先日の日曜日、テレビから久しぶりの懐かしい名前を耳にすることができました。それは
クーデンホーフ光子 正確にはMitsuko Coudenhove-Kalergi、もともとは青山みつさん です。
今回は、読売テレビ開局60年の記念スペシャルで、タイトルは「ヨーロッパに嫁いだ なでしこ物語」吉田羊さんがヨーロッパを訪れる、という特集でした。
この名前がなぜ懐かしいかというと、私の年齢がわかってしまいそうですが、幼い頃にNHKのテレビで吉永小百合さん演じる光子さんで初めてこのお方のことを知り、幼いながらも昔の日本の女性にこういう人がいたんだ、ということに驚いたからです。
明治の時代に国際結婚をして遠いヨーロッパの国に渡ったということ、そして何より驚いたのが、渡欧前に当時の皇后陛下に謁見したということです。

当時はこういうことでも皇后陛下に謁見する必要性があったのだということにも驚いてしまいました。
吉永小百合さん演ずる光子さんのドラマを再度見ることは可能なのかとネットをいろいろ探したら、ありました。そのテレビドラマのタイトルは「国境のない伝記〜クーデンホーフ家の人びと」というタイトルです。ドラマの全編が見れるわけではないですが、懐かしの影像が見られます。
国境のない伝記~クーデンホーフ家の人びと
吉永小百合さん、初々しい。。。
その後、何回か吉永小百合さんが光子さんのことを追いかけるような特集番組があったと思いますが、私が覚えているのは、当時のロンスペルク城を吉永小百合さんが訪れたときのこと。当時はまだ国の体制が今とはかなり違っていたと思いますが、吉永さんが訪れた時は、城はぼろぼろ。中の階段さえ上れない状態だったと思います。
が時代は下り、今回吉田さんがこのお城を訪れたのは、国の体制も変わってからだいぶたってからのことになります。そのためか、お城もきれいに保存されているのを見て、時代が変われば変わるものだ、というのを痛感しました。
また、光子の子孫を吉永さんが訪れたいたときもあったと覚えています。
私にとっては、この光子さんの存在がなぜだか衝撃的なことで、それからボヘミアとかハプスブルク家とか当時のヨーロッパのこととかいろいろな本を読みあさるようになりました。
ウィーン、ブタペストは訪れたことはありますが、残念ながらチェコには行ったことがありません。私にとってはなぜだか懐かしい気がするこの地方をいつか必ず訪れてみたいと思っています。
ロンスペルク城だけではなく、光子さんとは全く関係ないですが、プラハのカレル橋もいつかは必ず訪れたいと思っているところです。
光子さんのことで今になって思うところがありますが、亡くなったとき娘のオルガさんしかいませんでした。息子さんたちは忙しく、世界各地に散らばっていたようですが、思うに、光子さんのような東洋人をあまり好ましく思っていなかったのではないだろうか、ということです。というのも、旦那さん亡き後、光子さん一家はウイーンに移り住み、子供たちを貴族の良い学校に通わせます。まわりは良い家の子供ばかり。そういう中にいて、お父さんもすでに亡くし、さらに日本人との混血ということで、子供たちはいじめられるようなことはなかったのでしょうか?
今でこそ、海外に行って日本人というとニコッとされることも多いですが、当時はアジア人なんて蔑視の対称であったように思います。光子さん自身が子供たちに古い価値観を押しつけたようなこともあって 仲がうまくいかなかったこともあったようですが、日本人の母ということを大きくなってからの子供たちはどのように思っていたのでしょうか。
また、次男のリヒャルトは汎ヨーロッパ主義では有名ですが、そのほかの子供達も、日本や日本人の事に興味を持つことはあったのだろうかという事も考えてしまう。
旦那さんは光子に、ヨーロッパの生活に慣れてもらうためだとは思いますが、日本人の侍女は帰国させ、子供達に日本語を使うのも禁止させたようです。
日本語が使えないということも、子供達と光子の間を遠ざけたようにも思えます。
国際結婚は難しい。
それにしても、昔のドラマも再び!見てみたいです。
クーデンホーフ光子 正確にはMitsuko Coudenhove-Kalergi、もともとは青山みつさん です。
今回は、読売テレビ開局60年の記念スペシャルで、タイトルは「ヨーロッパに嫁いだ なでしこ物語」吉田羊さんがヨーロッパを訪れる、という特集でした。
この名前がなぜ懐かしいかというと、私の年齢がわかってしまいそうですが、幼い頃にNHKのテレビで吉永小百合さん演じる光子さんで初めてこのお方のことを知り、幼いながらも昔の日本の女性にこういう人がいたんだ、ということに驚いたからです。
明治の時代に国際結婚をして遠いヨーロッパの国に渡ったということ、そして何より驚いたのが、渡欧前に当時の皇后陛下に謁見したということです。

当時はこういうことでも皇后陛下に謁見する必要性があったのだということにも驚いてしまいました。
吉永小百合さん演ずる光子さんのドラマを再度見ることは可能なのかとネットをいろいろ探したら、ありました。そのテレビドラマのタイトルは「国境のない伝記〜クーデンホーフ家の人びと」というタイトルです。ドラマの全編が見れるわけではないですが、懐かしの影像が見られます。
国境のない伝記~クーデンホーフ家の人びと
吉永小百合さん、初々しい。。。
その後、何回か吉永小百合さんが光子さんのことを追いかけるような特集番組があったと思いますが、私が覚えているのは、当時のロンスペルク城を吉永小百合さんが訪れたときのこと。当時はまだ国の体制が今とはかなり違っていたと思いますが、吉永さんが訪れた時は、城はぼろぼろ。中の階段さえ上れない状態だったと思います。
が時代は下り、今回吉田さんがこのお城を訪れたのは、国の体制も変わってからだいぶたってからのことになります。そのためか、お城もきれいに保存されているのを見て、時代が変われば変わるものだ、というのを痛感しました。
また、光子の子孫を吉永さんが訪れたいたときもあったと覚えています。
私にとっては、この光子さんの存在がなぜだか衝撃的なことで、それからボヘミアとかハプスブルク家とか当時のヨーロッパのこととかいろいろな本を読みあさるようになりました。
ウィーン、ブタペストは訪れたことはありますが、残念ながらチェコには行ったことがありません。私にとってはなぜだか懐かしい気がするこの地方をいつか必ず訪れてみたいと思っています。
ロンスペルク城だけではなく、光子さんとは全く関係ないですが、プラハのカレル橋もいつかは必ず訪れたいと思っているところです。
光子さんのことで今になって思うところがありますが、亡くなったとき娘のオルガさんしかいませんでした。息子さんたちは忙しく、世界各地に散らばっていたようですが、思うに、光子さんのような東洋人をあまり好ましく思っていなかったのではないだろうか、ということです。というのも、旦那さん亡き後、光子さん一家はウイーンに移り住み、子供たちを貴族の良い学校に通わせます。まわりは良い家の子供ばかり。そういう中にいて、お父さんもすでに亡くし、さらに日本人との混血ということで、子供たちはいじめられるようなことはなかったのでしょうか?
今でこそ、海外に行って日本人というとニコッとされることも多いですが、当時はアジア人なんて蔑視の対称であったように思います。光子さん自身が子供たちに古い価値観を押しつけたようなこともあって 仲がうまくいかなかったこともあったようですが、日本人の母ということを大きくなってからの子供たちはどのように思っていたのでしょうか。
また、次男のリヒャルトは汎ヨーロッパ主義では有名ですが、そのほかの子供達も、日本や日本人の事に興味を持つことはあったのだろうかという事も考えてしまう。
旦那さんは光子に、ヨーロッパの生活に慣れてもらうためだとは思いますが、日本人の侍女は帰国させ、子供達に日本語を使うのも禁止させたようです。
日本語が使えないということも、子供達と光子の間を遠ざけたようにも思えます。
国際結婚は難しい。
それにしても、昔のドラマも再び!見てみたいです。