180729 大量殺傷事件と司法 <村上春樹氏 寄稿 胸の中の鈍いおもり 事件終わっていない>などを読みながら
昨夜は逆走台風が東方から東海、近畿、さらには中四国に向かうというので、めずらしく雨戸を閉めて寝ました。最近、眠る前はまだ嵐の前の静けさ状態でした。すぐ眠りについてしまいましたが、夜半、ガタゴトという音でぼんやりした状態でやってきたなと思いつつ、それほどひどい轟音でもないので、再び熟睡となりました。
今朝薄明かりの中、静けさと野鳥の鳴き声で目が覚めました。雨戸を開けると、高野の峰々が鮮明に見えています。もう台風が遠ざかったな、結構早かったなと思ったのです。台風一過、やはり空気が澄んでいるのでしょうか、日の光に照らされた屋根瓦の黒と蔵の白壁がツートンカラーで一帯の和風建築群がとてもすてきに見えました。
雨に濡れたプラスチックカバーから毎日新聞朝刊を取り出し、ひょいと目に飛んできたのが<村上春樹氏寄稿 胸の中の鈍いおもり 事件終わっていない オウム13人死刑執行>でした。オウム事件の死刑囚の執行では毎日のように報道されていましたが、私自身は地下鉄サリン事件やその逮捕事件当時、海外に滞在していて、ほとんど情報を身近に感じていませんでした。帰国後裁判が始まっても当時は刑事事件をまったくやっていなかったこともあり、知り合いがTVに頻繁に出演してたようですが、TVもほとんど見ていませんでしたので、自分が関わっている事件処理で他に目をやる余裕がなかったのかもしれません。
ただ、90年代後半の坂本堤弁護士家族事件に不審を抱いたり、オウムの選挙運動の奇怪さに、単なるバブル世相の反映と言えない不安を覚えていたことは確かです。それでも日本を離れると、ほとんど日本の情報が入ってこなかった時代、日本のことに関心を抱く状況になかったことも確かです。
死刑執行に関わりさまざまな報道がありましたが、ぼんやりと見ていました。そういえば地下鉄サリン事件の被害者の遺族の方がその都度記者会見で、その心の奥にある深い悲しみを押し隠すかのように、淡々と発言している場面からは、この間の裁判および執行という司法の役割は、国民の期待に応えたものであったのか、問われているようにも感じました。隣に知り合いのNさんが座っていましたが、私がたまたま見たニュースでは発言は報道されていませんでした。被害者弁護団事務局長であったように記憶していますが、被害者遺族の発言こそ重視されるべきとの立場だったのでしょうか。
弁護士にとっては、被害者および亡くなった場合の遺族の立場にたったときと、他方で、日弁連を筆頭に各地の弁護士会、弁護士の多くが死刑反対の決議を長年繰り返してきていることとの関係で、難しい判断を求められるのかもしれません。私も微妙な心の揺れを感じます。そんなとき、村上春樹氏は、自己の立場とこのオウム事件死刑執行という事件経過について、日本を代表する小説家として、また現代を生きる知識人、あるいは人間として、悩みを抱いた寄稿文を発表したのですから、これは取り上げたいです。
記事では<1995年の地下鉄サリン事件に衝撃を受けた村上さんは、被害者や遺族へのインタビューを著作にまとめ、裁判の傍聴を重ねるなど、深い関心を寄せ続けてきた。「胸の中の鈍いおもり」と題する寄稿で、刑の執行への複雑な思い、裁判での印象、残された課題について率直につづっている。>と紹介しています。
村上氏は死刑制度反対の立場です。
<一般的なことをいえば、僕は死刑制度そのものに反対する立場をとっている。人を殺すのは重い罪だし、当然その罪は償われなくてはならない。しかし人が人を殺すのと、体制=制度が人を殺すのとでは、その意味あいは根本的に異なってくるはずだ。そして死が究極の償いの形であるという考え方は、世界的な視野から見て、もはやコンセンサスでなくなりつつある。また冤罪(えんざい)事件の数の驚くべき多さは、現今の司法システムが過ちを犯す可能性を--技術的にせよ原理的にせよ--排除しきれないことを示している。そういう意味では死刑は、文字通り致死的な危険性を含んだ制度であると言ってもいいだろう。>
他方で、この事件は違うというのです。
<「アンダーグラウンド」という本を書く過程で、丸一年かけて地下鉄サリン・ガスの被害者や、亡くなられた方の遺族をインタビューし、その人々の味わわれた悲しみや苦しみ、感じておられる怒りを実際に目の前にしてきた僕としては、「私は死刑制度には反対です」とは、少なくともこの件に関しては、簡単には公言できないでいる。「この犯人はとても赦(ゆる)すことができない。一刻も早く死刑を執行してほしい」という一部遺族の気持ちは、痛いほど伝わってくる。その事件に遭遇することによってとても多くの人々が--多少の差こそあれ--人生の進路を変えられてしまったのだ。有形無形、様々(さまざま)な意味合いにおいてもう元には戻れないと感じておられる方も少なからずおられるはずだ。>
ただ、遺族のインタビューを通じて本を書くことを通して、自分の何かが変化したという村上氏、その遺族の気持ち次第で、司法判断が変わっていいのかとも問いかけるのです。
<そのように「遺族感情」で一人の人間の命が左右されるというのは、果たして公正なことだろうか? 僕としてはその部分がどうしても割り切れないでいる。みなさんはどのようにお考えになるだろう?>
村上氏は、冷血で残酷な犯行を行ったオウム真理教信者の裁判を傍聴して、その彼らを知ろうとするのです。<とくに林泰男(元死刑囚)の裁判には関心があったので、そちらを主にフォローした。>しかし、その心の奥にある真意には到底届かなかったようです。
そして村上氏が裁判当事者に対して、痛烈な言葉を発していることに注目したいと思います。
<正直に申し上げて、地裁にあっても高裁にあっても、唖然(あぜん)とさせられたり、鼻白んだりする光景がときとして見受けられた。弁護士にしても検事にしても裁判官にしても、「この人は世間的常識がいささか欠落しているのではないか」と驚かされるような人物を見かけることもあった。「こんな裁判にかけられて裁かれるのなら、罪なんて絶対におかせない」と妙に実感したりもした。>
これは私も人ごとではなく、自省を促されているように思うのです。ただ、一人の裁判官が村上氏の目にもほっとする姿勢、言動、そして判決であったようです。
<担当裁判官であった木村烈氏がとても公正に、丁寧に審理を運営しておられたことだ。最初から「実行犯は死刑、運転手役は無期」というガイドラインが暗黙のうちに定められている状況で(林郁夫=受刑者・無期懲役確定=という例外はあったものの)、審理を進めていくのにはいろんな困難が伴ったと思うのだが、傍聴しながら「この人になら死刑判決を出されても、仕方ないと諦められるのではないか」と感じてしまうことさえあった。>
そして<判決文も要を得て、静謐(せいひつ)な人の情に溢れたものだった。>というのです。
見方によるかと思いますが、おそらくどの裁判官が担当しても大変な事件だったと思います。弁護士については、ある弁護人はさまざまな脅迫があり、私が事務所の別の弁護士と仕事をしていてそこを訪れると、大変な防犯装置をつけていました。むろん、法廷ではしっかり弁護を行うのが当然ですので、かりに村上氏やあるいは一般の傍聴者から、世間的常識を欠落しているのではと思われることがあっても、それが弁護の必要上やむを得なければ、後日なんらかの形で説明するのが望ましいのではと思うのです。
それにしても事件は、死刑判決と確定で厳粛な結論がくだり、そして死刑執行により事件が終局するかのように思える節があります。
その点、村上氏は
<今回の死刑執行によって、オウム関連の事件が終結したわけではないということだ。もしそこに「これを事件の幕引きにしよう」という何かしらの意図が働いていたとしたら、あるいはこれを好機ととらえて死刑という制度をより恒常的なものにしようという思惑があったとしたら、それは間違ったことであり、そのような戦略の存在は決して許されるべきではない。>
そして最後に
<我々は彼らの死を踏まえ、その今は亡き生命の重みを感じながら、「不幸かつ不運」の意味をもう一度深く考えなおしてみるべきだろう。>と。
村上氏の言葉は含蓄に満ちています。実は村上文学を一度も読んだことがありません。いつか「アンダーグラウンド」を読んで見ようかと思います。
最後になりましたが、今週の本棚の書評<渡辺保・評 『言葉の魂の哲学』=古田徹也・著>では、言葉の選択という、人にとって最も本質的な部分で、倫理性が問われること、そこにその人の生存価値があるということを感じさせてくれました。
それは
<カール・クラウス・・・が言葉の選択を唱え、「倫理」を唱えたのは、言葉を選択するという行為の核心こそ「倫理」だと考えたからに他ならない。「倫理」・・・は人間の行動の規範というべきものであって、言葉を選ぶという行為は人間の存在の根本だからである。言葉を選ぶ時の人間は、その「場」を相対化し、そのなかで自分にどの言葉がピッタリくるかどうかという判断に責任をもたなければならない。>というのです。
そして最近、言葉が力をなくし、張り子の虎のように情けない状態にあると感じます。その点、筆者は
<「自分でもよく分っていない言葉を振り回して、自分や他人を煙に巻いてはならない。出来合いの言葉、中身のない常套句で(言葉への)迷いを手っ取り早くやりすごして、思考を停止してはならない」>と警告するのです。
今日はこれにておしまい。また明日。