世界大戦、そう呼ばれる戦争が始まってから、もう少しで100年。
尖閣諸島沖で起きた問題から、軍事費拡大とTVの中で討論されているのを聞いて、思わず昔の戦争が起きる前の状況を想像した。
もし再び戦争が起きるなら、これは人間がもつ哀れな宿命だ。
人間の免疫には、『病原菌』を記憶する能力がある。
それと同じように、深い想いも記憶され、次の、また次の世代の身体の中に受け継がれる。
女性が子供を生み、育てる、
子供が母親の御乳を飲む、
男は戦う、
潜在的能力。。。
そして、憎しみや妬みも同じ。
人間はその記憶と共に知恵を授かった。
お金、権力、武器、これらを持つ事。
しかし、その知恵は生きる事にも、子孫を残す事にも深く関わらない。
ただ、『良い面』と『悪い面』の幅を拡大させているだけ。
『興奮』という一瞬で終わる快楽に惑わされ、それが夢だと追い続ける。
1箇所にお金、権力、そして武器が集まると、やがてそれが不安定になり、勝手に暴走する。
ちょっと話がそれるけど、人口元素を思い出す。。。
元素の電子の数が大きいほど、力が強くなる。
その元素から電子を引き離すと、エネルギーが数倍も強くなる。。
そして、不安定になり、勝手に暴走する。
自然界に存在しない元素を作り出し、そして脅威にさらされる。
核兵器や生物化学兵器。 これらも止まることなく開発が進む。
そしてお金があればそれが自由自在に手に入る。
人間の為という名目で脅威にさらされないという保障は無い。
必ず両方とも兼ねそろえたものと認識しなくちゃいけないんだ。
その事を考えるとノーベル賞はもしかしたらノーベル症かもしれない。。。
終わりの見えない開発合戦。 ノーベル症候群という病状ではない?
"I Robot"、筑波大学の山海教授はロボットは人の為にという信念で軍事兵器に使用されないように努めている姿勢だ。 私が彼にノーベル賞を与えたい。。。
私も哀れな人間だ。
もしかしたら、人間達はお互いの『究極的な衝突』によって終止符をうつ結末になっているのかもしれないと思えるのだから。。。
つづく。。。