180721 西日本豪雨考その4 <酷暑、人手不足に拍車 求むボランティア>を読みながら
昨夜もかなり暑かったです。被災地は昼も夜もとりわけ暑さが厳しいでしょう。酷暑に輪をかけるのは水がない電気が来ないなどインフラが復旧していないことですね。さらにいえば、自然の川の流れがあると少しは温度が下がるのですが、それすら土砂で埋まったままのところもあるというのですから、大変さが尋常でないことが想像できます。
被災に遭った人は他に行くところがないし、自分の本拠を取り戻すために、それでも頑張っているのでしょう。それを助けるのがボランティアだと思うのですが、連休中でもさほど多くないですし、平日になるとぐっと減っているというのですね。残念ですね。
では自分がいけばと自分自身に問いかけるのですが、間違いなく足手まといになり、熱中症で救急搬送されるのが落ちではないかと思うのです。体力に多少自信があったのはもう数十年も昔。当地に来て大鎌を使って草刈りをやってきましたが、夏場は早朝4時から1時間か2時間がいいところ、長くて7時か8時まで、それ以降になるととても太陽のエネルギーに抗しきれません。
被災地では、日中、埋まった土砂の運び出しですから、私ならすぐにダウンすることが目に見えています。
ところで、東京オリンピックのマラソン開始時刻を朝8時から7時にしたとかで、酷暑対策と言うことですが、7時、8時では、2時間半近いレース時間を考えれば、あまり大差がないように思います。4時スタートならある程度効果があると思いますが、そうなると交通機関やスタッフなどの体制が整わないのでしょうかね。小池知事は今朝のTV番組で総合的な対策を講じるとのことで、それは是非とも効果のある対策であることを期待したいです。
話が少しずつ横にそれてきましたが、ボランティアという言葉を聞いて、ちょっと古い話を思い出しました。30年くらい前でしたか、第二東京弁護士会が「プロボノ」という制度を設け、会員弁護士に委員会活動などに積極的に参加する仕組みを作ったのです。当時、バブル絶頂期みたいな頃で、たいていの弁護士は業務が忙しいとか、金儲け?やゴルフが忙しいなどで、弁護士会が行っている公益目的の委員会活動などに参加しない人が増えていたのですね。
当時、「プロボノ」活動といってもピンと来ませんでしたが、要は弁護士会活動に参加することを推奨する制度化の一つだったのですね。その頃、東京弁護士会でも、たしか出席率がよければ、皆勤賞みたいな形でなにかカードを交付するようになり、私もいただきました。当時は私は弁護士会オタクみたいで、仕事の半分以上の時間を費やして弁護士会に入り浸りでしたが、別に好きでやっているのでプロボノともボランティアとも、そんな意識は有りませんでした。それに弁護士会以外の公益的な活動もかなり関与していましたので、それを含めると、一体普通の弁護士業務の時間はどのくらいだったのでしょうと思ってしまいます。
このプロボノとボランティアの意義について、ちょっとウィキペディアで調べると、前者は<プロボノ(Pro bono)とは、各分野の専門家が、職業上持っている知識・スキルや経験を活かして社会貢献するボランティア活動全般。また、それに参加する専門家自身[1]。>とのこと。さらに<プロボノとはラテン語で「公共善のために」を意味する pro bono publico の略[2]で、最初は弁護士など法律に携わる職業の人々が無報酬で行う、ボランティアの公益事業あるいは公益の法律家活動を指した。弁護士による無料法律相談、無料弁護活動などが含まれる。現在も弁護士の業界において、もっとも浸透している。>そうなんですね、おそらく第二東京弁護士会が最初に使い出したのではないかと思うのですが、そんなに弁護士の中で広がっているとは知りませんでした!?
ではボランティアについては、英語圏では異なる意味で使っているようですね。<ボランティア(英: volunteer)とは、自らの意志により参加した志願兵のこと。反対語は「強制徴募」。>とあくまで軍人というか兵隊というか、軍事的な意味合いで使われてきたようです。ただ、十分検証できていないようですので、一応の意味としておきましょう。
これに対し、わが国の場合、<日本語の「ボランティア」は日常生活や大災害時における自発的な無償の利他行為をする人、あるいはその行為を指すだけのことばとなっている。>とされています。
私の記憶では、80年代後半に起こったエクソン・バルディーズ号油汚染事故のときに、全米各地や欧州から多くのボランティアが参加して海鳥の救済や油の除去作業に参加したことが大きく取り上げられ、その頃からボランティア参加というのが北米でも話題になるようになった記憶です。
わが国では、上記北米のボランティア参加を取り上げた頃、わが国にはそのような意識があまり育っていないような解説があったように記憶しています。ところが、阪神淡路大震災のときに史上最大規模のボランティアが参加して復旧作業などに携わったことから、それ以降はどこで災害が起こっても、ボランティア参加が自然に生まれてきたかと思います。
さてようやく本題に入ろうかと思います。
今朝の毎日記事<西日本豪雨酷暑、人手不足に拍車 求むボランティア>によると、<
西日本豪雨の被災地では、まだ大勢がボランティアの力を求めている。14~16日の3連休の後、平日にはボランティアの人数は減ったが、この週末は再び増えることが期待される。一方で交通事情の悪い現場を抱える自治体にはボランティアが入りにくく、偏在は続きそうだ。>
重機が入って作業できるところだと、必ずしも人力のボランティアに頼る必要が大きくないと思いますが、今回の被災では、自宅の中が土砂に埋もれてしまう事態になっていますので、畳や家財道具を持ち出したり、床上、床下の泥などを運び出すのは、人海戦術に頼らざるを得ないでしょう。とりわけボランティアの手を借りたいはずです。
ところが<広島、岡山両県社会福祉協議会によると、3連休の中日だった15日は5000人を超えるボランティアが活動したが、17日以降は4分の1程度に減った。>と、最大で5000人、平日だと1200人あまりと、いずれにしてもさほど多いとは思えません。
しかも、寸断された交通事情と酷暑のためボランティア一人が活動できる時間は限られています。
<広島県呉市は、広島市と結ぶJR呉線や高速道路が不通で一般道は渋滞が激しい。市ボランティアセンターは「市外から来てもらって午前9時に受け付けをするには、何時間も前に出発してもらわなければいけない」と説明し、自治会への協力要請など地元住民によるボランティアを重視。連日の猛暑で1回の活動を3時間程度に抑えており、人手不足に拍車をかける。>
<災害ボランティア>の項目をウィキペディアで見ると、過去の災害では多くのボランティア団体が詰めかけて、連携がとれなかったり、主導権争いで一時収拾がつかない事態になったこともあったようですが、今回、それ以前の段階かと思われます。
ところで災害対策基本法はボランティアについて次のように規定しています。
(国及び地方公共団体とボランティアとの連携)
第五条の三 国及び地方公共団体は、ボランティアによる防災活動が災害時において果たす役割の重要性に鑑み、その自主性を尊重しつつ、ボランティアとの連携に努めなければならない。
ここでは、まずボランティアをしっかり認知し、そのうえで災害時の連携を行政に求めています。この制度が生きるには、災害発生以前から、行政がボランティア組織と連携をとるべく体制づくりをしておかないと機能しないと思うのですが、全国的に見てそれができているところは少ないのではないかと思うのです。だいたい、内閣府の防災情報のウェブサイトを見ても、支援するような情報が見当たりません(ざっと見たので見過ごしていたら失礼)。
それは次の8条2項第13号に「ボランティアによる防災活動の環境の整備」と定めているのですから、当然、各自治体は積極的に環境整備しておくべきなのですが、今回の被災道府県内の市町村でこういった対策を講じていたところはどのくらいあるのでしょう。今後、検討してもらいたいものです。
第八条 2 国及び地方公共団体は、災害の発生を予防し、又は災害の拡大を防止するため、特に次に掲げる事項の実施に努めなければならない。
十三 自主防災組織の育成、ボランティアによる防災活動の環境の整備、過去の災害から得られた教訓を伝承する活動の支援その他国民の自発的な防災活動の促進に関する事項
こういった行政の対応と異なり、事業者側にも検討してもらいたいと思うのです。たしかボランティア休暇といった制度を設けた企業が以前、紹介されていたことがあったと思います。事業者側はより積極的にボランティア活動を支援する仕組みを用意することを検討してもらいたいと思うのです。それでこそCSR(corporate social responsibility)を果たしたと言えるのではないでしょうか。
それは、社員の採用、労働条件、給与など全般において、ボランティア活動を評価するシステムもあるでしょう。あるいは企業自体としてどうボランティア活動にどう取り組んでいるかを評価するシステムもあってよいと思います。さらに取引先企業がそのような視点から取引の開始、継続などに影響するような仕組みもあるでしょう。
それにはボランティア参加を認識・評価する受け入れ側のシステムも必要になるでしょうが、簡易なプログラムを作っておけば、さほど難しいことではないように思うのです。むろんプライバシー保護への配慮が必要ですが、それこそ行政が支援する仕組みづくりをしておくことかと思うのです。
思いつきでいろいろ書きましたが、ボランティアは自主的・主体的であって、別に評価されることを期待して行うものではない、そこに神髄があるのかもしれません。でも被災地の現状を見ていると、制度的な手当も検討していいのではと思うのです。
これにておしまい。また明日。