☆史上最強の法則-海外支局☆

☆The Unrivaled Principle in History☆

東京優駿の法則4

2008-05-27 19:48:00 | 府中の法則
みなさんは、好奇心が強い方ですか?
あるいは、感性が豊かな方だと思いますか?
そうであるのなら、きっと大丈夫。
今年のダービーは大楽勝なのは間違いありません!

こちら↓

水上学著『素人でも儲かる!「血統」驚きの法則』より引用。

『●重賞、GIでも「シュボババ!」が炸裂

さまざまな状況を克服して勝ち進んできた馬が集結する重賞競走。
とくにGIなどはなおさらです。
混戦や限定選などを別にすれば、こういう場合、それまでの傾向はひとまず置いといて、
あくまでも補足として穴馬や相手探しに用いたほうがいいですね。
ならば、かわりに何をよすがにするか。
重賞というのは、ほぼ毎年メンバーのレベルはレースによって近いものになります。
施行されている時期、距離、競馬場が同じで、グレードの変更もなければ、
ひとつの重賞については毎年似たようなレベルのメンバーになる傾向があるということですね。
そうなると、そのレースで好走するために求められる能力というのも、大抵毎年変わらないということになります。
わかりやすいところで、極めつけの大レースからいきましょうか。

表2(*)は、93年以降07年までの、ダービー1、2着の父、母父馬とその系統です。
見事なまでに、同じ系統同士で決まっている年が多いことがわかります。

(後略) 』

*表2
同書では93年からのダービー1、2着を掲載していますが、
ここでは親切にも93年からのダービー1着~3着の血統傾向表に代え、私が説明させて頂きます。

ということで…

☆史上最強のダービーの法則3☆
『ダービー同系セット馬券の法則』


■93年
1着~3着の父は全て、ナスルーラ系
1着父:ナスルーラ系グレイソブリン・ラインのトニービン
2着父:ナスルーラ系グレイソブリン・ラインのシャルード
3着父:ナスルーラ系ネヴァーベンド・ラインのリヴリア

1着母父:ノーザン系ニジンスキー・ラインのマルゼンスキー
2着母父:ノーザンダンサー

■94年
1着母父:ノーザンダンサー
2着母父:ノーザン系ニジンスキー

2着父:ナスルーラ系トニービン
3着父:ナスルーラ系ミルジョージ

■95年
1着父:SS×ナスルーラ系GSラインのカロ
2着父:SS×ナスルーラ系BRラインのワットラック

■96年
1着父:ニジンスキー系カーリアン
2着母父:ニジンスキー

1着母父:ノーザン系サドラーズウェルズ
2着母父:ノーザン系ニジンスキー
3着父:ノーザン系ノーザンテースト・ラインのアンバーシャダイ

■97年
1着父:BT
2着父:BT
*この年が☆ロベルト系~5年周期の法則☆の起点となる。

1着母父:ノーザン系スイフトスワロー
3着母父:ノーザン系マルゼンスキー

■98年
2着母父:リアルシャダイ
3着父:リアルシャダイ

■99年
1着母父:ナスルーラ系GSラインのトニービン
3着母父:ナスルーラ系レッドゴッド・ラインのブラッシンググルーム

■00年
1着:SS×ナスルーラ系ボールドルーラ・ラインのロイヤルスキー
2着:SS×ナスルーラ系ボールドルーラ・ラインのウェルデコレイテッド

■01年
1着母父:ノーザン系ヌレイエフ
2着母父:ノーザン系リファール・ラインのサンキリコ
3着父:ノーザン系リファール・ラインのダンシングブレーヴ

■02年
1着:ロベルト系BT×ナスルーラ系GSラインのクリスタルパレス
2着:ロベルト系クリスエス×ナスルーラ系BRラインのゴールドメリディアン

■03年
1着~3着全て、SS系×ネイティヴダンサー系
1着:SS×エタン系クリス
2着:SS×ミスプロ系マイニング
3着:SS系ダンスインザダーク×ミスプロ系ミスワキ

■04年
2着父:SS
3着父:SS

■05年
1着~3着全て、SS系×ノーザン系
1着:SS×ノーザン系リファール・ラインのアルザオ
2着:SS×ノーザン系ノーザンテースト
3着:SS×ノーザン系ダンチヒ・ラインのデインヒル

■06年
2着父:SS
3着父:SS系フジキセキ

■07年
2着父:ノーザン系リファール・ラインのホワイトマズル
3着母父:ノーザン系ニジンスキー・ラインのカーリアン

2着母父:SS
3着父:SS系アグネスタキオン


と、ここで再び同書から引用。

『 (前略) 

過去これだけの回数にわたって、こんな符号が続いていることを目にして、
偶然として片付けるような人は、残念ながら好奇心不足、注意力不足というか感性の欠如というか・・・・・。



もちろん、こういったことは私が最初に発見したわけではありません。
一部の血統予想家、評論家も指摘していることです。
にもかかわらず、意外と皆さん、真に受けてくれないんですよね。

でも、そのおかげで我々はオイシイ思いができているというわけだから、別にいいんですけどね(笑)。

(後略) 』



オイシイ思いができるか否かは、あなたの感性次第!ということらしいです。



=つづく=

東京優駿の法則3

2008-05-27 00:01:05 | 府中の法則
ダービー検定の正解はこちら↓


あ、そうそう。
オークス検定の時も書きましたが、全部の馬名を答えられたからといって、馬券には一切関係ありませんので、念のため。 



 ところで、過去18年のダービーを紐解いているうちに、私はとんでもないことに気付きました。
☆ロベルト系~ダービー5年周期の法則☆なんて屁でもない、驚愕の新事実を発見してしまったのです↓




☆史上最悪の競馬オヤジの真実☆
自慢じゃないが私は一回もダービーを当てたことがない!!

というわけで、今回は我が惨敗の歴史を振り返ってみます。



1990年~中野コールが府中の杜にこだましたアイネスフウジン
◎メジロライアン(2着)、○ツルマルミマタオー(4着)。
偶然番長と府中に出勤。
当時、競馬に手を染め始めた頃だったので、逃げ馬が2400mを逃げ切るなんて想像もつかなかった。



1991年~トウカイテイオー
理由は忘れたが不参加。
今ならダービーより大事な用事などは考えられないが、馬券を買わなかったことは事実だ。
何をやってたんだろう?



1992年~ミホノブルボン
この年も偶然番長と府中に出勤していたはず。
90年のアイネスフウジンで逃げ馬でも府中の芝2400mは大丈夫と学習したので、ここは素直にブルボン◎。
確かこの年から馬連発売が始まったように思う。
相手は忘れたが、ライスシャワーは買ってなかった。ダービー史上初の馬連万馬券。



1993年ウイニングチケット、1994年ナリタブライアン、1995年タヤスツヨシ。
この3年間は、とある事情により、競馬は一切やっていない。
よって、私は全盛期のナリタブライアンの姿を見たことがない。



1996年~音速の末脚!フサイチコンコルド
◎ダンスインザダーク(2着)、○はサクラスピードオー(5着)。
まさかキャリア3戦目の馬が勝つとは思いもしなかった。



そして、悲劇の1997年―。
この日、私は人間が膝から崩れ落ちていく様を目の当たりにした。

愛馬シルクライトニングが皐月賞2着に飛び込み、俄然、気合の入った最強師匠は横断幕を作り、
仲間と共に朝も早よから、いざ府中へ。
今か今かとゲートが開くのを待つこと、数時間。

が、その時、悲劇の幕は切って落とされた―。

ゲート前がなんだか騒がしい。
ターフビジョンにゲート前の状況がアップで映し出される。
そこにはガックリと肩を落とし、鞍を外した安田富男の姿。
無常にも響き渡る『シルクライトニング号出走除外!』の場内アナウンス。
その瞬間、最強師匠は本当に膝から崩れ落ちた。
辛うじて、目の前にあったゴミ箱を支えにして立っているのがやっとであった。

で、一方、根っから天邪鬼な私は、ライトニング絡みの馬券は、お付き合いで単勝100円しか買っていなかったので、ショックもなにもなかった。
いやむしろ、『これは頂きだ!』と独りでほくそ笑んでいたくらいだ。
あとは、私の◎トキオエクセレントが、この除外騒動による観客のどよめきでイレ込まないことばかりを願っていた。
が、トキオ8着、○メジロブライト3着。
教訓-他人の不幸を喜ぶとロクなことはない―。

ちなみに当時製作した横断幕はこちら↓

今、こうやって再現してみると、センスのかけらも何もないキャッチコピーだが、この横断幕は後日、某競馬雑誌にデカデカと掲載されたのは覚えている。
それくらいパドックで目立っていたのだ。

でも結局、『ブライアンズタイムの血が騒』いだのは、シルクライトニングではなく、サニーブライアンとシルクジャスティスであった。

そんな横断幕が今は天井裏でネズミのフンまみれになっていることは私しか知らない。



そして、忌々しい1998年―。
1着スペシャルウィーク、2着は清水成駿の名を世の競馬オヤジのみならず、天下に知らしめた『孤独の◎』ボールドエンペラー!

当日は、偶然番長と二人で府中へ出勤。
確か、1コーナー手前の1階スタンド付近で観戦していた。
番長は、その頃は根っからの『成駿信者』だったので、素直に成駿の印通りに買って万馬券ゲット!
一方の私は、◎キングヘイロー(14着)、○スペシャルウィーク(1着)、▲ディヴァインライト(7着)…。

だが、私は馬券が当った。
なぜなら、レース前に番長から、耳元で『成駿、成駿』と何度も何度も聞かされると、だんだん番長一人だけが当るのはケタクソ悪くなってきたので、
たまたま成駿の◎ボールドエンペラーが、私の▲ディヴァインライトと同枠の8枠に入っていたのをいいことに、
上記3頭が入っている枠連を、コッソリと押さえていたのだ。
すると、驚いたことに1着3枠スペシャル=2着8枠Bエンペラーが来てしまった。
でも、払い戻しはたったの枠連2590円…
番長は10万、こちらは1万ぽっち・・・
確かに馬券は当ったが、収支はブタの喧嘩。
それに、自分で狙いすました馬ではないので、当っても全然嬉しくないので、これは的中馬券にはカウントしないことにしている。


忌まわしい事件はまだ続く。


万馬券ゲットで浮かれまくっている番長の背後から、怪しげなオヤジが一人。

オ『お!おにいちゃんも取ったの?やるねえ?
  オレはさっき来たばっかりなんだけど、適当に買ったら当っちゃってさあ。ほれ!』

と馬券を見せびらかすオヤジの手には、『馬連5=16 5000円』の印字が!

番『おおおお!凄いですねえ!65万円ですか!!』

オ『いやいや、たまたまだよ、たまたま。いやね、実はね・・・』

と、『たまたま的中』した割には、如何に馬券を的中させたかという競馬オヤジの悪癖の一つであるエンドレスな講釈が始まった。

私『・・・・・・・(あーうるせえなあ。早く何処かへ行ってくれ!)』

と、心の中で悪態をつきながら、表面では作り笑いを浮かべて適当に相槌を打っていると、
その講釈オヤジは自慢話にもいい加減飽きたのか、ようやく払い戻しの方へ歩き出したかに見えた。

と、その時である!

あろうことか、そのオヤジは我々から5m程しか離れていない場所で、別のアンチャン達を捕まえ、また馬券を見せびらかしていたのだ!

どうか、あのオヤジが当時の馬券を換金せずに今でも持ち歩いていますように―。
ちなみに的中馬券の払い戻し有効期間は60日間ですので、念のため。



1999年~アドマイヤベガ
◎オースミブライト(4着)



2000年~アグネスフライト
◎ジョウテンブレーヴ(6着)



2001年~ジャングルポケット
雨模様の府中の杜へ参戦。
お目当ては皐月賞の時から◎と決めていたジャンポケ。
マツクニ必殺ローテのクロフネは消して、○はボーンキング(4着)。



2002年~タニノギムレット
前年同様にマツクニ必殺ローテのタニギムは当然無印。
◎はずっと追いかけてた皐月賞2着のタイガーカフェ(10着)。



2003年~ネオユニヴァース
◎ネオユニヴァース、○サイレントディール(4着)



そして、赤っ恥の2004年―。

その日の府中は、真夏のような暑さだった―。

いつもは中山をホームグラウンドにしている最強師匠も府中に参戦。
そういえば、見習い小僧改め『股間節小僧』も居たなあ。
確か、小僧にとって初めてのダービーだったはずだ。
本当は、ダービーの時はメチャクチャ混雑するので、シロウトは連れて行きたくなかったのだが、
場所取り係り兼馬券買い係り兼飲食物調達係りに任命し、連れて行くことにした。
陣取ったのはゴール前200m付近。

◎ハーツクライ(2着)、○キョウワスプレンダ(4着)、▲コスモバルク(8着)

キンカメが抜け出していたのはターフビジョンを見て分かっていた。
そして、目の前でハーツが猛然と追い込んでいく姿を見て、思わず『よっしゃ~、出来上がり!!』と絶叫していた。
周りで声が出たのは私だけだった。
周りで自分だけが的中したと思い、優越感に浸っていた。

と、その時!

師匠の声が聞こえた。

『あれ?キンカメ買ってたの?』

・・・・・はっと我に返った。

競馬ブックを丸めてブンブン振り回していた右手の収めどころなど考えるヒマはなかった。

『へ???キンカメ????・・・・』

それでも、競馬ブックは回っていた。

『買ってない・・・・・』と言いながら、ブックを振り回すのを止めた。

その日の府中は、真夏のような暑さだった―。

氷が解けるよりも早く、軍資金は溶けていった。
ダービーの時は、一万円しか残っていなかった。
ハーツクライ◎は動かせない。
となれば、相手は絞るしかない。
そこで、抜擢したのが前走皐月賞13着のキョウワスプレンダ。
ダービーでは13番人気で、ハーツ=キョウワの馬連は200倍をつけていた。
迷わず5000円突っ込んで、100万円を獲りに行った。
傍目で見ていた師匠は、『じゃあ、オレは200万ね!』と言いながら、一万円を突っ込んだ。
問題は、残り5000円をどうするか?
悩みに悩んだ。
ハーツからバルク、キンカメに均等に流すか?
でも、それじゃあ当っても幾らにもならない。
ならば、どちらかを切って三角買いが正解か?

その日の府中は、ワイハーのように暑かった―。
行ったことはないけど、なんとなく、それくらい暑かった。

北海道を根城にするバルクは不利じゃないのか?とも思った。
北海道産でも、名前がワイハーっぽいキンカメの方が有利!とも思った。

でも、結局、クロフネ、タニギムと同じNカップ⇒ダービーと、マツクニ・必殺ローテを嫌気してキンカメを切った。
ハーツ=バルクに4000円、キョウワ=バルクに1000円入れた。

その日の府中は、真夏のような暑さだった―。
ワイハーのような暑さであった―。

勝ったのは、ワイハーの大王キングカメハメハだった。
暑さのせいで、キンカメを切ってしまったのをスッカリ忘れていた。
仲間はもちろん、知りもしない赤の他人からも思いっきり笑われた。
しまいには、『競馬見てるより面白いですね!』と、トウシローの股関節小僧にとどめを刺された―。



そして、衝撃の2005年―。
もちろん◎は完全無欠のディープシンパクト、○は皐月賞でお世話になったシックスセンス(3着)。
否、正確に言うのならば、お世話になったのは、あのPOG大魔王・丹下日出夫氏だ。

その年の皐月賞の当日、西船橋から出ている送迎バスの一番後ろの席で、出発時間を待ちながら座っていると、
偶然にも丹下氏が乗ってきて、私の目の前の空いている席に座った。
バスを降りる際に、今日の勝負は何ですか?と尋ねると、『シックスセンス!』と教えてくれたので、
素直にシックスセンスを買ったら、なんと2着に突っ込んでくれた!
今更ながら、ありがとう!丹下さん!

そういえば、この時、同行していたシロウトの娘さんに、彼は競馬界の有名人だと私が教えてあげると、
『サインして下さい!』と、いきなり競馬新聞を丹下氏の目の前に突き出した。
その新聞は『競馬エイト』であった。
当時、『ホースニュース馬』の看板予想家に対して、ライバル紙を突き出してサインをねだるとはシロウトはなんとも恐ろしい。



2006年~メイショウサムソン
既にこの地に飛ばされていたので、NHKの衛星でTV観戦のみ。



2007年~ウオッカ
この年、☆ロベルト系~ダービー5年周期の法則☆を発見した私が選んだロベルト系は、
ウオッカではなく、ヴィクトリー(9着)。
ゲートが開いて1秒で終わってしまった、なんとも虚しいダービーであった。



とまあ、このように、とかくダービーにまつわるエピソードは尽きない。
中にはエピソードを端折った年があるくらいだ。
が、一度もダービーを当てたことがないのは紛れもない事実である。



そして、2008年―。
『ダービー馬のオーナーになるのは、一国の宰相になるより難しい』とはよく聞くけれど、
私には、『ダービーを当てることの方がもっと難しい』と思えてならない―。




=つづく=