善心が強い=神の怒りを生じやすい これは神・キリスト・人間に共通する性格のようです。 仮にキリストが現在の下界を一望したなら、悪霊と悲劇の蔓延にうんざりするのかもしれません。 「ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまであなたがたに我慢ができようか」(マタイ17章)」 我慢ならぬ耐え難い時代― 「イエス・キリストは優しい人」という認識は正確ではないようです。 優しい 厳しい 悪には辛辣 現代は憤りの絶えない憎らしい時代という事になるのでしょう。 イエス・キリストは「救世主」を自認していながらどこかやる事がいい加減だった。本当に世の中から悪事や紛争を排除しようと考えるなら具体的な教条を信徒へ言い付けるべきだったと思います。しかし残したのは抽象的な例え話でした。 これでは例え話の意味が分からない後世の人間が過ちを山ほど犯す事になりますが、それでもいいと考えていたという事なのです。 紛争や悲劇が起きても仕方ない これは一体何故なのか………ここに「私は剣をもらたす為に来た」というキリストの怖い側面を見る事になります。 |