(from Wikipedia's "James Bond" Web-Site)
この画像、ボンドフアンなら、全員ご存知のシーン!
あえて説明すれば、ボンド映画には必ず出てくる最初の字幕が終わってストーリーに入っていく繋ぎのカットである。
正面の丸枠の中の人物は、諜報部員007ジェームスボンドという設定であろう。周囲の螺旋は、まぎれもなく拳銃の銃身内のライフル(螺旋)を意味する。となればこの拳銃は敵方の持つ拳銃の銃身であり、敵方はボンドを狙ったものの「返り討ち」にあい、拳銃の銃身は赤く血に染まり、あえなくボンドの銃弾に倒れる。といった意味合いがある。分かりきっている事柄であるけれども、解らない読者(女性読者?年少男性読者?)のために解説する。
ナヌ?
(女性読者の少ないエセ男爵Blogには、あまり意味のない解説か?)
この画面。
敵方の持つ拳銃の銃身の中から狙った『目線』で描かれた、面白い発想である。この発想、我輩にとっては奇想天外にしてかけがえのない「粋(ダンディズム」を感じるものであり、この画像あえて冒頭に掲載した事、ご承知於き願いたい。
本日の本論に入る。
ダンディズムを語るに際し、イアンフレミングの小説「ジェームス・ボンド」なる架空の人物、すなわち英国諜報部員の物語は外せない。
60年代後半から70年代にかけて一世を風靡した映画「007ジェームス・ボンド」リーズを語らずして、Sirショーンコネリーは語れない。
Sir Sean Connery は1930年の生まれ。
ボンド役初演、ドクターNOの撮影は32歳。Diamonds Are Forever (1971)出演のとき、すでに41歳。
Never Say Never Again (1983 unofficial)に至れば、53歳である。
作品の中のジェームスボンドは歳をとらないが、ショーン卿は歳をとるから同じ役者の役柄には、おのずと限界がある。この年齢にして一度、映画俳優としての限界と迷いを感じたはず。筈でなくて実際そうだった、らしい。しかしこの後、「ポスト・ボンド(ボンド以後の役柄)」として再起。ボンド役以後のショーン卿「第3?の人生」がおとずれる。こここらあたりが、Sirショーンコネリーの「男」としての素晴らしさである。
ショーン卿の最初のボンド役は、32歳?
ウイキペディのア年譜によれば(He first appeared as agent 007 in Dr. No (1962) and subsequently played Bond in several sequels.
From Russia with Love (1963)
Goldfinger (1964)
Thunderball (1965)
You Only Live Twice (1967)
Diamonds Are Forever (1971)
Never Say Never Again (1983 unofficial)
等と、、、
これ以後、ボンド役を引き受けることは不可能となった。
しかし、大半の作品は30代前半から40代。男の花が開き円熟する年代時代をボンド役で通した。うらやましいというか、(うらやましがっても始まらないが)男冥利に尽きる役柄を、ショーン卿自ら堪能したのではなかろうか。すでにショーン卿自身、何をやっても形になる男、ダンディズムを地でいっている男。すなわち、ショーン卿の持つ本来の姿、立ち居振る舞いを、そっくりそのまま演技にぶつけても「様(さま)」になったはず、、、。
さて、
なにが、どこが、ボンド役ショーン卿のダンディズムなのか?
については、次回にゆずる。
なにしろ、もう一回、「007ジェームスボンド」を記事にするからその時に「語り」たい。
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さて、
シリーズ中、我輩の個人的見解による最高傑作は、やはり「ロシアより愛を込めて」である。それから、確かショーンコネリー演ずるボンド役の初回作品「ドクターNO」もよい。
ソ連KGB女性諜報部員の役を演ずる『初老のオバちゃん』の女優がすばらしい。物語の最期までボンドを追い詰め、一件落着と思いきや、隠し持った最期の武器(靴の先に短剣が飛び出す)を以ってして、ホテルの部屋の中にいたボンドを蹴りまくる。滑稽にして恐ろしいシーンを演じきっている名脇役の中年女優の印象が強く残っている。ストーリー展開は、このシリーズの中でも1~2位にランクされる面白い展開が「ロシアより愛を込めて」である。もちろんもちろん、映画主題歌(主題曲)『フローム・ラッシャ・ウイズ・ラヴ=from Russia with Love』、なにしろよく聞いた。
いかにも、ロシア風の哀調ただようブルース調のメロディー、「パンチ・力」あるリズム感の凄み等々、迫力あるBGMの芸術性完成度も高く、歴史に残る名曲である。そして、日本でも良く流行った。今尚、夜の巷に繰り出して、仲間と一杯やって「ご機嫌」になれば、この歌をカラオケで歌う馬鹿シニアがいる。(その実、この名曲、声質的にぴったりくるエルヴィスプレスリーにでも歌わせてやりたい。晩年のエルヴィスには、良い持ち歌が巡ってこなく、"エルヴィスらしさ"を活かし切る新曲が生まれなかった。でも、もうこの世にいないから「わかなわぬ話」、お願いしても不可能だ・・・)
ボンドガール役のドイツ系(人)女優「アーシュラ・アンドレス」が好い。軽快なカリプソソングをBGMに、ベージュ色のセパレート水着姿にマリンナイフを腰に下げ、真っ白な海辺から登場する。化粧化は全くなく、ついぞ飾り気のない金髪女性のイメージは野性味溢れ、欧州人種(おそらく彼女はゲルマン系?)独特の野蛮にして凶暴な「凄み」を露わにし、且つ妖艶にして端麗であった。当時の日本人男性金髪フアンを魅了したに違いない。なぜかその後の映画界に姿を現さないから、ここいらが何故か好ましい。
あえて欲を云えば、そして今となれば、当時の日焼けしたアーシュラではなく、白人独特の透き通るような「肌の白い状態」の彼女を見ておきたかった。
(ダンディズムから外れた趣旨になるか?この議論、ここいらで止めておこう・・・)
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<以下、ウイキペディア百科事典より、引用>
"JAMES BOND"
Connery in Never Say Never AgainConnery is well known to audiences around the world for his role as James Bond. He first appeared as agent 007 in Dr. No (1962) and subsequently played Bond in several sequels.
From Russia with Love (1963)
Goldfinger (1964)
Thunderball (1965)
You Only Live Twice (1967)
Diamonds Are Forever (1971)
Never Say Never Again (1983 unofficial)
Connery was discovered by Harry Saltzman after numerous names as possible contenders for Bond were thrown or ruled out, including Roger Moore, David Niven, Cary Grant, and many others. Ian Fleming, the creator of James Bond pays tribute to Connery in his 1963 novel, On Her Majesty's Secret Service by stating that 007's surname as well as his father, was Scottish. Ironically, Fleming reportedly did not like the casting of Connery on the grounds that the stocky, 6'2" Scotsman was too "unrefined", but with some tutelage from director Terence Young, Connery won Fleming over. Young helped to smooth over Connery's rough and tumble edges while utilizing his imposing physicality yet amazingly graceful, cat like movements during action sequences.
Connery's favorite Bond was From Russia with Love, one of the most critically acclaimed films in the series. He confirmed it in a 2002 interview with Sam Donaldson for ABCNews.com. (American Movie Classics erroneously listed Thunderball as Connery's favorite during its recent Bond retrospectives.)
In 1967 Connery quit the role of Bond, having grown tired of the repetitive plots, lack of character development and the general public's demands on him and his privacy (as well as fearing typecasting), which led to Albert R. Broccoli hiring George Lazenby to continue the film franchise in 1969's On Her Majesty's Secret Service. After the film's release, however, Lazenby backed out of a seven film contract. Broccoli again asked Connery to return to the role and paid him $1.25 million plus 12.5% of the film's profits, or about $6 million total to do so, at the time the highest salary of any actor. Connery returned one final official time in 1971's Diamonds Are Forever, quitting the role shortly after release.
Due to, and at the height of an ongoing legal battle between Broccoli's EON Productions and Kevin McClory (co-writer of Thunderball), McClory was allowed to create a remake of Thunderball after a 10 year span after the release of Thunderball. In the late 1970s McClory teamed with Connery to write an original James Bond film. The project never got off the ground due to further lawsuits brought about by United Artists; however, in 1983 Connery teamed with McClory again to play the role of secret agent James Bond 007 for the seventh and final time in the unofficial film and remake Never Say Never Again. The title of the film has long believed to have derived from Connery's comments after the release of Diamonds Are Forever who after filming it, claimed he would never play James Bond again. (For the legal battle see the controversy of Thunderball)
Connery returned to the role once more in 2005, providing the voice and likeness of James Bond for the video game adaptation of From Russia with Love.
Over 40 years since he first played the role, Connery is still widely regarded as the definitive cinematic incarnation of James Bond, despite credible interpretations of the character by the likes of Roger Moore, Pierce Brosnan, and what many believe to be a more authentic literary performance by Timothy Dalton. Connery's own feelings on Bond in interviews has run the gamut from bitter resentment to great fondness. At one point he joked he hated Bond so much that he'd have killed him, but he has also stated that he never hated Bond, he merely wanted to pursue other roles.Certainly,when Bondmania was at it's peak in the mid-1960's,his association with the 007 image was so intense that fine performances in his non-Bond films,such as Alfred Hitchcock's Marnie,and Sidney Lumet's The Hill, were being virtually ignored at the time. When asked if he'd ever escape the identification, he replied "It's with me till I go in the box." (coffin) At another point, he stated that he still cared about the future of the character and franchise, having been associated with the icon for too long not to care, and that all Bond films had their good points.
この画像、ボンドフアンなら、全員ご存知のシーン!
あえて説明すれば、ボンド映画には必ず出てくる最初の字幕が終わってストーリーに入っていく繋ぎのカットである。
正面の丸枠の中の人物は、諜報部員007ジェームスボンドという設定であろう。周囲の螺旋は、まぎれもなく拳銃の銃身内のライフル(螺旋)を意味する。となればこの拳銃は敵方の持つ拳銃の銃身であり、敵方はボンドを狙ったものの「返り討ち」にあい、拳銃の銃身は赤く血に染まり、あえなくボンドの銃弾に倒れる。といった意味合いがある。分かりきっている事柄であるけれども、解らない読者(女性読者?年少男性読者?)のために解説する。
ナヌ?
(女性読者の少ないエセ男爵Blogには、あまり意味のない解説か?)
この画面。
敵方の持つ拳銃の銃身の中から狙った『目線』で描かれた、面白い発想である。この発想、我輩にとっては奇想天外にしてかけがえのない「粋(ダンディズム」を感じるものであり、この画像あえて冒頭に掲載した事、ご承知於き願いたい。
本日の本論に入る。
ダンディズムを語るに際し、イアンフレミングの小説「ジェームス・ボンド」なる架空の人物、すなわち英国諜報部員の物語は外せない。
60年代後半から70年代にかけて一世を風靡した映画「007ジェームス・ボンド」リーズを語らずして、Sirショーンコネリーは語れない。
Sir Sean Connery は1930年の生まれ。
ボンド役初演、ドクターNOの撮影は32歳。Diamonds Are Forever (1971)出演のとき、すでに41歳。
Never Say Never Again (1983 unofficial)に至れば、53歳である。
作品の中のジェームスボンドは歳をとらないが、ショーン卿は歳をとるから同じ役者の役柄には、おのずと限界がある。この年齢にして一度、映画俳優としての限界と迷いを感じたはず。筈でなくて実際そうだった、らしい。しかしこの後、「ポスト・ボンド(ボンド以後の役柄)」として再起。ボンド役以後のショーン卿「第3?の人生」がおとずれる。こここらあたりが、Sirショーンコネリーの「男」としての素晴らしさである。
ショーン卿の最初のボンド役は、32歳?
ウイキペディのア年譜によれば(He first appeared as agent 007 in Dr. No (1962) and subsequently played Bond in several sequels.
From Russia with Love (1963)
Goldfinger (1964)
Thunderball (1965)
You Only Live Twice (1967)
Diamonds Are Forever (1971)
Never Say Never Again (1983 unofficial)
等と、、、
これ以後、ボンド役を引き受けることは不可能となった。
しかし、大半の作品は30代前半から40代。男の花が開き円熟する年代時代をボンド役で通した。うらやましいというか、(うらやましがっても始まらないが)男冥利に尽きる役柄を、ショーン卿自ら堪能したのではなかろうか。すでにショーン卿自身、何をやっても形になる男、ダンディズムを地でいっている男。すなわち、ショーン卿の持つ本来の姿、立ち居振る舞いを、そっくりそのまま演技にぶつけても「様(さま)」になったはず、、、。
さて、
なにが、どこが、ボンド役ショーン卿のダンディズムなのか?
については、次回にゆずる。
なにしろ、もう一回、「007ジェームスボンド」を記事にするからその時に「語り」たい。
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さて、
シリーズ中、我輩の個人的見解による最高傑作は、やはり「ロシアより愛を込めて」である。それから、確かショーンコネリー演ずるボンド役の初回作品「ドクターNO」もよい。
ロシアより愛をこめて〈特別編〉20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパンこのアイテムの詳細を見る |
ソ連KGB女性諜報部員の役を演ずる『初老のオバちゃん』の女優がすばらしい。物語の最期までボンドを追い詰め、一件落着と思いきや、隠し持った最期の武器(靴の先に短剣が飛び出す)を以ってして、ホテルの部屋の中にいたボンドを蹴りまくる。滑稽にして恐ろしいシーンを演じきっている名脇役の中年女優の印象が強く残っている。ストーリー展開は、このシリーズの中でも1~2位にランクされる面白い展開が「ロシアより愛を込めて」である。もちろんもちろん、映画主題歌(主題曲)『フローム・ラッシャ・ウイズ・ラヴ=from Russia with Love』、なにしろよく聞いた。
いかにも、ロシア風の哀調ただようブルース調のメロディー、「パンチ・力」あるリズム感の凄み等々、迫力あるBGMの芸術性完成度も高く、歴史に残る名曲である。そして、日本でも良く流行った。今尚、夜の巷に繰り出して、仲間と一杯やって「ご機嫌」になれば、この歌をカラオケで歌う馬鹿シニアがいる。(その実、この名曲、声質的にぴったりくるエルヴィスプレスリーにでも歌わせてやりたい。晩年のエルヴィスには、良い持ち歌が巡ってこなく、"エルヴィスらしさ"を活かし切る新曲が生まれなかった。でも、もうこの世にいないから「わかなわぬ話」、お願いしても不可能だ・・・)
007 ドクター・ノオ 特別編20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパンこのアイテムの詳細を見る |
ボンドガール役のドイツ系(人)女優「アーシュラ・アンドレス」が好い。軽快なカリプソソングをBGMに、ベージュ色のセパレート水着姿にマリンナイフを腰に下げ、真っ白な海辺から登場する。化粧化は全くなく、ついぞ飾り気のない金髪女性のイメージは野性味溢れ、欧州人種(おそらく彼女はゲルマン系?)独特の野蛮にして凶暴な「凄み」を露わにし、且つ妖艶にして端麗であった。当時の日本人男性金髪フアンを魅了したに違いない。なぜかその後の映画界に姿を現さないから、ここいらが何故か好ましい。
あえて欲を云えば、そして今となれば、当時の日焼けしたアーシュラではなく、白人独特の透き通るような「肌の白い状態」の彼女を見ておきたかった。
(ダンディズムから外れた趣旨になるか?この議論、ここいらで止めておこう・・・)
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<以下、ウイキペディア百科事典より、引用>
"JAMES BOND"
Connery in Never Say Never AgainConnery is well known to audiences around the world for his role as James Bond. He first appeared as agent 007 in Dr. No (1962) and subsequently played Bond in several sequels.
From Russia with Love (1963)
Goldfinger (1964)
Thunderball (1965)
You Only Live Twice (1967)
Diamonds Are Forever (1971)
Never Say Never Again (1983 unofficial)
Connery was discovered by Harry Saltzman after numerous names as possible contenders for Bond were thrown or ruled out, including Roger Moore, David Niven, Cary Grant, and many others. Ian Fleming, the creator of James Bond pays tribute to Connery in his 1963 novel, On Her Majesty's Secret Service by stating that 007's surname as well as his father, was Scottish. Ironically, Fleming reportedly did not like the casting of Connery on the grounds that the stocky, 6'2" Scotsman was too "unrefined", but with some tutelage from director Terence Young, Connery won Fleming over. Young helped to smooth over Connery's rough and tumble edges while utilizing his imposing physicality yet amazingly graceful, cat like movements during action sequences.
Connery's favorite Bond was From Russia with Love, one of the most critically acclaimed films in the series. He confirmed it in a 2002 interview with Sam Donaldson for ABCNews.com. (American Movie Classics erroneously listed Thunderball as Connery's favorite during its recent Bond retrospectives.)
In 1967 Connery quit the role of Bond, having grown tired of the repetitive plots, lack of character development and the general public's demands on him and his privacy (as well as fearing typecasting), which led to Albert R. Broccoli hiring George Lazenby to continue the film franchise in 1969's On Her Majesty's Secret Service. After the film's release, however, Lazenby backed out of a seven film contract. Broccoli again asked Connery to return to the role and paid him $1.25 million plus 12.5% of the film's profits, or about $6 million total to do so, at the time the highest salary of any actor. Connery returned one final official time in 1971's Diamonds Are Forever, quitting the role shortly after release.
Due to, and at the height of an ongoing legal battle between Broccoli's EON Productions and Kevin McClory (co-writer of Thunderball), McClory was allowed to create a remake of Thunderball after a 10 year span after the release of Thunderball. In the late 1970s McClory teamed with Connery to write an original James Bond film. The project never got off the ground due to further lawsuits brought about by United Artists; however, in 1983 Connery teamed with McClory again to play the role of secret agent James Bond 007 for the seventh and final time in the unofficial film and remake Never Say Never Again. The title of the film has long believed to have derived from Connery's comments after the release of Diamonds Are Forever who after filming it, claimed he would never play James Bond again. (For the legal battle see the controversy of Thunderball)
Connery returned to the role once more in 2005, providing the voice and likeness of James Bond for the video game adaptation of From Russia with Love.
Over 40 years since he first played the role, Connery is still widely regarded as the definitive cinematic incarnation of James Bond, despite credible interpretations of the character by the likes of Roger Moore, Pierce Brosnan, and what many believe to be a more authentic literary performance by Timothy Dalton. Connery's own feelings on Bond in interviews has run the gamut from bitter resentment to great fondness. At one point he joked he hated Bond so much that he'd have killed him, but he has also stated that he never hated Bond, he merely wanted to pursue other roles.Certainly,when Bondmania was at it's peak in the mid-1960's,his association with the 007 image was so intense that fine performances in his non-Bond films,such as Alfred Hitchcock's Marnie,and Sidney Lumet's The Hill, were being virtually ignored at the time. When asked if he'd ever escape the identification, he replied "It's with me till I go in the box." (coffin) At another point, he stated that he still cared about the future of the character and franchise, having been associated with the icon for too long not to care, and that all Bond films had their good points.
ボンド役は色んな人がやっていますが、ショーンコネリーのはまり役ですね。
他の人がやるのは何故か違和感があります。
これから出掛けるので、、、、
何かに付けて『遅れている』落ちこぼれの「街」なのです。
ですから、衛星放送とユウセンTVを引いているのですが、これも如何にもローカルで、貧弱です。
次回で述べますが、過去のボンド役は Sir Sean Connery 以外の男優では演じ切れていません。どうしても比較してしまうのですね~。
お出かけ!
どうぞどうぞ、ごゆっくり週末をお楽しみ下さい!
(ちょっと、うらやましいなあ~)
さて、
本日ようやくBlog記事更新終えましたので、今日もまた地道にセッセと本業に取り掛かります。
(砂を噛むような、はたまた血反吐く一歩手前まで「やらない」と、ダメだそうですので、まさに苦行です。最初は遊びのつもりであったものが(他の人の「同業」はよくわからないけれども)、今の私には「遊び」とは程遠くなってしまい、とんでもなく苦行荒修行以外のナニモノでもないのでして、、、。
いい歳して「この路線」を選んだ自分自身、なぜか、因果なものです・・・
これは凄い事ですね。
名女優でも20歳の役を40歳で演じるのは厳しいでしょう。
それともショーンコネリーがジェームスをも成長させいるのでしょうか。
一昨日にダンディズムとは人生の積み重ねと称し言ってる事がづれるかもしれませんがショーンコネリーは30代で既にダンディズムを持っていたのではないでしょうか。
ダンディズムに年齢はないですよね。
ショーン卿。
彼は高卒?そして、すでに10代で社会人・・・
その後の経歴からして、はやくも32歳で十分なダンディズムを心得ていたと思います。
また、(おそらく、たぶん)ボンド映画の制作関係者の指導によって、彼のLooksのみならず心身ともに「ボンド役」として英国流な「粋」の極意を教わった筈。このプロセスで、彼自身をして真剣に、且つ信念を持って人様(ひとさま他人さま)のアドヴァイスに耳を傾ける素直な人物ではなかったか、、、。と、思います。
このあたり、TSさんから、私自身の「記事投稿」のアドヴァイスを頂いた心境です。
ありがとうございます。
さて、
女性の場合、(語るの、難しいなあ~・・・)
若い女性(女優)が(自分の年齢よりも)年寄り役を演ずることは可能。
男優も同じだと思います。しかし、年取ってからの若い役柄を演じるのは、至難の業だと思います。女性は、年齢を隠せません。今年のNHK大河ドラマで、年齢よりも年下の役柄を演ずる大女優、多々あり。しかし、最期まで出演しないでしょうし、最期は年寄りや苦になるはずだから、観る方も、演技する女優さんの方も、ここは我慢のしどころかな・・・)
しかし、(体形と、顔の皺さえクリアーできれば)男性は一歳とっても(ある程度の)「若い役柄」はこなせると思います。
典型は、
高倉健さんですよ。
「八甲田山」の大尉役は、すでに彼の年齢を越えた役柄ですが、見事に演じ切っています。男も女も、役者は、精進して体形を整えること、さらに、(役者として)若くて張りのある「表情」を演じれるよう「顔の筋肉」を鍛えなければ為らないはずで、大変な作業だと思います。
こうしてコメントかいてますと、何だか私自身一端(いっぱし)の演出家になったような気がします。
*おっと、自己満足は許せません、気を付けなければいけません・・・
多弁、お許し下さい。