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産経抄(ルクソール熱気球墜落事件のこと)

2013-02-28 12:32:05 | 教養・文化・歴史
<産経抄切り抜き>
 月日:平成25年2月28日


 各マスコミはこの一両日、海外ツアー中の事故(エジブト・ルクソール)が大きく報道されている。
 最近何故か、すなわち自民党が政権を取り戻して以降、少し寝ぼけた書き方をする産経抄だが、本日は其れなりの気合いかかり、メリハリのある書き進め方なので切取った。
 そして、
 何度も云うけれど、海外旅行中は、いつもの日本人の常識が当てはまらないから覚悟しておいたほうがいい。


― 産経抄 ― (2013.2.28)

 昭和46年から翌年にかけて、NHKで放映され名作の呼び声が高い時代劇『天下御免』は映像のほとんどが失われている。確か、史実では獄死したはずの平賀源内が、熱気球で日本を脱出する場面で終わったはずだ ▼実は『平賀源内』という本には、源内が長崎でオランダ人から気球を買い上げ、江戸に持って帰ったという記述がある。さすがにこれは、眉唾ものらしい。モンゴルフィエ兄弟が、フランスの小さな町で世界で初めて無人の気球を飛ばしたのは1783年、源内の死から4年も経っている ▼同じ年には早くも有人飛行が実現した。以来、世界中で数え切れないほどの熱気球が空を舞ってきた。手軽な乗り物になったがゆえの、油断があったのだろうか ▼古代エジプトの遺跡が多く集まる観光地ルクソールで、遊覧飛行していた熱気球が上空で爆発、炎上し、2組の日本人夫婦を含む観光客19人がなくなった。世界遺産に指定された遺跡群を、空から眺める人気ツアーだが、地元ではしばしばトラブルが伝えられてきたという ▼ルクソールと言えば選挙197年10月に起きた惨劇の記憶が蘇(よみがえ)る。イスラム過激派の襲撃によって、日本人10人を含む外国人観光客が60人以上が命を失った。小欄は事件の翌日、現場となったハトシェプスト王女葬祭殿に駆けつけている。壁にはまだ血痕が生々しく残っていた。にもかかわらず、平常通り観光客を受け入れた、政府の決定に強い違和感を覚えたものだ。 ▼源内が思いこがれた海の向こうの国々に、今の日本人はたやすく足を運ぶ。ただし、人命尊重、安全第一という日本では当たり前の理屈が通らない地域が少なくないと、覚悟しておいた方がいい。


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