食と世界

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初期キリスト教の多様性

2012-05-06 21:52:06 | 焚書/解体


数多の偽書を生んだキリスト教の初期にはより多くのキリスト教分派が存在した事が知られている。

乱立するキリスト教集団は自身の教義に沿う正典を独自に護持していた。パウロを"無知"と断じたクレメンス文書も信奉され、パウロの名声も一様ではなかった。初期キリスト教はどんな集団だったのだろうか。



    グノーシス派
グノーシス運動は1~3世紀に東地中海地域で進展した複雑な宗教思想の総体。人間は血肉のみから成る存在ではなく、神と宇宙に関する正しいグノーシス(知識 gnosis:ギリシャ語)を認識する事で天に源がある霊/神性の閃きを呼び覚まされるとする教説。

キリスト教神話を独特の多神教的解釈によって取り込んだため異端とされた。グノーシス的宇宙観によれば旧約の神は破滅的なこの物質世界を創った失敗の神
(悪神)に過ぎず、善なる絶対神・天上界は物質世界の外部に存在すると考えられた。

グノーシス派は
『アダムの黙示録』、『セトの書』、『フィリポ福音書』など多数の偽書を作成した事が報告され(多くは破壊され現存していない)キリスト教集団の正典編纂作業を激化させたと言われている。1945年に46の書から成るグノーシス派のナグ・ハマディ文書が出土して大きなニュースになった。

    マルキオン派
144年頃発生した純パウロ的集団。マルキオンは著書『対立論』の中で残忍な旧約の神とパウロが説くイエスを派遣した慈愛の神は別個の神という考えに帰結した。

聖書(旧約)を破棄、純粋にパウロ化した独自の正典を持ち、大きな勢力となった。新約の文書群が主張をたがえたまま一つに統合された契機は、異端マルキオン派への対抗上と推定されている。四福音書に『マルコ』『マタイ』『ルカ』『ヨハネ』の名が付されたのも恐らくは2世紀後半のことである。

十字架~復活の場面はイエスが苦しんだかどうか(仮現説 - Wikipedia)を巡り異端(マルキオン派やグノーシス派)との論争の場になり、異端対処に苦心した2世紀の正統派教父パピアス、エイレナイオスは興味深い話を残している。彼らの支持する伝承によれば、イエスは30代で若死にせず、初老まで生き人生を全うしたという。

    エビオン派
モーセ律法の施行に拘り、マルキオン派と対照的にパウロを使徒と認めなかったユダヤ律法主義的集団。

原始教会との共通性が多いこの集団をユダヤ戦争(66-70年)後行方をくらましたエルサレム教団の系譜を引く集団だと考える学者もいる。エビオンとはヘブライ語で「貧しい」を意味し、パウロは原始教会を貧しい者達と呼んでいる。死海文書を記したクムラン宗団も自らを貧しい者と称していた。
「ただ、私達が貧しい人達のことを忘れないようにとのことでしたが、これは、ちょうど私も心掛けてきた点です」(ガラテヤ2:10)
イエス派ユダヤ人と消えた「エルサレム教団」


多派に分岐するエビオン派の大まかな教義は
・割礼などモーセ律法の遵守 ・菜食主義 ・財産の共有 ・禁欲主義 ・イエスは人間(模範的ユダヤ教徒)として扱う ・パウロへの拒絶

ほぼユダヤ教徒といえる彼らの正典は主に
『ヘブライ語聖書』、『マタイ福音書』(1~2章(処女降誕伝承)はカットした)、『エビオン人福音書』、『ナザレ人福音書』、『ヘブライ人福音書』

エビオン人福音書のイエスは「過越の子羊をあなた方と食べる気はない」と菜食主義を貫き、洗礼者ヨハネの食事もイナゴ(マルコ1:6)が削除された。この集団は多数派にはならず、4世紀を過ぎる頃には消滅してしまったらしい。


    原始正統派
最終的に新約聖書を構成したのは、競争に勝った一派の文書だった。この宗派の系譜に名を連ねる教父はユスティノス、オリゲネス、エイレナイオス、クレメンス、エウセビオスらである。

現在のキリスト教に繋がったこの一派は、覇権を握るなり自身がキリスト教の誕生時から正統だったと主張した。しかし古い史料を辿れば、この"正統信仰"なるものは必ずしも初期の多数派ではなかった事実が浮かび上がる。教義も論争の末に生まれた、イエスや使徒が語っていない後世の産物を多く抱えているのである。 アタナシオス信条 - Wikipedia

彼らの信仰は必ずしもキリスト教の原型とは言えず、熾烈な戦いの末に、勝利を勝ち取ったに過ぎない。


異端とされたグノーシス派でも、今日のキリスト教の様な低俗な思想ではなかった。キリスト教グノーシスでは復活信仰では救われず、イエスが語る神智を自力で解明する者だけが救済に与ることができる。



“カトリック”(普遍)としてローマ帝国に認められた一派は、ローマ周辺で勢力を保っていた集団だった。またユダヤ的要素を(旧約聖書ですら)廃していたマルキオン派も同じく、西側のローマ周辺で勢力を築いた一派だった。

考えてもみていただきたい。開放的なラテン人に、ユダヤ人の緻密で地下的な世界が理解しうるものだろうかと。
宗教熱心な今の米国人には
モーセ五書十戒はおろか、四福音書さえも言えない人が少なくない。大味な西洋人の民族性に合うのは、叡智と実践を犠牲にしながら一般化されたパウロ思想だけであったのかもしれない。


最近千年間のキリスト教が1億人以上を殺害・奴隷化した事実に鑑みる時、皇帝権威/公会議によって一掃された宗派こそ本物のキリスト教であり、現代まで君臨したのがローマの男神崇拝、女神崇拝の換骨奪胎でしかなかったという結論に異論を差し挟める人はいないだろう。



画像借用元: 聖書の民 横浜金沢みてあるき 白地図、世界地図、日本地図が無料
参考文献: 『キリスト教成立の謎を解く』 バート.D.アーマン著 津守京子訳 柏書房 
 

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コメント (9)
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