11月8日、念願の姿月あさとさんの歌声を聞いた。
その舞台は『眠らない音』である。
華奢な体からは想像もつかない声量が溢れ出す。
伸びやかで、透明感のある歌声には惚れ惚れした。
もう1人お目当ての人がいた。
岡幸二郎さん。。。そう、プロデューサーズの手の人だ。
朗々と響く歌声。
岡さんが歌うと、岡さんの歌声以外感じられないくらい引き込まれた。
プロデューサーズの時とはまったく違う岡さんの歌だった。
1幕ラスト近くの岡さんのソロのシーンでは、歌声と共に岡さんが輝いて見えたほどである。
感動のあまり泣く・・・と云うのではなく、泣くしかないって感じで泣いていた。
姿月さんの歌声にはゾクゾクとした響きを体に感じたが、岡さんの歌声には体がからっぽになった気がした。
このお二人の他に忘れてはならないのが、森山開次さんのダンス。
人間ではない動きをする方で、ある時は壊れた鳥に。ある時は砂漠の生きものに。。。
不可思議で異次元をかもし出す動きに目が離せないのである。
ストーリーは詩人と月との会話。
ハンス・クリスチャン・アンデルセンの『絵のない絵本』を原案に作られた舞台である。
全ての音に心を掻き乱される、感受性の強い人。時計塔の上に住む詩人は世界を旅し、自分の書く詩に無力感を感じていた。全ての音から逃れようと、自分の内なる言葉にのみ耳を傾けようとする。それでも割り込んで来る音。音は、眠らない。
散文的な月の語る物語と、詩人の揺れ動く心の内。
それを彩る音楽は、クラシックを中心に民族音楽やゴスペルナンバーなどがちりばめられている。
回りの音から逃れず耳を傾けた時、詩人は自分の内から溢れ出す言葉が無意味でない事に気付く。
クラシックを聞いた時の様な、オペラを聞いた時の様な、ミュージカルを観た時の様な、動きのみの無声映画を観た時のような、モダンバレエを観た時の様な、詩の朗読を聞いた時のような・・・いろんな満足感を感じられた舞台であった。
素晴らしい。
素直にそう思った。
その舞台は『眠らない音』である。
華奢な体からは想像もつかない声量が溢れ出す。
伸びやかで、透明感のある歌声には惚れ惚れした。
もう1人お目当ての人がいた。
岡幸二郎さん。。。そう、プロデューサーズの手の人だ。
朗々と響く歌声。
岡さんが歌うと、岡さんの歌声以外感じられないくらい引き込まれた。
プロデューサーズの時とはまったく違う岡さんの歌だった。
1幕ラスト近くの岡さんのソロのシーンでは、歌声と共に岡さんが輝いて見えたほどである。
感動のあまり泣く・・・と云うのではなく、泣くしかないって感じで泣いていた。
姿月さんの歌声にはゾクゾクとした響きを体に感じたが、岡さんの歌声には体がからっぽになった気がした。
このお二人の他に忘れてはならないのが、森山開次さんのダンス。
人間ではない動きをする方で、ある時は壊れた鳥に。ある時は砂漠の生きものに。。。
不可思議で異次元をかもし出す動きに目が離せないのである。
ストーリーは詩人と月との会話。
ハンス・クリスチャン・アンデルセンの『絵のない絵本』を原案に作られた舞台である。
全ての音に心を掻き乱される、感受性の強い人。時計塔の上に住む詩人は世界を旅し、自分の書く詩に無力感を感じていた。全ての音から逃れようと、自分の内なる言葉にのみ耳を傾けようとする。それでも割り込んで来る音。音は、眠らない。
散文的な月の語る物語と、詩人の揺れ動く心の内。
それを彩る音楽は、クラシックを中心に民族音楽やゴスペルナンバーなどがちりばめられている。
回りの音から逃れず耳を傾けた時、詩人は自分の内から溢れ出す言葉が無意味でない事に気付く。
クラシックを聞いた時の様な、オペラを聞いた時の様な、ミュージカルを観た時の様な、動きのみの無声映画を観た時のような、モダンバレエを観た時の様な、詩の朗読を聞いた時のような・・・いろんな満足感を感じられた舞台であった。
素晴らしい。
素直にそう思った。