ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

4/21日 古代東山道を歩き神坂(みさか)の峠路に その3:富士見台に着き、神坂峠の遺跡に立ち寄る。

2019-04-24 07:04:28 | 草花
萬岳荘(ばんがくそう)から先は背丈の低い笹の斜面を登って行きます。
そしておよそ20分後に稜線上に出ます。
これが見晴らしの良い日でしたら抜群の稜線漫歩となるところですが、風は寒いくらいに涼しい割には、眺望が今一つも二つも下回っています。
そろそろお腹が空いてきているのですが、萬岳荘を出てから富士見台の山頂まで、約45分ほどの道ですが、歩き通すことになりました。
稜線上の道 ↓

稜線に出ると冷たい風に当たります。あたりは立ち木がなくて、岩礫地に背丈の低い笹が生えているようなところです。



神坂避難小屋 ↓

この小屋の前を通過して、山頂から戻って来てからここで、風を避けて昼食をとることになるようです。



ショウジョウバカマ ↓



歩きながら、山を下りて来る人にすれ違った時、「これから先に花は出て来るか」について聞いたところ、花は見なかったということでしたので、三人で意地でも探し出そうと意気込んで歩いていました。
その甲斐あって花と出逢えました。



まだ続く笹原 ↓

稜線上の笹原のこんな道を風に吹かれて歩いて行きます。



神坂山 ↓

今回はあの峰にはいきませんでした。



大川入山 ↓

雲の中に薄く大川入山が見えています。こちら側からですと、右側の恩田大川入山が大きく見えて、大川入山本峰は左側に頭をちょこっと出すだけです。



富士見台の山頂直前 ↓

山頂が近づくと、そこに一人の登山者がいるのが見えています。



富士見台の山頂 ↓

山頂に着きましたが、景色が今一つです。もしも晴天でピーカンの幸運に出逢えた時にはここから随分たくさんの山が見えるので、見えない峰を列挙しますと、富士山、槍ヶ岳、三河の山並みが見えないくらいで、中部山岳の有名な山はほとんど見えている筈なのです。
生憎の時には風も冷たいものですね。



南木曽岳 ↓


中央アルプス ↓



山頂から下る ↓

お腹が空いていますので、景色の得られなかった山頂を早々に後にします。



ここでランチタイム ↓

この神坂避難小屋はなかなか居心地の良いところでした。土足禁止のために靴を脱いで利用しましたが、靴を脱ぐだけの価値がありました。
小屋内には「屋小山」と表示がしてありましたが、これは右から読むのでしょうね。


充実した「もぐもぐタイム」を済ませました。


1710m峰 ↓

避難小屋を出ると目の前に1710m峰のすっきりした姿があります。途中まで道がついているので、そこまで行って見ることにしました。



行く手に笹藪で通せんぼ ↓

途中からは笹藪があり、「植生保護のために立ち入り禁止」となっていました。



恵那山 ↓

笹の向こうに恵那山が大きく見えています。今回初めて全容を見せてくれたのです。


1710m峰から戻って、その山体を回り込んで、神坂峠の遺跡まで足を延ばします。

ショウジョウバカマ ↓

その巻き道でそれらしく咲いたショウジョウバカマが出てきました。



神坂峠の遺跡 ↓

東山道は古代日本の大動脈であり、都から近江・美濃・信濃・上野・下野・陸奥・出羽に至る全長1000kmの官道で、今の世ならさしづめ名神・東名・東北の高速道路に当てはまりそうですね。

ここを西暦4世紀頃に日本武尊や西暦8世紀の後半には坂上田村麻呂が越えて行ったのでしたね。
奈良東大寺の大仏に使った黄金だって東国からここを通って運ばれたのだそうです。

昭和43年の発掘調査では、ここから鏡・剱・玉(三種の神器)の石製模造品、また勾玉・管玉・棗玉・ガラス小玉などの玉類が1400点以上出土し、その他にも金環・鉄斧・鉄鏃・土師器・須恵器など多くが出土したことから、この場所が、まさしく荒ぶる峠の神様の怒りを鎮める「たむけの場所」であったことが明らかになり、それによって昭和56年に「峠神祭祀の代表的な遺跡」として国の史跡に指定されたのです。
コメント (4)
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