たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

自然農その2 <『自然農という生き方』>を読みながら

2018-07-07 | 心のやすらぎ・豊かさ

180707 自然農その2 <『自然農という生き方』>を読みながら

 

川口由一さんの自然農については、すでに相当数の書籍が発刊されているようです。今回取り上げる『自然農という生き方』は、文化人類学者で環境運動家で、大学教員でもある辻信一さんとの対談形式で、川口さんの生き方、考え方を自然農というものの意味を明らかにしつつ話されています。

 

辻さんとは20年くらい前に一、二度お会いして話をしたことがありますが、カナダ西海岸のクイーンシャーロット島のハイダ民族などカナダ先住民などの調査研究もされ、カナダでは環境問題の第一人者といってもよいデイビッド・スズキ氏についても詳しい方です。スズキ氏のお嬢さんがたしか12歳で、国連か、あるいはアースサミットで演説して有名になりましたが、カナダではお父さんがとても有名です。

 

話を戻すと、川口さんの自然農法については、以前ブログで取り上げましたので、2回目になるかもしれません。この書籍の発刊が2011年ですが、私はその前頃に川口さんの自然農を学ぶために、彼が全国各地から参加者を受け入れて、農法の解説をしたり、参加者の実施を指導する学びの場、三重県の名張まで出かけていました。また彼の自宅や自宅そばの自分の田畑での研修にも参加して、身近に彼の話を伺うこともしました。

 

2年ほど自然農を実践したものの、仕事が忙しくなったこともあり、自然農による稲作は頓挫してしまいましたが、川口さんの思想はいまなお私の心に生きていて、いつか再びやってみたいと思っています。

 

さて本書では、川口さんの子供時代から化学肥料を大量投与する戦後日本の農家が辿った道を農家の跡取りとして同じ道を歩んでいた時代にも触れています。

 

彼がこういった慣行農法を断念した契機は、芸術家になりたいという気持ちが背景にあったかもしれませんが、体調不調となったことが大きかったと思います。農薬の危険性はレイチェル・カーソンの『沈黙の春』が話題になっても、わが国で問題になったのはかなり後ですね。川口さんは有吉佐和子の『複合汚染』に影響されたそうです。

 

有吉佐和子は和歌山が生んだ偉大な作家ですね。私は和歌山に来てから彼女の著作を読み出したのですが、どれも感銘を受けます。それがどれも多様な視点、立場なのですね。アプローチがとてもおもしろいのです。『日本の島々、昔と今』なんかは漁民の話や島の古書店で見つけた書籍から、どんどん話がひろがっていくのですね。

 

また横道にそれました。川口さんは自然農ということについて、極めて明確な理念を持ち、体系的な理解とともに体験的に取得した知見で、自らの考えを貫こうとされているように思えます。

 

それは類似の農法とは峻別する考えであり、生き方なのです。無肥料・無農薬は基本ですが、さらに農といえば耕作が必須とされている常識を覆し、耕作をしないのです。不耕起なのです。

 

耕作はラテン語では文化の語源といわれていますが、それくらい古代から地球上では耕作することが文化の根源にあり、人間の素養でもあったのかもしれません。しかし、川口さんは、耕作すること、耕すことは生態系の環境を壊すものとしてやりません。

 

耕すことによって土の中に生成している土壌環境、土壌生物といった生態系を壊すというのでしょう。天地返しといった農業の基本とされる耕すことは、昔は人力、さらに馬力あるいは牛力で、現在は機会化で、絶対不可欠なものとして農家であれば当然のこととしてやっています。しかし、彼はやりません。

 

彼が作っている田畑に入ると草も繁茂しています。耕起していないのですから、きっとかちかちになっているのかなと思ったら、意外と柔らかいのですね。土壌生物が人間に邪魔されず、土を豊かにしているのでしょう。

 

対談の一部を引用しましょう。

「現行の農業では、外からいろいろ持ちこまないと食糧を手にできません。肥料、農薬、機械、機械を動かす石油、それらを作り用意するのに必要な資源とエネルギーの消費・・・。あるいは食べものの安全性、大地の荒廃、土の流失、土や水や空気の汚染、ビニール、資材のゴミといった問題を招いています。また、有限にして大切な物を浪費し、地球生命体を損ね破壊し、生命圏を汚染し、そして自然界の秩序を乱し壊して、危険な状況に追いやっています。実って得られるエネルギーから、持ちこむエネルギーを差し引くと、マイナスになる。それが自然界生命界に限りなく多くの返済不可能の負債を増やし続けています。自然農とは、そうした問題を決して起こさない、持続永続を可能ならしめる栽培の仕方です。」

 

環境農業といった考え方も世の中、ある程度浸透してきましたが、エネルギー問題を含め上記で川口さんが指摘する問題に真摯に向き合っているとはいえないと思います。

 

そして農地という土地と環境の問題にとどまらず、人の心身にとっても、その指針を川口さんは言及しています。

「心身の健康は、生きていることの意義の基本となるものです。また生きていくために必要な食べものを自分で育てることによって、生きている基本の喜びがもたらされます。また、たくさんのいのちたちが生かし生かされ、殺し殺され、生まれ死ぬ、いのちの営む姿を目にする田畑での日々から、生きる意味を悟ることになります。」と。

 

生きること、死ぬことの意味も語っています。

「生きものとしての定めをも悟ります。すべては絶対なる定めのなかの生き死にです。生まれるも死ぬも無目的のなかで、親から子へといのちは巡っていく。終わることなくです。四七億年前の地球の誕生も、数百万年数十万年前の人類の誕生も無目的であり、宇宙の存在そのものも、目的なき存在であり、今も明日も無目的です。自然農の田畑にもその姿が現れます。いのち自ずからの無目的の営みのなかで生まれ生かされ、今を生きて、明日に死んでいく。生かされ死なされていくという生命界のゆるぎなき秩序ある営みを知り、「ああ、そうなっているのか、そしてこの私も:・」と気づく。生きている、生かされていることがわかれば、存在そのものの怖れ、虚しさ、悲哀から、生きる意味へ、意義へ、悟りへ、やがては生きる覚悟へ、そして安定、安心へ、さらに喜びへ、感謝の思いへとつながります。」

 

うまく要約できないので、多く引用してしまいました。今日はこの辺でおしまい。また明日。