五日夕方の雀 ↓
元気の良い奴が一番乗りして来ました。
この後、雨となり、翌(6/6)日も深夜まで雨が降っていました。
明けて七日は空がすっきりとしていて、まるで秋のような清々しい朝となっていました。
そこで、山望に行くことにし、雀に餌を置いてから、冬の間、良く通った高楼に久しぶりに行ってみることにしました。
外階段を212段昇って遠くを見ると・・・・・・・全然眺望が良くありません。頭の上は抜けるような空でしたのに・・・・
白山見えず ↓
前山(高賀山)の背後にあるはずですが、雲に隠れています。
木曽御嶽見えず ↓
手前は猿投山で、この左肩の奥に見えるべきところをこれも雲に閉ざされています。
中央アルプスと恵那山も見えず ↓
これも雲に邪魔されています。
本宮山 ↓
近場の三河の山は本宮山が見えています。
桑谷山と遠望峰山 ↓
西三河で海に近い山並みも見えています。
伊吹山見えず ↓
白い建物の左側に見えるはずですが、これも見えません。
養老山地 ↓
名古屋の背後に養老山地が何とか見えます。
鈴鹿の山並み ↓
鈴鹿山脈はぼんやりとしか見えませんでした。
名古屋のテレビ塔 ↓
ここから名古屋のテレビ塔を見たのは初めてのことです。(小さくぼんやりとしか見えませんでしたが)
名古屋テレビ塔は、名古屋の戦後復興・都市計画の中、観光とテレビ放送用電波発信のために建設され、1954年(昭和29年)に完成しました。設計者は、早稲田大学教授の内藤多仲工学博士(後のさっぽろテレビ塔や東京タワーも同博士が設計)で、防災・都市景観を考慮のもと設計・建設されました。日本初の集約電波鉄塔として完成から60年以上経つ今も、名古屋の街のランドマークとして知られています。名古屋人にとっては今でも思い入れの強い存在なのです。
全国のタワーで初となる国の登録有形文化財に認定されています。
青空に浮かぶ雲 ↓
空がきれいでしたので雲と一緒に撮りました。ここのところ、この日のように爽やかに晴れたことが無かったですね。
上弦の半月 ↓
空がきれいなので、明るい空で久しぶりに見る月もさぞや・・・・と期待していました。月齢7.8。
夜になってからアンコール ↓
暗くなってから今度は天体望遠鏡の対物レンズからカメラに撮り込んだ画像を貼ります。クレーターも良く見えています。月齢8.0。
元気の良い奴が一番乗りして来ました。
この後、雨となり、翌(6/6)日も深夜まで雨が降っていました。
明けて七日は空がすっきりとしていて、まるで秋のような清々しい朝となっていました。
そこで、山望に行くことにし、雀に餌を置いてから、冬の間、良く通った高楼に久しぶりに行ってみることにしました。
外階段を212段昇って遠くを見ると・・・・・・・全然眺望が良くありません。頭の上は抜けるような空でしたのに・・・・
白山見えず ↓
前山(高賀山)の背後にあるはずですが、雲に隠れています。
木曽御嶽見えず ↓
手前は猿投山で、この左肩の奥に見えるべきところをこれも雲に閉ざされています。
中央アルプスと恵那山も見えず ↓
これも雲に邪魔されています。
本宮山 ↓
近場の三河の山は本宮山が見えています。
桑谷山と遠望峰山 ↓
西三河で海に近い山並みも見えています。
伊吹山見えず ↓
白い建物の左側に見えるはずですが、これも見えません。
養老山地 ↓
名古屋の背後に養老山地が何とか見えます。
鈴鹿の山並み ↓
鈴鹿山脈はぼんやりとしか見えませんでした。
名古屋のテレビ塔 ↓
ここから名古屋のテレビ塔を見たのは初めてのことです。(小さくぼんやりとしか見えませんでしたが)
名古屋テレビ塔は、名古屋の戦後復興・都市計画の中、観光とテレビ放送用電波発信のために建設され、1954年(昭和29年)に完成しました。設計者は、早稲田大学教授の内藤多仲工学博士(後のさっぽろテレビ塔や東京タワーも同博士が設計)で、防災・都市景観を考慮のもと設計・建設されました。日本初の集約電波鉄塔として完成から60年以上経つ今も、名古屋の街のランドマークとして知られています。名古屋人にとっては今でも思い入れの強い存在なのです。
全国のタワーで初となる国の登録有形文化財に認定されています。
青空に浮かぶ雲 ↓
空がきれいでしたので雲と一緒に撮りました。ここのところ、この日のように爽やかに晴れたことが無かったですね。
上弦の半月 ↓
空がきれいなので、明るい空で久しぶりに見る月もさぞや・・・・と期待していました。月齢7.8。
夜になってからアンコール ↓
暗くなってから今度は天体望遠鏡の対物レンズからカメラに撮り込んだ画像を貼ります。クレーターも良く見えています。月齢8.0。