およその文献には、茶道は心を習うものとか、仏法を習うとかという書き出しがあります。しかし、流派に拘泥した茶ではその現実は難しいものになってしまいます。自分の心が生かしきれない、自分の心が表しにくい他人の茶法のまねは、基礎は学べてたとしても、永遠に自分の茶にはなりません。茶道による、心の成長は、自己を学びさらに自己の解放をすることです。点前を学ぶという事は、所作の隅々にまで合理性や、調和を求めたものでなくてはいけないのです。点前とは、こうしなければいけないという、束縛を学ぶのではなく、動きの根本原理を知り、そこからの無限の可能性を予感させるような、自由を学ぶものなのです。
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