いだてんの舞台は今、ストックホルム。
その後のオリンピックはどうなったのかと思ったら、次のベルリン大会は戦争のため中止。そしてストックホルムから8年後の1920年にベルギーのアントワープでオリンピックがようやく開催されます。
驚いたのは、この大会に日本人選手が15名も参加している事です。更に、テニスでは銀メダルを獲得しているのです。
ストックホルム大会の日本人選手団っておままごとのような選手団。それが8年で国際的に互角に戦えるような選手を輩出するって、日本もすごくない❓と思ってしまった。その8年の間に何が日本のスポーツ界に起きていたのでしょう。ストックホルム大会の時にはお金すら出さなかった政府なのに。
更にその8年後の1928 年のアムステルダム大会では、陸上競技で2個の金メダルを獲得❗️そしてまたその4年後の1932年のロサンゼルスオリンピックでは、金メダル7個❗️陸上競技の織田幹雄さんはなんと、二連覇❗️また、水泳団も物凄く活躍しました。
当時は国威発揚の意味もあったと思いますが、このような日本選手団の活躍もすごいな、と思ってしまう。特に、ストックホルム大会の時のたった2人の日本人選手の事を考えると雲泥の差。
当時、私が生きていたわけではありませんが、後年の日本人選手の活躍を思うと、ストックホルム大会のおままごとのような日本人選手団がとっても懐かしくまた微笑ましくも思えます。
そういう歴史の中で、金栗四三さんは3回のオリンピックpに出場しました。ベスト記録はアントワープ大会の時の16位。2時間48分でした。
1967年、スウェーデンのオリンピック委員会からストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典に金栗四三さんは招待を受けます。そしてストックホルムスタディオンをゆっくりと一周しゴールテープを切ります。その時に流れたアナウンスがこれ。
日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します。
スウェーデン政府も粋な事をするものです。
この場面、ドラマに出るかしら❓
それにしても、日本のオリンピックにもさまざまな歴史があるんですね。