この1ヶ月は、週1回ペースで何らかの形でワールドカフェに参加しています。
企画側だったり、サポートだったり、ご招待いただいたり。
でも、やっぱりご招待の時が、1番好きだなぁ。
ここ4回のうち2回はシニア・ミドル世代の方が多いワールドカフェでした。
若い方とのワールドカフェも刺激的ですが、上の世代の皆さんの豊かな経験や教養から教わることも
やっぱり多くて終わった後もリフレクションが続きます。
八丁堀の水辺で立ち止まってちょっと考えてみたことをメモとして残します。
昨日のテーマ「次世代へつなぎたいこと」
以下、あくまで自分で考えたこと。
日本は、昭和5年から80年かけて人口を倍増させ、70年かけて人口が半減する。
この時代を中心に生きていく人が、何を残してほしいかと探求することは、もちろん今を生きる私たちの力にもなる。
そして、私たちの寿命はますます長くなり、この時代を一緒に生きていく時間も長くなり、ますます共有することが
つながる力になるんだろうなと感じました。
日本の食文化、宗教への信仰心、対話、自然環境、宮大工の技術、精神性(ざっくりまとめますが)・・・
残したいものは、どれもこれも「ですよね~」と思うことが上がってきていましたが、
もしかして、下の世代の中には、すでに私たち以上に自分たちの意思で大事にしている人たちもいるんじゃないかと
と感じたりもしました。
個人的に
「つないでいきたいこと」として私に降りてきたのは、「
武力なき世界貢献」でした。
人口減少社会を生きる若者たちには、武力と違う形で世界とつながり続けてほしいなと思うのです。
そして、つなぎたくないことは「
自然や生命を脅かす科学技術」でした。
日本は、脅かさないテクノロジーを輸出することもできる国です。
未だ確固たる制御力が見つからない原子力発電。
左脳レベルで「審査」してGOサインは出ても、本当は心の底では「嫌悪」って感情や身体の感覚ないでしょうか。
福島やチェルノブイリの苦悩を見て、繰り返しちゃダメって深いところでは思ってないでしょうか?
右脳が「おかしいよ」と思っていることを左脳をこねくり回して結局「しかたない」「大丈夫」とかいう言葉で
ピリオドを打ち、経済性・効率性重視で発達させてきたテクノロジーを後の世代に押し付けるのは止めようよと思います。
今、このことについて、参政権を持たない世代に代わって我々は何らかの意思決定に関わる立場にあります。
そういう「ダメなものはダメ」と言える判断力や発言力もつなげていかなくてはならないのかもしれません。
そんなことが私の中で立ち上がってきました。
ワールドカフェって、「決めない会議」と言われ、企業内で行うと
「で、結局何に役に立つの?」「何の意味があるの?」みたいに言われることもあるのですが、
ざっくりした意図はあろうとも、どう役立てるか、何に意味を見いだすかは、任されている部分が多々あり、
その場から一人一人アウトプットは違っていても、主体的に何かを立ち上げて行く、立ち上がって行くことに
意味があるんじゃないかなと個人的には思っています。
社会構成主義
複雑に絡み簡単に解決できない問題が多くなった時代、予測ができないことが起きてしまう時代、
まだ見ぬ人口減少社会をどうやって生きて行くか
各自の過去の経験(遠い過去・近い過去)をところどころ持ち込みながら、各自が感じたことを
言葉を通して、タイムリーに発信したり受信したりして社会を作って行く時代になっていることを感じます。
言葉が未来を作る、ホントそうだな。
それから、昨日は、ワールドカフェの達人(達人なのはそれだけでないない)の香取一昭さんがメインホストの会でした。
そのたたずまいに触れられたことも幸運でした。
対話の場をセットする時に、必要なことをたくさんお手本として教えてくださっています。
香取さんが伝播させている穏やかな波動の中でこそ得られた、昨日の自分の洞察だったなと思いました。
別のワールドカフェでの洞察では、今後のUターンして故郷で活動することに迷いがなくなる力強いものになりました。
自分の未来もこうして出来上がっていくんだなと思った翌朝のリフレクションです。
ありがとうございました(拝)