当初頭痛から始まり、頭痛薬が効かず、、@前回日記参照
その後、寝てても寝ててもだるさが引かず、起きてると気持ち悪い状態に。
しょがないので寝る。
→胃腸に来て、後半は胃腸風邪状態でした。
なんとか復帰したみたいですが、まだごはんは煮込みうどんと雑炊。
ちょこちょこ、その他のものも取り入れつつあります。
二日酔い防止に持ってきたビオフェルミンが残り少ないぜ。。
無料アップグレードのWindows10、入れてみました。
といってもですね、ウリの新しいブラウザは使わないし、ワードはワードのままだし、あまり新しくした感はありませんね、、、 軽くなったようなので、それが楽しみです。まだCドライブには旧Windowsもいれたままなので、空きがあまりありませんが、それを削除できたら10GB近く余りが出るはず!!元々ネット&ワープロ用の低スペックPCなので(どっちかというとモバイル仕様)、Cドラがあかないのが悩みで、Googlechromeを使っていたときなんかはよくフリーズしていたのですが、それが解消される(予定)なのはありがたいです。
あとは主に設定関係のインターフェイスがちょっとアンドロイドっぽくなってるかな。あ、スタート画面がなくなった(デスクトップからのスタートになった)のはいいと思います。だってさ、結局ほとんどの場合デスクトップを経由してアプリ起動してたんだもの。要らないよね、どう考えても。
定期的にああいう、箱型のスタート画面にしたくなるのかね?一番最初に買った、ウインドウズ95(だったと思う)入りのPCのスタートがあんなんだった気がします。富士通(だったかNECだったか)の趣味か、マイクロソフトの趣味かはわかりませんが。たかだか20年ほど前の話ですが、、隔世の感がありますね。ちなみに小中学校ではPCは貴重品で、小学校では全校で4,5台、中学校ではもう少しありましたが20台ちょっとだったと記憶してます。むろんDOSです。システムフロッピーとソフト用のフロッピーと二枚入れて起動するんだぞ。知らないだろう(ニヤリ)。
この際なのでPC遍歴を振り返ってみる(笑)。
中学校では生徒会に入っていて、書類なんかはワープロ使って打ってました。「書院」ですね。古いのも含めて数台しかなくて、忙しいときなんかは化石モノのワープロを持ち出して打つわけです。ワープロは処理することがそんなに多くないし、表示もモノクロなので、当時から主流はノート型だったのですが(それでも今のPCに比べ相当でかい)、化石モノくんはワープロの癖にデスクトップ型だったのです。使わないときはキーボードがブラウン管のところにはめられるようになっていて、カバーを兼ねているという、、
ちなみにさらにその前、プリントゴッコ全盛時代に、子供用のおもちゃワープロというのが出たことがあって、結構本格的に字を縦横に広げたり、色つけたり(インクリボン(!)が二種類ある)、できたのですが、そいつはディスプレイは2×15cmくらい(もちろんモノクロ)だったでしょうか。表示範囲だけでいうとテプラみたいなものです。印刷はA4とはがきとB5くらい対応していたかな?
☆お誕生日会のご案内☆[改行]
日程 ○月○日 ○曜日 ○時~[改行]
♪プレゼントを持ってきてね♪[ピンク] ※表示範囲外
みたいな感じでしたが、それが、自分の書いたものが活字になったという最初の体験でした。絵も字も下手くそで、何を書いても満足いくことはない子だったので、これからは自分でもこんなかっこいいものが作れるんだ、とすごくすごく嬉しかったのでした。
大学生になるころにはPCは普通の存在になっていて、図書館や学校の開放PCルームなんかで普通にインターネットにつないでオンラインゲームとかもやってました。高校の間にISDNとかADSLとかがうわーっと普及したんだよね。大学に入るときも、当然いるよね、という感じでノートPCを一台買ってもらいましたし、親も会社を始めたころだったので一人一台当たり前、って感じの扱いになっていました、が、実情としてはクマの木彫りと大して変わらなかったようです(つまりおっさんたちは全然使えなかったし、せいぜい若い女の子に使わせる清書のための道具だと思っていた)。値段も大学入学当時で20万くらいしたかなぁ。型落ちにして費用抑えた気もします。家には確か数年前に買ったデスクトップもあったんだけどね。何十万したのだろう?母がSOHOのバイトをしていて多少なりとも回収したと思いますが、全額回収できたかは知りません手書きのアンケートやなんかを様式に打ち込む内職で、他人の癖のある字を読みなれない書道歴ん十年だかの母のため、悪筆の娘はよく暗号(?)を解読しておりました。
入学当時買ったノートPCは学部生くらいまで使ったかなぁ。学生や教授は大半普通にPCが使えましたが、一部の学生は一本指打法でしたごくまれに、PCが使えない学生もいて、レポートは手書きで提出していたのは驚きでした。学部3年だか4年だかの頃に光を導入して、それまでダイヤルアップだったのからいきなりびゅーんと高速回線にしたら、ウイルスにやられ、更にウイルスソフトの重さに耐えきれず、末期には毎日のようにシステムの復元から作業に入っていました。っていってもHTMLでのサイト作成くらいしかしてなかったんだけどなぁ、家には作業できるような資料もないし。もう仕方ないね、ということで、親が出したんだか私がバイト代から捻出したんだか忘れましたが、10万ちょっとで、パソコン工房かなんかの、メーカー品ではないオリジナル品を買いまして、それを就職後も数年使用。結婚後、あまりの重さに旦那が耐えかね、旦那のほうのPCも古かったので二人でちょっといいのを買おう、と言って6万くらい。留学前、これ持ってくわけにもいかないしね、ということで4万くらいの台湾製。がんがん安くなっていて驚きでありますが、こうやって振り返るとなんというかWindowsの歴史の大半は末端素人ユーザーとして共に歩んできているわけで、なんというか長い付き合いだなぁ(笑)。
ちなみに、どうでもいい豆知識ですが、「書院」のファイルは「一太郎」で開くことができます。高校の時に勢いで訳した源氏物語の一部とか、今手元にあったら読んでみたいのに(笑)。痛々しいだろうなぁ、、当時は真剣だったけども、、