ぶつぶつ地蔵

地蔵 呟く ひーの言葉を。ぶつぶつと…。

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時の日に時を刻む遣唐使

2009-06-12 15:29:45 | 舞台関係
6月10日、時の記念日。
この日に新たな時を刻むイベントがございました。

来年の遷都1300年を前に、2年がかりで完成する物語『オペラ 遣唐使~安倍仲麻呂
~』の上演です。

薬師寺さんでこのチラシを見つけたときには、何が何でも絶対に行く!!と、鼻息を荒くしたもんです(笑)
気合十分、会社もお休みし、プレトークから参加してようやくその本番を見てまいりました。
舞台は、薬師寺玄奘三蔵院に作られた特設開場。
天気は生憎の雨でございましたが、外ならでは、雨音さえも効果の一つの様でありました。



一幕。
万葉集に載っている、一人息子を遣唐使として送り出さねばならない母の歌を謡に、シテが舞います。更に返歌を口ずさみながら、母は息子の無事を祈るため寺へと参詣します。
しかし僧侶に「この寺は国家の安寧を願う寺である。個人の願いを願う寺ではない」と追い出されてしまいます。
そこへどこからともなく「我も祈らん」と口々に言いつつ僧侶が出て来、般若心経の大声明となります。
僧侶達が去った後、母は墨染めの衣の二人の僧侶に支えられ、不東のお堂の中へと消えてゆく。


遣唐使の母の歌
 秋萩を 妻問ふ鹿こそ
 独り子に 子持てりといへ
 鹿子じもの 我が独り子の
 草枕 旅しに行けば
 竹玉を しじに貫き垂れ
 斎瓫に 木綿取り垂でて
 斎ひつつ 我が思う我が子
 ま幸くありこそ

返歌
 旅人の
 宿りせむ野に
 霜降らば
 我が子羽ぐくめ
 天の鶴群



第二幕
続日本紀に載っている、平群広成の体験がベースとなってお話は構成されている。
唐へ無事に着いた遣唐使らであったが、任務を無事終え帰国の途に着いたとき、4隻の船は悪天候のため難破してしまう。
1隻は何とか国に帰り着き、1隻は数年を掛け国に戻ります。1隻は行方がわからなくなり、1隻は崑崙国(今のベトナム辺り)に漂着。115人乗船していたが、殺されたりマラリヤにかかったりしてほとんどが死んでしまう。広成ら4人だけが生き残った。
崑崙王に謁見したが、崑崙王は4人を幽閉してしまう。唐系の崑崙人によって唐へ逃がしてもらった広成ら4人は、当時、玄宗皇帝の寵を受けていた安倍仲麻呂を頼って帰国を願い出る。
第二幕第一場は、皇帝の代参で参詣に来る仲麻呂に会おうと、寺に忍び込んだ遣唐使が寺の僧侶に見つかるところから始まります。
高僧の前に引き出された遣唐使は、自分の身の上を語り仲麻呂に会わせてもらえる様お願いをします。
高僧は仲麻呂に引き合わすのはかまわないが、遣唐使である証はあるか、と訪ねる。
難破し崑崙国より逃げてきた遣唐使に、自分を証明するものはない。その口論をしているところに、仲麻呂が登場する。
事情を高僧から聞いた仲麻呂は、遣唐使にしかわかり得ないことを問い、それに答えることで遣唐使の証を立てさせた。
問いの1.遣唐使となるために詣でた場所・・・春日大社
問いの2.遣唐使が船出する時に詣でた場所・・・住吉大社
問いの3.難破した時に祈ったこと
三つ目の問いの答えに、遣唐使は最初「国家を祈った」と言うが仲麻呂は否と言う。
もう一度考え、「自分の命を祈った」と答える遣唐使に仲麻呂はまた否と言う。
なぜ自分の命を永らえる事を願ったか考えた遣唐使は答えにたどり着く。「父、母の元へ戻るため、自分の命を祈った」と。
父母の縁で誕生した自分が生きて戻ることこそ国家の為に繋がる、と仲麻呂は遣唐使を認める。
皇帝に帰国のための願いを出すと仲麻呂は遣唐使に約束をする。遣唐使は「仲麻呂様も一緒に帰国いたしましょう」と言う。

第二幕第二場
皇帝の勅許を遣唐使に渡す高僧。
仲麻呂様は?と問う遣唐使に、高僧は仲麻呂は帰国しない旨を伝える。
何故と問う遣唐使に、皇帝は仲麻呂の帰国を善しとして居らず、自分が帰国しない事を条件に遣唐使たちを帰国を提案したと伝える。
呆然とする遣唐使に高僧は、仲麻呂からの手紙を渡す。
そこには、縁によって生まれ出たこと。生まれたことによって新たな縁を結んでいくこと・・(的な^^;微妙でスミマセン)仲麻呂の気持ちが書かれていた。
三蔵院の門のところに母が立ちその後ろに僧侶が並ぶ。八角堂に李白の侍女が現れクライマックス。
李白の侍女が阿倍仲麻呂の歌を詠む。

 天の原 ふりさけみれば春日なる 三笠の山に いでし月かも

この歌の時に、八角堂の後ろにある絵殿の扉が開かれ、平山郁夫画伯の障壁画、天山山脈が紺碧の空と共に現れる。

遣唐使は無事母の元に帰り、仲麻呂は唐に留まった。
この物語は来年の時の記念日に第3幕を上演して完結する。
仲麻呂は李白とも友好があり、李白の侍女の2幕ラストの登場は3幕への架け橋となっているそうだ。




個人的な感想。
この物語の縦軸は母、横軸は縁だったのだと思う。
詠み人知らずの母の歌を縦糸に、遣唐使として旅立った者たちの思いが横糸として織り込まれている。
縦糸の母をお能という静で表現し、遣唐使らの思いである横糸をオペラの動で表していたように思う。
仲麻呂と遣唐使の問答のシーンと、仲麻呂の手紙のシーンがとても感動的だった。縁って偶然で必然で絶対切れないものなんだぁって思った。
実はワタクシ、三蔵院の障壁画・・・一度もイイ!って思ったことがなく^^;(すごいとは思うんですが、イマイチ、ぐっと来るものがなくって・・・ガラス越しってのも大きな要因ですが、ガラス越しになる前も・・・とにかく、心の中で微妙な位置にあったんです)
でも、今回のあの演出で出現した天山山脈は、すっごい良かったです。
遣唐使の母子の縁だけでなく、あの、三蔵院だからこそ、シルクロードを伝って玄奘三蔵がもたらした経典・仏教との縁も繋がったのではないかと。母の思いは仏の思いにも似て。
割れるように響いた声明と。ラストの銅鑼と鐘の掛け合う音と。
仏・唐・大和が繋がっているような気がした。


昨日の新聞に載っていた記事。

声明を唱えた薬師寺の僧侶の中に、ものっそ、ええ声の方がいらっしゃって。
オイラのお気に入りの方だといいな~と思ってみておりましたら、ええ声とその方と、息継ぎのタイミングが違いました。残念!(笑)


来年の6月10日。
既に予定が入りました。
めっちゃ楽しみです。