一昨日だったか、Twitterに、
小山田圭吾の辞任を要求します
とかいうハッシュタグがトレンドに入っていて、ナニコレ❓この小山田という人はどういう人❓ と不思議に思っていました。
それで調べたら、この小山田圭吾さんという方は、オリンピック開会式の作曲を担当していて、その方が20年も前の雑誌のインタビューで障害のある同級生をいじめていたような告白をしていて、その内容がひどすぎる、そんな人が、オリンピックやパラリンピックに楽曲を提供するなんてありえない、だから辞任を要求します、という話の流れのようでした。
では、そのいじめって何をしたんだろうか、とネットで調べてみたら、本当にすごい事をしていて、驚きました。
こういうのはいじめというのだろうか❓いじめというよりは、暴力に値するものとも思われたのです。一歩間違えば殺人にもなりかねないような行為です。
このインタビューを掲載した雑誌も雑誌ですが、当時は障害者のみならずいじめとかの問題は大きく取り上げられるような時代ではなかったのかもしれません。マイナーな雑誌であったら尚更。
もしかして、ご本人も忘れていたのかもしれない、この「事件」。
この問題を最初にSNSで告発した人はいったい誰なんだろう、という興味もありますが、とにかく、行なっていた内容が酷すぎます。
小山田さんが作曲担当になったのは最近のことと聞いたので、そのニュースで、こんなヤツが平和の祭典の音楽担当とは許せない、と投稿された方は思われたのかもしれません。
昔見たテレビドラマで、若い頃に殺人を犯した人物に被害者の父親が訪ねてくるという場面がありました。その場面で、加害者である人物が
「そのことに関しては、服役もして終わっているんだ。もう、結婚して家族もいるのにいつまで苦しまなければいけないんだ。いつまで卑屈に暮らしていかなければいけないんだ」
と叫ぶ場面がありましたが、その場面で❓となった事を覚えています。
服役したって、人を殺したという事は一生消えないし、家族がいても消えないと思うのですが、この人はどうして被害者家族に怒鳴っているのだろう、と不思議に思いました。
被害者にとっては一生忘れることのない出来事。加害者は服役した後結婚もして子供もいるけど、殺されてしまった人はそういう事は全くできずに無念の中で死んでしまったのに、どうしてそんな事が言えるのか、と。
怒鳴る前に贖罪の気持ちは、一生持ち続けるべきでしょう、と思ったのを覚えています。
今回のケースは殺人というわけではありませんが、いじめというよりは物凄い暴力行為。小山田さんは今になって謝罪したい、とか言っていたようですが、この言葉を聞いて、本人はこんな事をして雑誌のインタビューで喋っていた、という事すら覚えていなかったのではないのか、と推察しました。
加害者が忘れていても、被害者は今になっても苦しんでいるのかもしれません。
良く、人を傷つけると数倍になって自分に返ってくる、と言われます。要するにブーメランですね。今回にケース。これは、誰でも注意したい事です。
小山田さんも、その後に反省して、自分の音楽を通じて障害者さんたちとのコミュニケーションなどを取るような事をしていたり、障害者団体とかと関わりを持っていたら、また、別の結果になっていた事でしょう。
私でも、こんな事をした人の音楽なんて聞きたくない、と思ってしまいます。
それにしても、色々と問題が起きるオリンピック。
人選が悪いというか、人を見る目がないというか、今度は小山田さんのように気持ち悪い風貌ではなくさわやかな気のいい人を選んでくださいね。
オリンピックは おいといてもパラリンピックという
障害のある人達の祭典に携わろうと思った事が凄いです。
どういう気持ちで 引き受けたんでしょうね??
それに 非難されてから 直接謝りたいとか
さすがに チョット受け入れられないです。
組織委員会も あまりにも脇が甘過ぎます。