<添付画像>:第55回光陽会出展作品、『おまもり』・・
<作品の紹介>
作品番号: 13
作者氏名: 竹 村 貴美子 (委員)
作品題名: 『おまもり』
住 所: 東 京
この作品の構図、なぜか気に入り画面全体のバランスは調和し、落ち着き在って素晴しい。
この作品、目を凝らせば凝らすほどに、どうやら我輩の目に映るものあり。 これ、時節は紅葉最中の晩秋、時は闇夜、森の中、、、。 木々は紅葉し、枯葉になりかかる一歩前、枝に留まり周囲を観察している「ふくろう」の子供達を描かれているようだ、、、。 なぜか、作品題名「おまもり」の意味まで解明できない、我輩の貧して鈍する感性をお許しいただきたい。 (題意解明までにはもう一年掛かるであろうか? それとも、読者のどなたかにお教えを請いたい!・・・)
漆黒の背景に置かれた「色彩の逐一」に個性あり、なぜか特殊に美しい。
もって、絵具塗布にて表現された色彩には思えないほどの鮮やかさと、微細な中間色も合わせ表現されているから驚いた、、、。
すでに先日申し上げたとおり、第55回「光陽展・広島展」には都合2回足を運んだ。 昨年は気付かなかったけれど、今年は「新たな発見」あり・・・
そう、新たな発見とは、
A)「油彩絵具」により描かれた絵画のみならず、
B)「そめもの(染色)」にて仕上げられた作品も、多数存在していること。
以上、同一展覧会の会場にて展示されていたことに気付いたのである。
そして本日記事冒頭にご紹介した竹村貴美子氏の作品、題して「おまもり」! 「これは絵筆による絵画」ではない。
すなわち「染物」なのである。
まず、我輩のような「ど素人」の眼識によれば、絵筆により描かれた絵画なのか、染料により「染め抜かれた」染物の作品なのか?全く見分けつかず、かろうじて作品の下部に表示されている葉書大の「名札?」により『染』と紹介されているから、かろうじて染物作品である。という、認識は可能となる。
これまた先にご紹介した広島ご在住の「光陽会会員・KMさん」とお会いした際、ご質問し、ご案内頂いた一節をご紹介したい。
(第55回光陽展KMさん作品は、こちらから入れます・・)
「一見したところ、どれが油彩絵画でどれが染色作品なのか見分けが付きません・・・」
等と、我輩ご質問すれば、、、
即座にKMさんお答え下さり、
「そう、染色部門はたいへん優秀にて貴重な作品ばかりです。 我々油彩画家として、染色ご専門の作家さまたちには敬服しています。 芸術的感性はもちろんのこと、加えて職人技的技能なければ『成し得ない』高度な技術と化学的研究なくしては、成し得ない作品ばかりなのです!・・・」
な、なるほど・・・
我輩、あらためて想うに、そもそも芸術家たるもの全員、それぞれの作品を創作する以前から、「完成品」をイメージされた上で挑まれる空想夢想且つ想像的な創造物を創作されるわけである。
であるからして、染色の場合、染め上げる以前の絵具に相当する染料の色彩は、染め上げた後の「結果的色彩」とは多いに異なるはず。 加えて、染色する対象物や染色にかける時間の違い、染色作業を開始した時点の季節気候及び温度湿度によって、同じ染色顔料を使用しても「染め上がった時の色彩」に違いが出てくるのではないか? 染め上げる時、どんな液体(水質?)を使用するのか? 硬水か軟水か? Phは? 酸性なのかアルカリ性か? イオンはどうなるか? その時の液体(水)の温度は如何?
等々、計算に加えなければならぬ要素は、まだ足りないのか? 足りないであろう!
あれやこれや次々と、我輩のようなド素人にして、なぜか染色作品完成までのありとあらゆる「心配の種」を連想空想してしまう。 こうして感想文書きながら週末の朝っぱらから気が遠くなりつつも、ふと気を取り直し、あらためて「染色作品」の素晴しさに魅了されるのである。
他にも、すばらしい染色作品あります。 ご紹介します、、、。
<・続く・・>
* 連載中第55回・光陽展」出展絵画鑑賞感想記事の(前回掲載記事)へは、こちらから戻れます・・
* 「光陽会」公式ホームページは、こちらから・・
----------------------------------------------
<付記>:(ウイキペディアより引用)
『染 色』出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
染色(せんしょく)とは、布、革など繊維質に色素を吸着、結合させることである。 染め方で大きくは浸染系と捺染系に分けられる。
生物学の研究技術としての染色は染色 (生物学)を見よ。
種類
浸染系(無地染め) 糸染 反染 製品染
引染系(無地染めおよび柄染め) 反染
捺染系(柄染め) 直接捺染 抜染 防染
* 「久しぶりの独り言的愚痴」=(染色の事! 「言葉の上」では理解できても、なにがなんだか解りまへん。 完全にお手上げです!)
<作品の紹介>
作品番号: 13
作者氏名: 竹 村 貴美子 (委員)
作品題名: 『おまもり』
住 所: 東 京
この作品の構図、なぜか気に入り画面全体のバランスは調和し、落ち着き在って素晴しい。
この作品、目を凝らせば凝らすほどに、どうやら我輩の目に映るものあり。 これ、時節は紅葉最中の晩秋、時は闇夜、森の中、、、。 木々は紅葉し、枯葉になりかかる一歩前、枝に留まり周囲を観察している「ふくろう」の子供達を描かれているようだ、、、。 なぜか、作品題名「おまもり」の意味まで解明できない、我輩の貧して鈍する感性をお許しいただきたい。 (題意解明までにはもう一年掛かるであろうか? それとも、読者のどなたかにお教えを請いたい!・・・)
漆黒の背景に置かれた「色彩の逐一」に個性あり、なぜか特殊に美しい。
もって、絵具塗布にて表現された色彩には思えないほどの鮮やかさと、微細な中間色も合わせ表現されているから驚いた、、、。
すでに先日申し上げたとおり、第55回「光陽展・広島展」には都合2回足を運んだ。 昨年は気付かなかったけれど、今年は「新たな発見」あり・・・
そう、新たな発見とは、
A)「油彩絵具」により描かれた絵画のみならず、
B)「そめもの(染色)」にて仕上げられた作品も、多数存在していること。
以上、同一展覧会の会場にて展示されていたことに気付いたのである。
そして本日記事冒頭にご紹介した竹村貴美子氏の作品、題して「おまもり」! 「これは絵筆による絵画」ではない。
すなわち「染物」なのである。
まず、我輩のような「ど素人」の眼識によれば、絵筆により描かれた絵画なのか、染料により「染め抜かれた」染物の作品なのか?全く見分けつかず、かろうじて作品の下部に表示されている葉書大の「名札?」により『染』と紹介されているから、かろうじて染物作品である。という、認識は可能となる。
これまた先にご紹介した広島ご在住の「光陽会会員・KMさん」とお会いした際、ご質問し、ご案内頂いた一節をご紹介したい。
(第55回光陽展KMさん作品は、こちらから入れます・・)
「一見したところ、どれが油彩絵画でどれが染色作品なのか見分けが付きません・・・」
等と、我輩ご質問すれば、、、
即座にKMさんお答え下さり、
「そう、染色部門はたいへん優秀にて貴重な作品ばかりです。 我々油彩画家として、染色ご専門の作家さまたちには敬服しています。 芸術的感性はもちろんのこと、加えて職人技的技能なければ『成し得ない』高度な技術と化学的研究なくしては、成し得ない作品ばかりなのです!・・・」
な、なるほど・・・
我輩、あらためて想うに、そもそも芸術家たるもの全員、それぞれの作品を創作する以前から、「完成品」をイメージされた上で挑まれる空想夢想且つ想像的な創造物を創作されるわけである。
であるからして、染色の場合、染め上げる以前の絵具に相当する染料の色彩は、染め上げた後の「結果的色彩」とは多いに異なるはず。 加えて、染色する対象物や染色にかける時間の違い、染色作業を開始した時点の季節気候及び温度湿度によって、同じ染色顔料を使用しても「染め上がった時の色彩」に違いが出てくるのではないか? 染め上げる時、どんな液体(水質?)を使用するのか? 硬水か軟水か? Phは? 酸性なのかアルカリ性か? イオンはどうなるか? その時の液体(水)の温度は如何?
等々、計算に加えなければならぬ要素は、まだ足りないのか? 足りないであろう!
あれやこれや次々と、我輩のようなド素人にして、なぜか染色作品完成までのありとあらゆる「心配の種」を連想空想してしまう。 こうして感想文書きながら週末の朝っぱらから気が遠くなりつつも、ふと気を取り直し、あらためて「染色作品」の素晴しさに魅了されるのである。
他にも、すばらしい染色作品あります。 ご紹介します、、、。
<・続く・・>
* 連載中第55回・光陽展」出展絵画鑑賞感想記事の(前回掲載記事)へは、こちらから戻れます・・
* 「光陽会」公式ホームページは、こちらから・・
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<付記>:(ウイキペディアより引用)
『染 色』出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
染色(せんしょく)とは、布、革など繊維質に色素を吸着、結合させることである。 染め方で大きくは浸染系と捺染系に分けられる。
生物学の研究技術としての染色は染色 (生物学)を見よ。
種類
浸染系(無地染め) 糸染 反染 製品染
引染系(無地染めおよび柄染め) 反染
捺染系(柄染め) 直接捺染 抜染 防染
* 「久しぶりの独り言的愚痴」=(染色の事! 「言葉の上」では理解できても、なにがなんだか解りまへん。 完全にお手上げです!)