記公の原っぱより奥多摩大岳山 : 多摩川の南側にある大岳山は人気の山の一つです。
御岳山までケーブルを使って登れば稜線伝いに行けるので比較的手軽に行けます。
特徴的な山容なのですぐ解る山です。
記公の原っぱより川苔山(川乗山とも言います): 左のピークです。
多摩川の北側の山では一番人気かも知れません。
ただ大岳と違ってある程度ケーブルで登るという訳ではないのでどのコースをとっても少し健脚向きとなります。日が長い季節に行ったほうが良い山です。
両方とも若い頃良く歩きました。
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今日のなぞかけお題 「 ふるさとの山々 」
愛媛の宇和にいたときは、宇和盆地を見下ろす小学校の校歌にも歌われた山、松葉城 がありました。
山城の跡で町ろ見下ろすシンボル的な山です。
そしてもう一つ町の真ん中に張り出しているサイレン山。
正午を知らせるにサイレンがなっていました。
どちらも子供の頃良く遊んだ山です。
紫苑さんは時々寝床を替えます。
今年はテーブルの上のこのごちゃごちゃしたところが気にいっているようです。
テーブルの下にこっぽりして温かいところが作ってあるのに、ここでみんなを見ています。
ですから、この場所が片付けられません。
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昨日近くのスーパーに母がお節とケーキを予約にいきましたら、予約しようと思っていたものは全て売り切れで別の種類に替えたとか。
年末モードですね。
今日の最低気温1.7度 寒いです。
ぶたころしゃんの生まれた所に山がありましたね。あれが松葉城ですか?
ふもとには伊予柑が植えられていました。
ぶたちゃんの里に行ってもう1年が経つのですね。今年もあと半月・・・・
早いですね。
今日のお題
故郷の山々とかけまして
遠距離恋愛と解きます
そのこころは
遠くにありて思うもの
おはようさん。
はやいものですね~。
町から山の上の岩の城砦は目立つので町のシンボルになっている山です。
いたときはただ松葉城と言う事で今まであまり城としての事に興味が無かったのですけど、今ネットで見てみると、けっこう面白いです。
松葉城で検索すると幾つかでてくるのですね。
以下 ネットから引用
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松葉城(★★ 愛媛県西予市宇和町下松葉)標高410m、比高170m。
嘉禎二年(1236)宇和地方は西園寺公経の荘園となり、西園寺氏が松葉城の前身である岩瀬城に入城したのは、公良の時の永和二年(1376)であったといわれている。のち一九代実充が黒瀬城に居城を移す天文年間ごろまで、約一七〇年間西園寺氏の居城として栄えたが、本城を主とする攻防の歴史は今一つ不明である。
松葉城は標高四〇九.九米、宇和町下松葉裏山にあって、典型的な山城で、平にされた山頂は三段に分かれ、面積約四〇アール余りで、土塁、井戸のほか当時の遺物も多い。山頂は、きつ立した岩をめぐらし、万兵を防ぐに足る要害の地といえる。
かつては周辺の老松が古城跡に風情を添えていた。古書に「祝儀の宴あり、松の葉嵐につれ来り盃にとまる(中略)一千年色盃深し、目出度奇瑞なりとて松葉城と改められる由」とある。城では、たびたび能の会を催すなど、優雅な貴族出身たる城主の一面をのぞかせている。城跡からは、青磁等が多量に出土していて、都の香り高い文化がうかがえる(『城址案内板』)。
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ん~、住んでいた時もっと興味を持っていればよかったやないの。
まさに、ウサギ追いし かのやま、
こぶなつりし かの川 であります。
そのウサギも今は老いた事でしょう。(ウサギ老いし)
再び直接見る事はありませんが、記憶の中の松葉城は子供の頃のシンボルとして今もなお鮮やかな姿を留めているのでした、
「 ふるさとの山々 」 と かけまして、
「 東京の電車 」 と ときます。
その こころは、
校歌(高架)になっている場合も多いでしょう。
筑波山が見える時があります。
以前500ミリレンズで撮影したら頂上の電波塔も写っていました。
おはようございます。
それぞれの心の山 と言うのがありますね。
日本はどこに言ってもシンボル的な山がありますね。
知っている山に思いがけないところで出会うと懐かしい知り合いにひょっこり出あった気持になります。
大岳山、キューピー山と呼んでいました。
日ノ出山から五日市に降りてくるコースを歩いてました。また、行ってみたいです。
「ふるさとの山々」とかけまして
「カタカナの長音符ー」とときます
そのこころは ハート(ハとト)の中にあります
こんばんは。
このあたり大岳が正面に見える道があると、道をつけるときの目印にしたなと思います。
御岳、日ノ出山も良く歩かれていますね。
そう言えば先日テレビで皇太子様が日ノ出山を歩いていらっしゃるニュースを見ました。
ハートの中でいまも聳えるふるさとの山ですね。