中国語でインターネットは「網」、そして「上網」ということばがある。
「インターネットをする」と日本語にしながら、「ヘンな日本語」と思った。
「テレビをする」なんて言わない。テレビは見るものだから「テレビを見る」。中国語でも「看電視」。
しかしインターネットは「ネットに接続する」「サイトを見る」「サイトに書き込む」「サイトを創る」「通信する」・・・といろいろな動詞が対応するもの。さて、一言で言うには?
中国は「上」を、日本は「する」をあてた。
「上」は「乗る」とか「登場する」という動詞になることばで、「上車」「上場」などと使われるから、「上網シャンワン」はするっと違和感なく生活にはいりこめる。
この勝負、中国の勝ち。勝敗の分かれ目は、インターネットを「網」と自国語で訳語をつくったこと。カタカナ語にするしかできなかった日本語の負け。
(中国には音訳の「因特納」ということばもあります)
かつて「フィロソフィ」とか「エコノミイ」を「哲学」「経済」と翻訳したのは日本で、中国語にそのままとりいれられていった。
いま、日本でカタカナ語の「コンピュータ」は、北京で「電子計算機」、香港で「電脳」と訳され、後者が圧倒していき、日本人もコピーによく使う。
カタカナ語の見直しをしていくなら、中国のすぐれた訳語をどんどんとりいれていく手もある。
電車の乗り降りで言う「乗車」と「下車」、「降車」と言わずに中国語のまま使っているわけだし・・・。
「インターネットをする」と日本語にしながら、「ヘンな日本語」と思った。
「テレビをする」なんて言わない。テレビは見るものだから「テレビを見る」。中国語でも「看電視」。
しかしインターネットは「ネットに接続する」「サイトを見る」「サイトに書き込む」「サイトを創る」「通信する」・・・といろいろな動詞が対応するもの。さて、一言で言うには?
中国は「上」を、日本は「する」をあてた。
「上」は「乗る」とか「登場する」という動詞になることばで、「上車」「上場」などと使われるから、「上網シャンワン」はするっと違和感なく生活にはいりこめる。
この勝負、中国の勝ち。勝敗の分かれ目は、インターネットを「網」と自国語で訳語をつくったこと。カタカナ語にするしかできなかった日本語の負け。
(中国には音訳の「因特納」ということばもあります)
かつて「フィロソフィ」とか「エコノミイ」を「哲学」「経済」と翻訳したのは日本で、中国語にそのままとりいれられていった。
いま、日本でカタカナ語の「コンピュータ」は、北京で「電子計算機」、香港で「電脳」と訳され、後者が圧倒していき、日本人もコピーによく使う。
カタカナ語の見直しをしていくなら、中国のすぐれた訳語をどんどんとりいれていく手もある。
電車の乗り降りで言う「乗車」と「下車」、「降車」と言わずに中国語のまま使っているわけだし・・・。