日本でリメイクされた映画の元ネタだよ、ということで視聴いたしました。
だいたい韓国ものを日本版リメイクして面白かった試しがないからな。
本家本元を観よ、ということで。
〈あらすじ〉
人を目で見るだけで思いのままに操る能力を持った男(カン・ドンウォン)。
金を盗みに入った質屋で、偶然自分の力がおよばないギュナム(コ・ス)に出会う。
動揺した男は、質屋店主を殺してしまい、
ギュナムに仇と追われることになった。
果たして男はギュナムを倒すことができるのだろうか?
という映画なのですが……
思てたんと違う!
この映画観たほとんどの人がそう叫んだと思いますよ。
「超能力者」ってタイトルにだまされてるね。
そりゃ男の能力は超能力だけどね。
「幻魔大戦」とか「AKIRA」とは全然ちがうテイストの映画だからね。
頭脳戦とか……ないです。
超能力を疑いつつ、科学的捜査をする警察の介入も……ないです。
丁寧な謎解き……も一切ナッシング!
どん、どん、どん!と体力勝負で押してくるコ・スくんの活躍をお楽しみください。
楽しい仲間もいるしね!
カン・ドンウォンも良かったよ!
わたし的には、「五福星」とか「キャノンボール」を想起してしまった。
どうでしょうか?
爽快感には欠けるし、結構グロいし、アレなんですが……。
これ以上はネタバレなしで話すのが難しいので、
以下、ばりばりとネタバレしながら続きます。
まだ観てない人はここで終了してね。
観てからお話しましょう、ぜひ。
この映画を観る前に、日本のリメイク版の情報がちょっと入ってきたんですよ。
元ネタでは最後まで隠されていた秘密が日本版では早々に明らかになっている、と。
それはタイトルの「MONSTERZ」であり、複数形(Zだけど)であるということは……?
なんてね。
ということで、実はほんのりネタバレしつつの鑑賞だったのですよ。
だがしかし!コ・ス(ギュナム)の秘密なんて、早々にあきらかになっとるがな!
「誕生日おめでと~兄貴~」
「ありがとな、お前ら」
バーン!
目が点になったわ!
あの吹っ飛び方に思わず吹いてしまったあと、
彼が生きていたことに正直驚きを隠せませんでしたよ。
これは……フツーじゃないでしょ、いくらなんでも。
そして死んだ質屋社長の霊とお話できたというギュナム……。
あんだけ怪我してても、瀕死の社長を見てストレッチャーから飛び起きるギュナム。
おまえやっぱフツーじゃないよ。
驚異的な回復力だと看護婦が噂してたよ~という肉付けもあり、
中盤にどぶどぶ血を流しても動けてたり、観ている方はなんとなく理解。
それよりなにより、最後まで秘密だったのは
「なぜギュナムだけは操作できないのか?」ってことじゃぁねえですかい?
驚異の回復力のため、操作できなかった、ってことなんですかい?
そこになんの因果関係も見いだせないおいらはどうすればいいんですかい?
最後の最後、ドンくんがギュナムに「なぜだかわかった」と言うのですが、
えっ?何でなの?と聞き返すまもなく、ドンくんは死んでしまいました。
もうわたしもふたりと一緒に空中に投げ出された気分。
しかし、すべてを説明してしまう昨今の物語事情にはうんざりしているので、
こんなくらいの終わり方がいいのかも。
ギュナムに超能力がきかない理由はよくわかんない。
超能力者に超能力は効かない、なんて法則はないもんね。
そもそも超能力自体が科学的説明を拒んでいるものだし。
でもドンくんの気持ちはちょっとわかる気がするの。
ああ、お前に俺の力が及ばないのは、
俺を殺してもらうためだったんだなぁ……。
ドンくんてば、そんな風に思ったのじゃないかしら。ぐすん。
てな具合に感傷に浸れるほど甘い映画じゃないところが、気に入ってるんですよね~。
冒頭の、自ら首をねじ切って死ぬ暴力父さん。
どぶりどぶりとマンホールの汚水急流に落とし込まれて死んでいく刑事たち。
ばったばったと階下に落ちて死んでゆく人々……。
そういうえげつない映像がですね、
ああドンくん、意味深な発言はもういいんだ、お願いだから死んでくれ、
という殺伐とした気分を誘発してくれます。
もちろん、さすがのドンくんも母親だけは殺せない。
無理心中しようとした母親から逃げて20年。
こんな体に生みやがって、と恨んだこともあったけど、
自分の子どもを殺そうとしやがって、と憎んだこともあったけど、
最後はお母さんのところに戻ってきてしまうドンくん……。
ドンくんだってかわいそう……
じゃねーから!
「お前さえ追いかけてこなきゃ、人がたくさん死なずにすんだんだ」
っていうドンくん理論にうなずいてしまいそうになりますが、
そうじゃねーから!
あんたの殺し、質屋の社長が初めてってわけじゃないじゃん。
親父をしっかり殺してる。
母親をまいて逃げ出した後、無垢に生きてきたわけじゃないでしょうが。
もちろん、このへん推測です。
このバランスがね、この映画の好きなところですね。
ドンくんの風貌がとても良い。球体関節人形みたい。
無情に人を殺す男のシーンと、
人質としてつれ歩く女性の肩に、ふと頭をもたせかける男のシーン。
この非道と情の塩梅がちょうどいいな、と。
観る側が、男への嫌悪と憐れみを半々ずつ持てるようなバランスの演出がね、好きです。
登場人物の背景は、ほとんど描かれてない映画じゃないですか。
ドンくんとギュナムが出会ってからは、えんえんふたりが戦い続けており、
流れをぶったぎるような無粋な回想シーンがはさまれたりはしませんのよ。
だから、ドンくんがどんな風に世間と折り合ってきたか、とか、
どんなに孤独に生きてきたか、とか、
そういうバックグラウンドは視聴者の想像に任されてる。
ギュナムに関してもまたしかり。
そーゆーの、適当に想像してっ!ヒントは描いてるからっ!
たたかいだけやるからっ!という作り手の割り切りがいさぎよいな、と。
映画がはじまっていきなりギュナムに楽しい仲間がいるってわかって、
(いい意味で)思ってたんと違う!と感じたのも面白かったです。
やたら韓国語がうまいガーナ人とトルコ人のお友達がすごく良かった。
あ~、孤独な超能力者同士のたたかいじゃないんだ、
片方は仲間がいて、おもしろ道具とか発明しちゃってけっこうコミカルだなぁと楽しみました。
死んじゃうけど……。
ふたりが改造ワゴンのブースタースイッチを教えてくれるシーンには和んだ……。
見ただけで操れちゃう他人。
それはドンくんからしたら、意思のないお人形のようなものだったでしょう。
他人はみんなおもちゃみたいに思える。
そんな中、唯一操れない男は、むかつくけれど自分の意思で彼に関係を迫ってくる。
目的は彼を殺すことだけど。
ギュナムが、優しくて少しバカなのもいい。
こざかしい戦略とかなくて、
むおぉぉぉぉぉぉって人垣をぶちやぶってドンくんにせまっていくまっすぐさ。
殺す相手の名前をふとたずねちゃうという天然さ加減。
なんかこの泥臭さ、田舎くささと不死身の肉体が、我らがジャッキーを思い起こさせちゃって。
「超能力者」だっつってんのに、「香港アクション」の香りがするという不思議。
わしだけか、そんなん思たんはわしだけか。
わたし基準で超絶二枚目なコ・ス氏。この若さもイイ!
とはいえ!ラストシーンのあっけなさよ。
ちょっとまってちょっとまっておにーさん!
と、周回遅れ的なフレーズで突っ込みたくなる違和感。
だってそもそもギュナム、あんなホーキンス博士みたくなるようなダメージだったか?
屋上から落ちてワゴンから這い出した時、けっこう動けてたよ?
100歩ゆずって、大けがを負ってああなったとしてですね、
少女の危機に際して超人的な回復力で回復したとしてですね、
「いい超能力の使い方をしたからギュナムはヒーローとして受け入れられる」ラストでいいわけ?
ん、いいんだろうな。
死んだ分、助けるって言ってたし。
「俺がいなきゃお前はただの人だ」というドンくんの呪詛をふりきって、
ギュナムはこの後生きていく目的を見つけたわけだし。
ああでも唐突~。
思わず「えっ?」って言っちゃったよ。
ひるがえって、日本版の「MONSTERZ」はどうだったんかいな、と
ブロガーさんの感想などさすらってみると、
どうも「改悪だ」という意見が多数。
おそらく、わたしが感じたような唐突さや物足りなさを補完しようとして
脚本やら設定やらを改変した感じがする。
でもそれやっちゃうと、もともとこの映画が持ってる良さも失われてしまうし、
描きたいポイントがずれてきちゃうのでちぐはぐ。
「見ただけで他人を操れる能力者」対「唯一操られない男」という
骨格だけいただいて、別の映画にした方が良かったんじゃないですかね。
そこ突っ込むためには観ないといけないけど、
そこまでする気力がないため、この段落はみなさんの記憶から抹消してください。
観ないで文句言うとか、ルール違反だもんね、
関係者のみなさんごめんなさい。
破綻がない方が望ましいが、理屈があってるからといって映画が面白くなるわけではない。
あらためて実感した次第。
必要十分条件とか必要条件とか、算数で習ったような記憶がよみがえりましたよ。
本作は十分に面白い映画でした!
※ 本文中の「ドンくん」表記の人物は、はもちろん「人を操る能力を持つ男」です。
作品中に名前は出てこなかったよね?役名は「チョイン」ですのでよろしく。
だいたい韓国ものを日本版リメイクして面白かった試しがないからな。
本家本元を観よ、ということで。
〈あらすじ〉
人を目で見るだけで思いのままに操る能力を持った男(カン・ドンウォン)。
金を盗みに入った質屋で、偶然自分の力がおよばないギュナム(コ・ス)に出会う。
動揺した男は、質屋店主を殺してしまい、
ギュナムに仇と追われることになった。
果たして男はギュナムを倒すことができるのだろうか?
という映画なのですが……
思てたんと違う!
この映画観たほとんどの人がそう叫んだと思いますよ。
「超能力者」ってタイトルにだまされてるね。
そりゃ男の能力は超能力だけどね。
「幻魔大戦」とか「AKIRA」とは全然ちがうテイストの映画だからね。
頭脳戦とか……ないです。
超能力を疑いつつ、科学的捜査をする警察の介入も……ないです。
丁寧な謎解き……も一切ナッシング!
どん、どん、どん!と体力勝負で押してくるコ・スくんの活躍をお楽しみください。
楽しい仲間もいるしね!
カン・ドンウォンも良かったよ!
わたし的には、「五福星」とか「キャノンボール」を想起してしまった。
どうでしょうか?
爽快感には欠けるし、結構グロいし、アレなんですが……。
これ以上はネタバレなしで話すのが難しいので、
以下、ばりばりとネタバレしながら続きます。
まだ観てない人はここで終了してね。
観てからお話しましょう、ぜひ。
この映画を観る前に、日本のリメイク版の情報がちょっと入ってきたんですよ。
元ネタでは最後まで隠されていた秘密が日本版では早々に明らかになっている、と。
それはタイトルの「MONSTERZ」であり、複数形(Zだけど)であるということは……?
なんてね。
ということで、実はほんのりネタバレしつつの鑑賞だったのですよ。
だがしかし!コ・ス(ギュナム)の秘密なんて、早々にあきらかになっとるがな!
「誕生日おめでと~兄貴~」
「ありがとな、お前ら」
バーン!
目が点になったわ!
あの吹っ飛び方に思わず吹いてしまったあと、
彼が生きていたことに正直驚きを隠せませんでしたよ。
これは……フツーじゃないでしょ、いくらなんでも。
そして死んだ質屋社長の霊とお話できたというギュナム……。
あんだけ怪我してても、瀕死の社長を見てストレッチャーから飛び起きるギュナム。
おまえやっぱフツーじゃないよ。
驚異的な回復力だと看護婦が噂してたよ~という肉付けもあり、
中盤にどぶどぶ血を流しても動けてたり、観ている方はなんとなく理解。
それよりなにより、最後まで秘密だったのは
「なぜギュナムだけは操作できないのか?」ってことじゃぁねえですかい?
驚異の回復力のため、操作できなかった、ってことなんですかい?
そこになんの因果関係も見いだせないおいらはどうすればいいんですかい?
最後の最後、ドンくんがギュナムに「なぜだかわかった」と言うのですが、
えっ?何でなの?と聞き返すまもなく、ドンくんは死んでしまいました。
もうわたしもふたりと一緒に空中に投げ出された気分。
しかし、すべてを説明してしまう昨今の物語事情にはうんざりしているので、
こんなくらいの終わり方がいいのかも。
ギュナムに超能力がきかない理由はよくわかんない。
超能力者に超能力は効かない、なんて法則はないもんね。
そもそも超能力自体が科学的説明を拒んでいるものだし。
でもドンくんの気持ちはちょっとわかる気がするの。
ああ、お前に俺の力が及ばないのは、
俺を殺してもらうためだったんだなぁ……。
ドンくんてば、そんな風に思ったのじゃないかしら。ぐすん。
てな具合に感傷に浸れるほど甘い映画じゃないところが、気に入ってるんですよね~。
冒頭の、自ら首をねじ切って死ぬ暴力父さん。
どぶりどぶりとマンホールの汚水急流に落とし込まれて死んでいく刑事たち。
ばったばったと階下に落ちて死んでゆく人々……。
そういうえげつない映像がですね、
ああドンくん、意味深な発言はもういいんだ、お願いだから死んでくれ、
という殺伐とした気分を誘発してくれます。
もちろん、さすがのドンくんも母親だけは殺せない。
無理心中しようとした母親から逃げて20年。
こんな体に生みやがって、と恨んだこともあったけど、
自分の子どもを殺そうとしやがって、と憎んだこともあったけど、
最後はお母さんのところに戻ってきてしまうドンくん……。
ドンくんだってかわいそう……
じゃねーから!
「お前さえ追いかけてこなきゃ、人がたくさん死なずにすんだんだ」
っていうドンくん理論にうなずいてしまいそうになりますが、
そうじゃねーから!
あんたの殺し、質屋の社長が初めてってわけじゃないじゃん。
親父をしっかり殺してる。
母親をまいて逃げ出した後、無垢に生きてきたわけじゃないでしょうが。
もちろん、このへん推測です。
このバランスがね、この映画の好きなところですね。
ドンくんの風貌がとても良い。球体関節人形みたい。
無情に人を殺す男のシーンと、
人質としてつれ歩く女性の肩に、ふと頭をもたせかける男のシーン。
この非道と情の塩梅がちょうどいいな、と。
観る側が、男への嫌悪と憐れみを半々ずつ持てるようなバランスの演出がね、好きです。
登場人物の背景は、ほとんど描かれてない映画じゃないですか。
ドンくんとギュナムが出会ってからは、えんえんふたりが戦い続けており、
流れをぶったぎるような無粋な回想シーンがはさまれたりはしませんのよ。
だから、ドンくんがどんな風に世間と折り合ってきたか、とか、
どんなに孤独に生きてきたか、とか、
そういうバックグラウンドは視聴者の想像に任されてる。
ギュナムに関してもまたしかり。
そーゆーの、適当に想像してっ!ヒントは描いてるからっ!
たたかいだけやるからっ!という作り手の割り切りがいさぎよいな、と。
映画がはじまっていきなりギュナムに楽しい仲間がいるってわかって、
(いい意味で)思ってたんと違う!と感じたのも面白かったです。
やたら韓国語がうまいガーナ人とトルコ人のお友達がすごく良かった。
あ~、孤独な超能力者同士のたたかいじゃないんだ、
片方は仲間がいて、おもしろ道具とか発明しちゃってけっこうコミカルだなぁと楽しみました。
死んじゃうけど……。
ふたりが改造ワゴンのブースタースイッチを教えてくれるシーンには和んだ……。
見ただけで操れちゃう他人。
それはドンくんからしたら、意思のないお人形のようなものだったでしょう。
他人はみんなおもちゃみたいに思える。
そんな中、唯一操れない男は、むかつくけれど自分の意思で彼に関係を迫ってくる。
目的は彼を殺すことだけど。
ギュナムが、優しくて少しバカなのもいい。
こざかしい戦略とかなくて、
むおぉぉぉぉぉぉって人垣をぶちやぶってドンくんにせまっていくまっすぐさ。
殺す相手の名前をふとたずねちゃうという天然さ加減。
なんかこの泥臭さ、田舎くささと不死身の肉体が、我らがジャッキーを思い起こさせちゃって。
「超能力者」だっつってんのに、「香港アクション」の香りがするという不思議。
わしだけか、そんなん思たんはわしだけか。
わたし基準で超絶二枚目なコ・ス氏。この若さもイイ!
とはいえ!ラストシーンのあっけなさよ。
ちょっとまってちょっとまっておにーさん!
と、周回遅れ的なフレーズで突っ込みたくなる違和感。
だってそもそもギュナム、あんなホーキンス博士みたくなるようなダメージだったか?
屋上から落ちてワゴンから這い出した時、けっこう動けてたよ?
100歩ゆずって、大けがを負ってああなったとしてですね、
少女の危機に際して超人的な回復力で回復したとしてですね、
「いい超能力の使い方をしたからギュナムはヒーローとして受け入れられる」ラストでいいわけ?
ん、いいんだろうな。
死んだ分、助けるって言ってたし。
「俺がいなきゃお前はただの人だ」というドンくんの呪詛をふりきって、
ギュナムはこの後生きていく目的を見つけたわけだし。
ああでも唐突~。
思わず「えっ?」って言っちゃったよ。
ひるがえって、日本版の「MONSTERZ」はどうだったんかいな、と
ブロガーさんの感想などさすらってみると、
どうも「改悪だ」という意見が多数。
おそらく、わたしが感じたような唐突さや物足りなさを補完しようとして
脚本やら設定やらを改変した感じがする。
でもそれやっちゃうと、もともとこの映画が持ってる良さも失われてしまうし、
描きたいポイントがずれてきちゃうのでちぐはぐ。
「見ただけで他人を操れる能力者」対「唯一操られない男」という
骨格だけいただいて、別の映画にした方が良かったんじゃないですかね。
そこ突っ込むためには観ないといけないけど、
そこまでする気力がないため、この段落はみなさんの記憶から抹消してください。
観ないで文句言うとか、ルール違反だもんね、
関係者のみなさんごめんなさい。
破綻がない方が望ましいが、理屈があってるからといって映画が面白くなるわけではない。
あらためて実感した次第。
必要十分条件とか必要条件とか、算数で習ったような記憶がよみがえりましたよ。
本作は十分に面白い映画でした!
※ 本文中の「ドンくん」表記の人物は、はもちろん「人を操る能力を持つ男」です。
作品中に名前は出てこなかったよね?役名は「チョイン」ですのでよろしく。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます