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絵画鑑賞記「第55回光陽展・広島展」(14)

2007-07-14 13:15:25 | 怒素人的美術蘊蓄録
<添付画像>:第55回光陽会出展作品、『北の駅』・・


<作品の紹介>

作品番号: 55
作者氏名: 高 野 元 孝 (会員)
作品題名: 『北の駅(青森駅)』
住  所:  埼 玉


 キャンバス全体のほとんどの部分を、黒と白のモノトーンで表現された非常に印象深い絵画である。

 この画面を見た瞬間、凍てつく「厳寒の荒野」の真っ只中に迷い込んだイメージなのだった。 時間は、夜明け寸前か?はたまた早い北国の夕暮れ時か? いや、間違いなく夜明け前である!!!

 この絵画鑑賞中の「この風景」は、操業廃止した鉱山の採掘場に想えたり、なにやら操業廃止して久しい工事現場にも想えた。 少なくとも工場ならば、それなりの屋根がある。 屋根があれば、工場跡地内部に圧雪滞るはずもないから、絵画の中の「この情景を」ずいぶん奇妙に感じた。

 しかし、展覧会場を離れた後、こうして画像に収めたものを改めて見直せば、「青森駅」と題してあるではないか、、、。

 一度も、実際に見たことのない青森駅。 本州最北端の終着駅。 在りし日の青函連絡船の乗り換え場所。 青森を謳った「歌謡曲」、あるいは映画「八甲田山雪中行軍」など、冬場の厳しい寒さの中のセンチメンタル、はたまたノスタルジックなイメージから、幻想的に青森駅を想像するとなると、さて大変だ、、、。
 この絵画からは、上述のようなイメージは一切沸き起こらず、我輩にして何故か、第二次世界大戦終了後間もない頃のヨーロッパ東部戦線のロシア軍とドイツ軍との市街戦戦場となった工場跡地、すなわち非日本的雰囲気の漂う東欧風の工場廃墟の一部分に感じてならない。

 知識不足のまま敢えて申上げれば、たぶん、キャンバス上部には「大型陸橋」描かれ、多くの鉄道利用者は、これを通って青森駅から青函連絡船に乗り換える、本州と北海道を結ぶ「乗り換え場所」、すなわち本州と北海道の「架け橋」を象徴するものであるか。 だからこそ「青森駅の青森駅たる所以」、此処にあるか。と、考える。 この大型陸橋、青森駅をご存知の方には直ぐに理解できるであろうけれど、青森駅を知らない鑑賞者には、これは単なる「廃墟の屋根の一部」に見えて仕方ない。
 もっと遠方から眺めたイメージを描写し、もっと陸橋たる姿を判り易く、否、陸橋を強調して描いて頂くと、もっとインパクトの強い作品になりえたのではなかろうか!
 陸橋を陸橋と解かるよう描かれていれば、つまり、陸橋の上にわずかながらでも夜明け前の夜空を描かれるとか? ならば、陸橋を通してさらに前方の「夜明け前」の空からわずかに射し込む光源から反射し発生する「雪明り」は、いっそう明確になる。 明確になれば、キャンバスに描かれている「雪の白色の強弱」も、鑑賞者にとっては、よりリーズナブルに受け止めうること可能となったのではあるまいか、、、。

 あるいは差し出がましいけれど、まずは「題目・北の駅」を払拭し、まったく駅とは関係のない「包括的イメージ」を連想させる抽象的題目を題され、逆に「北の駅・青森」を連想させ得る工夫を凝らして頂きたかった、、、。

  

 <・続く・・



* 連載中第55回・光陽展」出展絵画鑑賞感想記事の(前回掲載記事)へは、こちらから戻れます・・

* 「光陽会」公式ホームページは、こちらから・・

* 出典・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』:
 青森駅(あおもりえき)は、青森県青森市柳川一丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅。 本州最北のターミナル駅である。奥羽本線・東北本線の終点で、かつ北海道へ向かう津軽線(津軽海峡線)の起点でもある。(詳しくは、こちらから入れます)