子育てには、以下の格言がある。
記憶の範囲なので、細かいところ間違ってたらごめんなさいなのだけど。
赤ちゃんは、肌を離すな。
幼児は、肌を離せ、手を離すな。
子供は、手を離せ、目を離すな。
青年は、目を離せ、心を離すな。
先日、母と仲違いをした。細かいところは省略するが、要は母と細かくコミュニケーションを取らなくなり、うざったがる(母視点)私と、昔のように細かく事情を知りたい母とのすれ違いである。
なんで分かってくれないの、ウザったいとかそういうことじゃなくて、とにかく報連相する精神的時間的余裕がないんだよと私はさめざめと泣き、母は私に報連相を求めているわけじゃなく母娘の会話がしたいだけなのに、話したくないとうざったがられていることがショックで泣いた(ようだ)。
少し時間が経ち、多少冷静になった、、というか、いろいろ書き散らして整理した。
たぶん、ずっと母と私は、上記の格言で言う子供期で、母はそれをずっと母としての愛だと思っていたのだ。
それなりに早い時期から、手は離してもらった。高校で家を出て、大学も家からだが外泊を含め自由に通った。東京に就職し、ドイツにも行った。経歴を見れば、十分自立した親子に見えただろうと思う。が、確かに直接目に見えないところにはいたが、母は私のすべてを把握したがったし、私もそれでそう不満はなかった。進学、就職、結婚、在外、子供、といった人生の大きな岐路はもちろん、今日は飲み会に行く、今日は二日酔いで寝てる、最近仕事が忙しくて毎日終電、といった日常生活も、メイクや服をどうするといったところも、全部話して、母に話すことで整理していた部分もあるし、判断力をゆだねている部分もあったと思う。肯定してもらうと安心できたし、否定されるのは私がどこか間違っているのだろうと内省した。それで後悔もなかった。当たり前だと思っていた。でも、今振り返れば、手は離れたが、目は事実上離れていなかった。ずっと母は私を、もしかしたら私だけを見つめ、手引きし、導こうとしていた。私もそれに甘えていた。
大きくずれてきたのは、30代の後半からだと思う。子供もでき、仕事もだんだん責任が重くなり、すべてを母に話すことは、立場的にも、時間的にもできなくなった。その場で決断することも増えた。社会も私の状況も母の子育て期と大きく異なっており、特に子育てに関しては、母に自身の経験を踏まえて話をされると、今の学説、自分の状況、その考えに至った理由、もろもろをすべて説明する必要に迫られた。前提としている今の学説や医師の意見を間違っているといわれることもしょっちゅうだったし、子供に対する接し方も細かく指摘された。母はダメ出しや指摘をしているつもりはなかったのだろう。ただ、自分が正しいと思ったことをこれまで通り言っただけで、それが拒否されるとは思っていなかったと思う。
しかし、毎度この手のコミュニケーションをとるのは、子育てと仕事で時間的にも精神的にもいっぱいいっぱいの私には大きな負担で、そこまでの対応が当たり前にはできなくなっていった。細かい事情や意図を話せなくなると、母の状況判断は当然ながら実情とずれていき、私が自分の事情や意図を説明するのにさらに時間的、精神的コストがかかるようになった。そのコストは、数年間でもう耐えきれないほど大きくなっていて、一度「なぜこんな時間的、精神的に疲弊している中、私は必死に母の承認を取らねばならないのだろう」と思ってしまったらもう元には戻れなかった。自分で判断し、自分で答えを出すことに慣れてきて、母に報告し、承認してもらう必要を感じなくなっていった。判断が間違っていても、悔しくて悲しくて泣くことも含め、自分でどうにかできる力を、いつの間にか身に着けていた。少なくとも、判断が間違っているかどうかをジャッジされることに耐えられなくなっていった。
母が何と言おうと、私は今の私を好きだし、そこそこ幸せに暮らしていて、なぜ母はそれに満足してくれないのだろうと、不満が大きくなっていった。純粋に子供の幸せを祈るのが親なら、いま幸せに暮らしている私をなぜ否定するのだろう、と。なぜ私をそのまま認めてくれないのだ、なぜ全てを把握して母の判断を求めさせようとするのかと。私は母の手元でお利口にしていればよい、ただの母の作品なのか。いまの、遠隔地に住んでまともに報告も連絡もしない私は母の自由にならないから不要なんだとしたら、私自身が愛されていなかったということなのか。そう思ったこともあった。
だから、これは総じて私の側の変化であり、その過程をほぼ見せずに、忙しい、という言葉だけで説明したつもりになっていた私の甘えであり怠慢でもあったわけだ。
母は、十分すぎるほどに手を離し、自由に行動させたことで、目も離したつもりだったのだと思うし、実際に実年齢でいう青年期は既にそれで乗り切った。繰り返しになるが、私もむしろ自分からそれを受け入れたことで、子供期の甘やかな関係が長く続いていて、母はそれがまさか娘の中年期になって更に変化するとは全く思っていなかったろう。
私が先日のすれ違いで母にもう無理だというと、母は私が母を疎んじていると感じたらしい。一生懸命育てて、最後に疎んじられることになるとは、と、絶望的な気持ちになったようだ。
違うよ。
いろいろ迷ったし感情的にもなったけど、やっぱりお母さんが好きだし、尊敬してるし、愛してるよ。
でもね、あなたの娘は、もう目を離してほしいと思ってる。
自分で歩けるから。見てて危なっかしいかもしれないし、間違ってると思うかもしれないけど、それでも自分で自分の道を歩きたいから。わが子のことも含め、自分で考えて、自分で決めたい。その一つ一つの行動に対して、お母さんの承認は、いらないんだ。でも、今は難しいのかもしれないけど、いつか、私はきっと迷わないし、迷っても間違っても、最後には自力で答えを出す力があるってことを、お母さんにも認めてほしい。
目を離してほしい、というのは、母を否定していることではなく、やはり母から信頼されたい、ということなのだと思う。個別の事象ではなく、全人格的に承認してほしいということで、やっぱり承認してほしいという、これも甘えなのかもしれないけど。もう母が導く必要はない、あとは好きにやりなさい、と。そう言ってほしい気持ちが、根底にある。
言い換えれば、それが母と私の親離れ子離れであり、それで初めて独立したおとなになったと言えるのだと思う。
母に、思いが届けばいいな。