180715 鉄道の旅 <関口知宏の鉄道の旅>を見ながら
俳優・関口知宏の鉄道の旅、平日の午前6時から1時間毎日放送していますが、これがなかなか面白いのです。私には母親の西田佐知子さんのイメージ(といっても顔の方はすっかり忘却の彼方ですが、アカシアの雨にうたれては忘れがたい歌です)と外見はともかくなにかもっていると感じる好青年で(再放送ですから、もう中年の域に近づいている?)、魅力を感じています。
いずれも再放送ですが、中国の旅は38,000km?でしたか、広大な中国を鉄道で一筆書きで走り抜ける壮大な旅でした。母親の清楚なイメージと、父親の柔軟で誠実な感じ、さらに祖父の堅物みたいなイメージをいくら足してもダブりそうにない、キャラですが、いいものをなにかもっているように思うのです。
だいたい、中国という多民族で多様な文化程度の中をどんどん入っていって、なんとか気持ちを通じ合うようになるのですから、なかなかです。彼が中国の鉄道に乗ったのは10数年くらい前でしょうか、車掌さんや駅員のかなりサービスというものが板についていましたね。私が最初に乗ったのは25年くらい前でしたから、乗車客に対するサービスという意識がほとんどなかったですね。
それはともかく、彼は大きな都市、小さな村、いろんなところで都会の中、村の中を歩き回り、畑で作業している人と会話をしては家に連れて行ってもらったりして、家族と食卓を一緒にしたりします。私が訪ねたボルネオの先住民の集落に比べれば、まだ文明化されていますが、それでも日本の戦前を思い浮かべるようなところもありました。
智宏さんは母親の遺伝子でしょうか、歌唱力もあり、自然に中国の旅の中で詩をつくり中国の楽器で曲を奏でるのです。さすがですね。
作画力もなかなかで、ちょっとした情景を活写して、乗客の注意を惹いたりしています。歩き方が少し変わっていることから、女性みたいと子供にからかわれたりする場面もありました。そういったこともあまり気にしないようです。だいたい髪がぼさぼさのように見受けるのですが、学生ならまだしも、俳優にしてはどうかと思ったり、祖父や父親のダンディズムとも異なるセンスをもっているのかもしれません。それも中国、そして現在放映されているヨーロッパ編でも、人懐っこさを感じさせるのかもしれません。
さて大国・中国の旅を終えたと思ったら(再放送ですから別に旅が連続している分けではありませんが)、こんどはヨーロッパの小国ばかりを旅することになりました。最初のオランダから、ベルギー、オーストリア、いまはチェコになっています。
それぞれ1000kmから2000kmまでくらいの短い距離ですが、それでも変化があって、とても面白いですね。ベルギーでは3カ国語とか当たり前で、5カ国くらい話すことができる人がいるというのはよくいわれますが、実際のところは、地域によってフランス語圏とかオランダ語圏とかに分かれているようで、もっぱらその圏内ではその言語が話されるようです。むろん多言語を自由に話せる人も多いことは確かでしょうけど、それがすべてとか、当たり前とまでは言えないのかもしれません。
ヨーロッパの旅で目につくのは、やはり自転車をそのまま電車に乗り入れでき車内に置くことができることですね。私は20年以上前、マウンテンバイクをやっていましたが、いまもそうでしょうけど、当時自転車をもってそのまま電車に乗ることは想定外でした。それで折りたたみ式のものを購入して、遠出して電車に乗るときは、折りたたみ専用の袋に入れて担いで乗っていました。折りたたみ式だけなので、やはり選択肢が狭くなりますね。
それに比べ、ヨーロッパではどこでも自転車道路が走っていますし、電車の中に乗り入れ自由で、自転車大国ですね。健康志向と車フリーなんでしょう。ここは見習ってもいいのではと思うのですが、なかなか進みません。
話は変わりますが、ザルツブルクでは智宏さんはモーツアルトの生家を訪ねました。私は関心があまりなかったので(その音楽はすばらしいと思うのですが、生家にはまったく関心がわかない)、素通りして、岩塩でザルツブルクを反映させた方が作ったお城を拝見しましたが、智宏さんはさすがに生家を訪ね、しかも普段は解放していない特別の部屋に入り、モーツアルトが好んだコーヒー漉し?を見せてもらいました。飲んだのでしたか?忘れてしまいましたが、モーツアルトが作曲づくりのとき、10杯近く飲んでいたとかという話もありました。そうなんですね、天才もコーヒーの力を借りていた、失礼、その香りで少し休んでいたのでしょうか。
ウィーンではウィーンナーコーヒー?を出す本格的なお店に座って飲んでいましたね。そこは私も経験したような記憶がありますが、その先がまったく違いました。隣に座った人が自宅を案内するということになり、20分くらい車を走らせていった自宅は、なんとお城同然でしたね。すごい屋敷で、こういう不思議な体験はNHKも一役買っているのでしょうか。
ところで、こういった小国の旅ですが、車窓から見ることのできる風景は、日本と大きく異なっています。一つは、大規模農地です。国がいかに小さくても一区画の農地はおそらく1ha以上かるくある感じです。よくわが国の農家の平均的な農地規模が0.5haとか1haとか(ちょっと記憶がはっきりしません)の数字がだされることがありますが、それは名寄せ帳などで寄せ集めた農家一軒の所有面積です。しかし、農家が実際に耕作している一区画は大きいところで10~30アールくらいでしょう。小さい区画だと、数アールから5アール程度はどこでも普通に見られます。それが入り乱れて、散在しているところが、零細分散錯圃という日本特有の耕作方式ではないかと思うのです。
ただ、東日本や圃場整備が進んだところでは、大規模化が相当できていると思いますが、旧来の方式はいまだ多くの地方で残っていると思います。
それは平坦地の多いオランダだけでなく、山林の多いオーストリアでも同じでした。山林でいえば、オーストリアの山林(取材では残念ながらここにまで足を伸ばす余裕がなかったのでしょう)は遠景で見る限り、傾斜角度もきつく、日本の山林とそう大きな違いを感じない印象でした。それでもオーストリアの林業の生産性が高いのは、長い時間をかけて生産環境整備したことによるのかもしれません。
そろそろ時間となりました。今日はこれにておしまい。また明日。