コキュートスの記憶

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主にガンダムを中心にしています。

F90の備忘録 07

2019年08月20日 | MS & MA
□F90の備忘録
 07:ビークラブ72

月刊MSジャーナルダイジェスト版第3号(U.C.0122.10.15)
第38回のフランス・パリMSショウの取材記事が載っています。

パリMSショウは、旧世紀の航空ショウの流れを汲むもので、
0122年の第38回では、サナリィのMS群に注目が集まった。
特にF90の2号機は、ショウに前後し、
その経歴が公表されたこともあり、会場の耳目を一身に集めていた。
0122年に第38回ということは、毎年であれば、85年からの開催?

毎年恒例の模擬戦では、F90V vs ヘビーガンが注目された。
F90Vは、3機のヘビーガンを、ものの2分で撃破している。

この結果は、翌日の朝刊各紙にも掲載されたが、
「3機のヘビーガンは、地球用の調整が不完全なままだった。
今回は、軍のお膝元のサナリィさんに勝ちを譲ったということです」
アナハイム側は、このようなコメントを出している。

一方、サナリィのF90専属技官であるミヤ・サミエック氏は、
「調整が不十分なのは、こちらも同じ。実際の戦闘を見ていただければ、
われわれのF90の素晴らしさがお判りいただけると思います」
と強気な発言をしている。

ショウでは、このほかにブッホ社の新型作業用MS、
アナハイム社のジェガンの新タイプ、サナリィのGキャノンなどを展示。

ショウのレポートに続いて、F90のオプション紹介もありました。
その中で、半壊状態のF90の2号機を再生させた理由について、
前出のサミエック氏は、F90の性能が完成当初の予想を遥かに上回り、
単に強力であるとか、扱いやすいとかではなく、極めて汎用性に富み、
テストベッドとして卓越した能力を持っていたと語っています。
この軍縮の折り、数多くの目的に沿った試作機を作るよりは、
優秀で、かつ万能選手なF90をフルか稼働させた方が効率が良い。
また、氏は、アナハイム社のGPシリーズにも触れていました。

これに対し、軍事評論家のケンス・E・バタン氏は、
実験機というのは、量産のことなどは、一切考えていないので、
現行機種とのパーツの互換性もなく、制作コストが莫大となり、
F90の価格は、ヘビーガンの約30機に相当すると言われているとします。
30機分相当というのがどこまで信憑性があるのかはよく判りません。

で、肝心のオプションは、F90IIのLタイプが載っています。
超長距離からの狙撃、攻撃用の装備で、超高出力のロングライフル、
精密照準用の複合センサー、サーモスコープと追加スラスターパック、
中距離用ミサイルランチャー、予備Eパック、予備弾倉という構成。
もちろん、1、2号機の共用となっている。

主兵装である右腰のロングライフルは、ビームと実体弾を選択して
発射できる複合式で、ビーム誘導用のIフィールドを銃身内に形成できる
技術が完成し、初めて実用化の目途が立ったそうです。
ビーム仕様では、拡散率が極限まで抑えられた超長距離用ビームで、
有効射程距離は、100km以上に及ぶとされています。
これは、サイド内でのコロニー間の距離に相当するそうです。
実体弾仕様では、弾体の周囲と尾部に爆発式のバーニアペレットがあり、
それを発射後に爆発させることにより、限定された角度内において
方向転換が可能となっています。自己判断方式ではなく、
発車前に弾頭の記憶チップに進路を入力する方式となっています。
なので、事前に標的の位置を把握しておかなければいけませんね。

最後にサナリィについてのコラム内では、
当時、アナハイム社の開発部メインスタッフだった何人かが、
平凡で安価なMSを作り続ける同社に不満を募らせ、
第2次ネオジオン抗争に前後して、独立をしたそうです。
で、彼らは、民間のMS研究家(旧ジオン系、ネオジオン系の技術者も
数多くいた)にも声を掛け、独自に研究機関を設立したとされています。
この辺り、ジョブ・ジョン氏が関わっているんでしょうか??
EBのザンスカール戦争編では、サナリィ再編が0093年9月です。
帰還のフークバルト氏は、サナリィ(後の)の存在よりも先に
自社スタッフの流出を食い止めることに尽力した方が良かったかも。

あとは、F91のバックキャノン装着時(完成予想図)や
特集2として、可変MSはなぜ滅びたか?が掲載されています。
コメント
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