宗教とは人間として当然の事を教えるものだと思います。イエスの教えがどれだけ素晴らしい物であろうと全て人間として当然の事です。毎週の礼拝ではゴミの分別方法などを指導してはどうでしょうか。
誰かの為にと思えば昔の日本人は飽食などできなかったのです。人間は道でふらふらしないよう健康に気遣うのではないでしょうか。これが人間として当然の事です。
飽食は必ず誰かに迷惑を掛けます。しかしその相手を認識できない羊の皮を被った狼の集団。世界から戦争をなくす為にあるはずの宗教が安住の道を歩み戦争参加、イエスの人生を無駄にしてきた。キリスト教人口の少なさは悪い木は良い実を実らせないとある通り。神を崇め比較的幸福には生きられるが、「毒麦」なので刈り取りの日には火の炉に捨てられて終わる。聖書の何処を読んでいるのですか?
人殺しや盗みをしておいて 「神よ、私が何か悪い事をしたでしょうか?」 このような者は神を崇めても天国へ行かないと思います。罪の認識がなく、良心への謝罪がないからです。日本の教会は昔からそうでした。
飽食脳以上に怖い「砂糖脳」 甘党に「砂糖は体に悪いから苦くて固いアスパラガスやピーマンを食べよう」、こう進言しても無駄という事が分かりました。短いサイクルで何度も砂糖に手を出してしまう。忍耐力もなく苦い物を喜べない。有益な苦言からすぐに逃げ、真理の受け容れを拒みます。
教会の人間が飽食も甘党もやめていればもう少し早く日本は良くなっていただろう。 悪い物は悪いと言われて当然、日本は甘党だらけになった時が最期です。日本の崩壊は意外と早いのです。10年後かも知れないし、5年後かも知れない。
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狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。 そして、そこから入って行く者が多いのです。 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。 にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。 あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。 ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。 同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。 良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実を ならせることもできません。 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。 こういうわけで、あなたがたは実によって彼らを見分けることができるのです。 わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、 天におられるわたしの父のみこころを行う者がはいるのです。 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。 『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって 悪霊を追い出し、あなたの名によって奇跡をたくさん行ったではありませんか。』 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。 『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れ去れ。』
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