フラメンコ教室 大阪市住之江区 三重県名張市 『寝ても醒めてもフラメンコ』

フラメンコのこと、日々のささやかな想い、暮らしのことなどを、とりとめもなく綴っています。

老ワンコ

2011-11-27 | 日記
昨夜、ウチの老犬が昇天した。

私は特に愛犬家というわけではないので、ペットを話題にすることは少なかったが、この家に住む前から犬は居たのだ。
引っ越してきた頃、犬は(←可愛い名前があるのだが、ここでは感情が入らないよう犬と言っておく)若くて元気なギャルだった。飼い主である祖母が亡くなった朝、犬は居なくなった。不思議に思っていたが、叔父さんが保健所に連れて行ったと知り、夫が慌てて引き取りにいった。間一髪で助かった犬を撫でた時の感触は今でも覚えている。犬は汗かかない、って言うけど、恐怖のせいなのか?毛並みがネットリしていた。それからずっと、我が家で面倒を見ることになるが、ほとんど手のかからない空気のような存在だった。もちろん散歩に連れて行ったり餌をやったり、たまに洗ってやったり・・・ということはあるが、愛犬家達がわが子のように可愛がっているのに比べたら、ウチでは全然ほったらからかしで、ペットというより<番犬>という認識。主に近所の大人や子供が遊んでくれていた。外に繋いでいる犬っちゅーのは、やたら道行く人に声をかけられる。皆が犬の名前を知っていて、たくさんの人に愛されてきた。牛乳配達のオッチャンは、「ワシ1人じゃ1本多すぎるから、半分飲んでもらってるねん」といつも牛乳を与えてくれた。朝の散歩に連れ出すと、ぐいぐい引っ張られて行く先は、とある喫茶店。ママが出てきてハムをくれるのが日課だった。夏の間は近所の男の子にお小遣いをあげて散歩の係りをしてもらった。あきらかに飼い主より、周囲の人の方が可愛がってくれるので、家出した事もあったっけ。数日間帰ってこなくて、ある日夫が「あいつ他所の家の前で『当然よ』って感じで座っとった!!」と憤慨しながら連れ戻しに行った。
ここ数年は夫が散歩に行ってくれるようになり、私は「お役ゴメン」とばかりに犬のことを忘れていた。その間に犬はどんどん歳をとり、たまに散歩に連れて行くと、その手ごたえの違いに驚き寂しくなった。いつも犬の事を気にしてくれてた向かいに住むお爺さんが救急車で運ばれた時は「おいおい、犬より先に逝くつもりかいっ」とツッコミそうになった。

もう足元もおぼつかなくなっていたし、よれよれの老犬で、先は長くないとは感じていた。3日前から夜通し吠えるようになり、これからしばらく大変だわ、と覚悟していたのに。。。死ぬ直前は、撫でると泣き止んだ。

温かくて呼吸をしていたものが、冷たくて硬い物体になってしまったのを見て、空気のような存在がけっこう愛しかった事に気づいた。後から悲しみがジワジワと襲ってきた。本当に、つつましくて賢くて、丈夫な犬だったな。たった3日で逝ってしまうなんて!!最後の最後まで良い犬だった。

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