朝、自転車で通学する息子の背中を見送りながら、交通事故に遭いませんように!と祈るのが常だった。3日前から、祈りの項目が不自然に増えた。変な人に遭遇しませんように、もし遭遇しても、察知して逃げられますように、とか・・・長いっ!💦
もう高校生にもなる息子に対してそうなのだから、小さいお子さんを送り出すお母さん達は、どんなに心配だろう。「いってらっしゃい」が最後になるなんて、想像するのも辛い。
犯人に対して、死にたいなら1人で死ねばいい!と糾弾する世の中に、警笛を鳴らす意見が話題になっている。実を言うと私も、誰かを巻き込んで死ぬなんて酷い!と思っている。でも、そういう犯行に至らしめたのは、今の社会に原因があるのかも。犯人を糾弾していいのは、犠牲者の家族だけだと思う。
この春に、東大入学式の祝辞で話題になった上野千鶴子さんの言葉が印象に残っている。 私が感銘を受けた部分を、東大のホームページから抜粋。
『あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。』
冒頭の事件の続きに載せてしまうと、誤解を招きそうなので断っておくが、決して犯人を擁護するものでは無いです!!!絶対。
近頃の私は、この祝辞について考えたかと思えば、ふと幸福度の高い国はどんな政策なんだろう?と気になったり、思考があっちこっち。(失業率高いスペインの方が、日本より幸福度高い ー😵)
とりあえず朝の送り出し(祈り)は、具体的にあれこれ心配するのをやめて、短く「神のご加護がありますように」に、まとめてみようかな。
若葉が膨らみつつあるモン子💚