ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

26年前の南アルプス南部稜線歩き (最終回):塩見岳まで行ってから靴のトラブルで下山

2020-08-09 07:03:51 | 草花
26年前(1994年)8月のこの山行は、南アルプス南部の茶臼山から北上して北岳まで、出来れば甲斐駒ヶ岳まで歩くつもりで荷物を担いできましたが、この記事の塩見岳の直前で靴底のゴムが剥がれてしまい、塩見岳から先の行程を断念せざるを得なくなりました。

今考えてみれば、靴底を紐で括ってでもすれば北岳くらいまでは頑張れたに違いないのですが、その現場では絶望の念が先走り、そういう柔軟な対処ができませんでした。
行程図 ↓

荒川中岳の避難小屋から塩見岳までの行程を記しています。

断面図 ↓

この日は暑い日で、2500mを超す稜線歩きと言えども、カンカン照りに相当痛めつけられた感じがしました。



小河内岳 ↓



稜線の東側に避難小屋がありましたが、通り過ぎます。



塩見岳 ↓

塩見岳が近づいてきます。



三伏峠下の水場 ↓

小屋は使われていませんでしたが、付近に水場がありました。



本谷山から塩見岳 ↓

近づいてなお、高く険しさを増したように感じる塩見岳。



本谷山から仙丈ヶ岳 ↓




本谷山で休憩 ↓

あと一頑張りで塩見小屋という位置に来ていますので、最後の休憩を入れます。



塩見小屋 ↓

塩見小屋に着きますが、この直前で靴に違和感を感じ、靴底を見るとゴムが剥がれてブラブラしています。そこから先の行程を断念するしかありません。そのために塩見小屋までは気落ちしながら歩きます。

小屋でゴム底の接着剤が無いか聞きましたがありませんでした。そうなると、翌日は空身で塩見岳の山頂をピストンして、三伏峠から塩川の登山口に下山するよりも他に仕方がありません。
そう覚悟を決めて、小屋の外に出て、飲料水を補充し、しばし山の夕刻の眺めを楽しむことにしました。

手前に大きく間ノ岳 ↓

間ノ岳の左肩奥に北岳が見えています。



北部の峰 ↓

ここに左から仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、北岳、間ノ岳が入って来ています。



甲斐駒ヶ岳 ↓

甲斐駒ヶ岳が雲に隠れそうになっています。ズームで一杯に近づきます。



白根三山に夕日 ↓

北岳、間ノ岳、農鳥岳に夕日が当たっています。


塩見小屋で宿泊し、翌朝は空身で塩見岳の山頂まで往復しましたが、酷くガスッていて写真を撮りませんでした。

小屋に戻り、帰路は本谷山経由三伏峠から塩川に下り、JRの伊那大島駅までバスを使い、そこからJRを乗り継いで帰宅しました。
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26年前のこの時期に歩いた南アルプス南部 赤石岳から荒川東岳(悪沢岳)まで

2020-08-08 07:02:42 | 草花
(この記事は今から26年前の山行を綴っています。)
小生がこのブログを始めたのが、(おそらく)2003年以後だと思いますので、記事と写真は未発表のものに間違いありませんが、写真はアナログのビデオカメラ映像をパソコン上でキャプチャーしたものにつき、相当画像が荒くなっていますが、ご了承ください。
百閒洞山の家で一夜を過ごした後、赤石岳に向かい、そこから荒川三山を歩く部分のレポートです。
歩行図 ↓


断面図 ↓


百閒平より中央アルプス ↓

この日も良い天気でした。 ここでは中央アルプスの連嶺の背後に木曽御嶽が見えています。



山頂では富士山も ↓

赤石岳の山頂では富士山も見えていました。北アルプスの槍・穂も見えていましたが、画像が不鮮明でしたので割愛します。



南アルプス北部の峰々 ↓

位置的に多少見づらさはありますが、南ア北部の3000m級の山並みが見えています。



山頂の標示 ↓

木製ですので今は替わっていることでしょうね。

小赤石岳を経由して荒川三山を目指します。

荒川小屋 ↓

荒川岳に向かう稜線の鞍部にこの小屋があります。強い日差しに肌が灼かれます。



荒川前岳にて ↓

前岳の山頂に着くと、そこでは雷鳥が砂浴びをしていました。



荒川中岳 ↓

荒川前岳からいくらも歩かないところに荒川中岳があります。



中岳避難小屋とこれから向かう悪沢岳(荒川東岳) ↓

あの避難小屋(有料)で今夜は宿泊します。 小屋の前に荷物を置いて悪沢岳に向かいます。



悪沢岳 ↓

別名荒川東岳と言いますが、この悪沢岳と前岳、中岳の三つを総称して荒川三山と言います。
この悪沢岳が三山の最高地点になります。
中岳の避難小屋に戻り、一夜を明かします。(無人ですが有料で、遠いところから歩いて集金に来ていました。)



付録:
昨晩(8/7日)の月(月齢17.4) ↓

昨晩は午後9時過ぎに月が昇ってきました。


昨晩(8/7日)のユウスゲ ↓

今年では一番多く花を付けました。(昨年の一日における花数の最高は、8/1に21輪とありました。)
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8/7~8/22まで 立秋 土用も終わりました。でも暑さはこれからも

2020-08-07 09:03:45 | 草花

立秋の白波に逢ひ松に逢ひ 阿部みどり女

立秋や雲の上ゆく雲とほく 鈴木真砂女

立秋の大日輪に歩み入る 中川宋淵

立秋の紺落ち付くや伊予絣 夏目漱石(明治43年)

立秋のかげこまやかに女竹 木下夕爾

今日から8月22日までは立秋でした。そして7/19日から入っていた土用も昨日を以って終わりました。
しかし、猛暑はこれからが本番の様相を呈していますから、新型コロナともども心して過ごさなければなりません・。
今度の月曜日は山の日ですから、土・日・月と三連休の方も多いことでしょうが、どうか家でゆっくりと過ごされますように。

「大暑」の最終日(昨日)に、暑さが最高潮の午後一時から三時まで、外を歩いて見ました。
マスクを掛けてある程度の速度を保ちながら歩くのは本当に大変なことでした。
この状態で、長距離走や山歩きはとても大変だろうな・・・と思いました。


実行図 ↓

買い物をしたり、神社の木陰で一息ついたりしながら、約6kmを歩きましたが、汗びっしょりになりました。(この歩行距離はバーチャル山歩きに反映・積算していきます。仮想ですが現在は島々の集落を通り抜けて徳本峠に向かっています。)



アオギリ(青桐・梧桐) ↓

公園に立ち寄ると、外周に植えられているアオギリに若い実がたくさんついていました。
手の届くところにそれがありましたので、手折って持ち帰りました。

アオギリについてネット上から勉強させてもらいました。(以下はネットからコピペしたものです。)

アオギリは
アオギリ科アオギリ属 (落葉高木) カカオの仲間の樹で、本来は亜熱帯に分布する。
沖縄、台湾、中国、インドシナで、古く中国から渡来したものが、野生化したといわれる。

剪定に強いので、庭に植得られることも多い。

若い幹の樹皮は緑色で滑らか。緑色は葉緑素。つまり樹皮でも光合成を行っている。老木になると、緑色はなくなり、表面はコルク質で灰白色となる。縦皺が深くなる。
葉は、枝先に集まって互生する。葉身は浅くあるいは中程度に3~5裂し、各裂片の縁は全縁。
雌雄同株、雌雄異花。雄花、雌花が、1つの大きな花序の中に混生する。

船状のものは、袋果が熟す前に5裂した裂片で、心皮(子房を包む皮)が大きくなったもの。縁に数個の種子が付く。
種子が大きく動物散布にも見えるが、形からして船状のへらが風に飛ばされる風散布植物に分類される。
平安時代には、種子を炒って菓子として食べたり、戦争中にはコーヒーの代用にしたそうだ。
(引用終了)

ここで「心皮」という言葉が出てきますが、上手い説明が見つかりませんでした。

アオギリは梧桐とも書き、それは俳人の河東碧梧桐に思いを馳せることに繋がります。
ネット上でこんな俳句も見つけました。

我輩は猫梧桐の影にあり 堀 政尋  
  「吾輩は猫である」の夏目漱石も河東碧梧桐も正岡子規の門下でしたね。
正岡子規のこんな句もありました。 ↓
碧梧桐のわれをいたはる湯婆かな  正岡子規
「湯婆」は湯たんぽです。病床の師につきっきりで看ている河東碧梧桐

その彼の夏の句を一つだけ
貧乏な青物店や夏大根 河東碧梧桐

無理に拡げて ↓


舟遊びを楽しむ? ↓


一粒 ↓


薄皮を向いて ↓


それをカッターで割いて ↓

若干殺生を伴いましたが、アオギリの若い実にいろいろ遊ばせてもらいました。

秋立ちぬなお寝苦しき残暑かな (亭主駄)
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26年前のこの時期に歩いた南アルプス南部稜線(5泊6日)

2020-08-06 09:25:50 | 草花
先日記事作成上の都合で、26年前の山行の一部を紹介しましたが、途中でやめるのではなくて、下山するまでを何回かに分けて、つづっておきます。
記事中の写真はすべてソニーのハイ8ビデオカメラ(ハンディカム)の映像をキャプチャーしたものにつき、今となっては随分画像の粗い、見づらいものばかりとなりますが、その点はお許しください。
リュックサック ↓

名古屋市栄交差点近くにあった好日山荘で昭和45年頃に購入したこのリュックは50リットルほどの容量だったと思います。平成6年のこの山行でもすでにオールドファッションであり、山で行き合う人たちは皆、これより新しい、色も派手で、ファッション性のあるものを背負っていました。
聖平小屋を早朝に出て、聖平に着き、軽く食事を入れていきます。



聖岳山頂から赤石岳 ↓

南アルプスは「赤石山脈」と呼ばれますが、その真ん中付近に位置する、大親分格の赤石岳が、聖岳の山頂から盟主たる存在感を見せつけています。



富士山 ↓

この日は天気が良くて、雲の上に富士山が見えていました。聖岳の山頂から富士山を見たのはこの一度だけだったと思います。(手前のシルエットは布引山)



聖岳山頂 ↓

聖岳には前聖岳と奥聖岳と二つの山頂がありますが、これは前聖岳で、こちらの方が標高は30mほど高いようです。もちろん奥聖岳にも行きましたが、特別なことは感じませんでした。



眼下に山小屋 ↓

眼下の沢筋に山小屋が見えています。その日のねぐらである百閒洞(ひゃっけんぼら)山の家ですが、そこに着くまで、いくつかの峰越えをしてから、沢まで下ることになります。



聖岳を見返す ↓

聖岳の山頂から400メートルくらい下り、次の峰を登り返すことになりますが、鞍部で休憩を入れて、下ってきた峰を振り返ります。



コケモモ ↓


ガンコウラン ↓

兎岳・中盛丸山と稜線歩きをしていきます。稜線上で高山植物の「食べられる実」を見ていきます。



百閒洞(ひゃっけんぼら)山の家 ↓

山深いところにある山小屋ですが、ここでの夕食はフランス料理風のものが出されてびっくりしました。
それと、トイレが「水洗」でした。便器の下には沢の水が流れていて、文字通りの水洗式で、これにもびっくりしました。26年経った今でもあの時の料理が供されるのか、トイレは水洗式のままなのかは行ったときのお楽しみですね。




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8/4日の晩 満月  涼しく月見を出来ました。

2020-08-05 10:10:08 | 草花
昨日は朝から全天に雲が掛かり、蒸し暑い一日でしたが、夕刻が近づくにつれて雲が薄くなり、陽が落ちるころには星さえも見えていました。
しかし、蒸し暑さはそのまま続き、寝苦しい夜だったような気がしました。

雲が取れたおかげで、楽しみにしていた満月の様子はしっかりと見続けることが出来ました。
8/4日 20時頃 ↓

昇り始めの月は、気持ち悪いような赤さを持ったものでした。



21時30分頃 ↓

赤さは余程とれた状態です。部屋の中では蒸し暑くて、クーラーなしでは過ごせませんが、外に出ると、空気はそよぎ、すこぶるつきの快適感を味わえます。



23時10分ごろ ↓

眠くなったのでこれを限度としました。


次に代わり映えしませんが、日記的なノリでいつもの草花を載せていきます。

明るい時のユウスゲ ↓

本日は5輪咲きました。

暗くなってから ↓

この時間の方がユウスゲは活き活きとしているのかもしれません。



ヒオウギ ↓

この花も一日花ですが、日替わりでどんどん咲いてきます。



イヌマキの実 ↓

拙庭においては、今年がイヌマキの実の当たり年のようで、沢山の木で実を見ます。



切株 ↓

シデコブシとして買った木ですが、2本立ちに育ち、一方の木ではシデコブシの花が咲くのですが、もう片方の木では花の付きが著しく悪くて、しかも木蓮の花がつきます。
思うに木蓮の木を土台にしてシデコブシの挿し穂をしたものではないかと・・・・。
思い切ってコブシの花の咲く木の方を切ってしまいました。



センボンヤリ ↓

庭のあちこちで生育しているセンボンヤリですが、こちらの株は秋花の閉鎖花を開いて、種を散らせています。



ヒマワリ ↓

生垣の外側に植えた向日葵は他の植物との苛烈な生存競争の結果、斯くもひょろひょろに育ちました。



アメリカフヨウ→タイタンビカスに変更 ↓



隣家のアメリカフヨウ→タイタンビカスは二つの色が咲き競っています。このあたりがピークのようです。(当初はアメリカフヨウとしましたが、タイタンビカスに変更しました。)
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