がうまく行かなかった事を示す端緒と言える。全体意識を忘れ次世代の教育という義務を放棄した彼らに、「若い世代は駄目だ」など他人を責める権利があるのだろうか。
学級崩壊を起こしている児童達が成人してどんな社会を築くかは考えずとも分かる。若者が大人を本当に尊敬している社会には振り込め詐欺もオヤジ狩りも起こり得ない犯罪だと思う。結局団結を忘れて困るのは国民全員、そして自分自身ではなかったか。
いま「景気はもういいから治安を何とかしてくれ」という声が政治にあがっている。しかしこれは政治家ではない市民運動によらなけば決して片付かない問題である。我々は全体で「飲酒運転をなくそう」「環境保護運動をしよう」「治安の増進に努めよう」と全体運動を起こすならもう少し幸福な人生と社会を築けると思われるが、大和魂を守り抜く為にしてはいけない事をやり尽くしてしまった感がある。
児童の教師への暴力頻発、昨年度は38%増 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060913it14.htm 2005年度に全国の公立小学校の児童が教師にふるった暴力は、04年度の38%増にあたる464件にのぼったことが13日、文部科学省のまとめで分かった。調査が始まった1997年度以降、200件前後で推移してきたが、03年度から急激な増加傾向となっている。
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