( 写真は昔のものです )
覚悟もあきらめも同じような意味ですけど、覚悟はあきらめより固くあきらめは絶望を伴うように思います。
今の私の年齢を父と比べると、そうかあの時父は年齢だったのかと思いました。
ずいぶん苦労を掛けました、今の年齢の時やはり足は衰え、今の私より少し衰えていたかなと思います。
父と私の違いは父はヘビースモーカーでしたが私は喫煙しません。
お酒はおそらく同じように飲んでいると思います。
差が出るとすれば喫煙かな。
生き物は何であれ必ず死にます。
事故や急病の場合、覚悟もあきらめもないまま死んでしまう事もありますけどある程度の年齢になると次第に意識するようになります。
友人や知人が無くなるのは直接的に考えさせられますけど、親が亡くなった年齢と言うのも意識します。
女性は長生きですから意識する年齢も遅いのかも知れませんが、私の父は70代前半でしたからそろそろ意識しています。
気になるのは残ったものが定期的に利用しているネット通販は解除できるかなとか口座やカードから自動的に引き落とされている保険、会費、その他の支払が解るかなと言う事。
そしてたくさんのガラクタの処分、埋蔵金の行方(は無いので問題無し)。
自殺する人は覚悟でなくてあきらめだと思います。
確かな覚悟など無く、ふらふらと死の淵をさまよっている状態でほんの小さなきっかけでやってしまう。
電車の人身事故のニュースが多いですけど、目撃した人、電車の運転手や処理にかかわわる人たち、そして親族や友人知人に与える一生消えない心の傷を与えてしまう。
親族は深い後悔を一生持ち続けます。
親族の孤独死はどうでしょう、介護などで手を煩わされないで良かったとおもうでしょうか、これから独居生活が爆発的に増えて多くなります。
人の死に関する色々な考え方気になる年齢になったと言う事でしょうか。
朝4時に起きて活動し、夜は7時ともなるとぐったり、昼間も眠いです。
8時間寝るとして夜は8時に寝る、7時間として9時。
7時頃に上に上がってタブレットで映画を観たり電子書籍を読んだりして9時頃ねるのは不自然では無いと思いますけど昼間も眠い。
母を介護している時、椅子に座ってテレビを観ていて良く寝ていました。
寝てるよ と言うと観てるのよ と言っていました。
今は私が椅子に座ってうつらうつらです。
( 追記 )
都知事選挙に行ってきました。
投票所は我が家の裏手で徒歩1分、いつものように7時になったので出かけました。
たぶんまだ数人の頃です。
担当者前にはビニールを張りめぐらせ、受付で消毒済みの鉛筆ですと言われましたが、マイ鉛筆持ってきましたと自分用のものを使いました。
投票場は1個置きになっていて台にもA4のシートが敷いてありました。
見守り人たちの前にもシーtが。
家を出て帰るまで5分。
今回は現職が圧勝と思っていましたが、思った通り。
大きな問題を複数抱えていますし、人が変わったら失敗しても前職のせいだと責任があいまいになります。
コロナもオリンピックも予測不能、状況判断が難しい問題です。
ここは一貫して当たってもらわねばと思いました。
東京の感染者は相変わらず100人超え、何度も書いていますけど、午後早めに発表されますけどそれ以降に感染が分かった人はどこに算入しているのかな~?
地方では東京から来たと言うと警戒の目になるのでしょうね。
今はそのくらいのほうが良いと思います。
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昨日は今シーズン初めて自家製のゴーヤ1号を使ってチャンプルーを作りました。
苦みが夏らしくておいしく出来ました。
昨日はテレビを観ながら不要になった書類を裁断しました。
書類は積んであるときはたいした量では無いと思いますが、シュレッダーをかけるとすごい量になります。
熱ですぐ止まるのでその間は手で小さく裁断、とても時間がかかります。
少しずつ不要になったと書類やグッズを処分しようと思っています。
全体を見渡すと絶望的になるので目に付くものを少しずつです。
森林限界を超えた山を登っていると頂上が見えているのになかなか近づかない事を良く経験します。
そんな時は足元だけを見て一歩ずつ登っているといつかは登るべき高みの無い頂上に着きます。
そんな感じです。
時間のかかる作業は手元だけに集中するのがコツですね。