トランプ来日 「メラニアは大変皇后を尊敬しています」新天皇と雅子さまが受け継ぐ“皇室外交”の本質
令和の皇室外交がトランプ米大統領の来日でスタートする。宮中晩餐会を主催される新天皇と皇后が、トランプ大統領夫妻を国賓としてどのようにもてなすか、注目が集まる。
新天皇と皇后の「皇室外交」のはじまりは、1994年、ご成婚後のアラブ7カ国訪問に遡る。当時、徳仁皇太子と雅子妃は、男女が同席しないイスラムの慣習に基づいて別々に晩餐会に臨んだ。男性社会の中東で、雅子妃は元外交官だったキャリアを活かし、女性王族に囲まれて通訳なしで会話を和ませたという。アラブの女性王族の中に女性皇族が入ったのはこれが初めてで、「アラブの王室と重層的な関係が作れたのは大きな意義がある」と評価された。
新天皇と皇后の、上皇と上皇后になかった特質は、外国での生活体験(いずれも英国での暮らしだった)があるということだ。経験に裏付けられたグローバルな国際感覚を持っていることでもあり、これは令和の皇室外交の大きな強みとなるだろう。トランプ大統領の父はドイツ、母はスコットランドからの移民で、メラニア夫人は東欧スロベニア出身。欧州をよく知り、世界各国を訪れている両陛下との間で話が弾むのは間違いない。
トランプ大統領のふだんの言動から、両陛下や皇族に対して失礼な振る舞いがなければいいが、と心配する声が一部にある。しかしその心配はないと思う。すでに“予行演習”をしており、同大統領も日本の皇室のありようもしっかり勉強しているからだ。
同大統領は2年前の2017年11月、当選後初のアジア歴訪で日本を訪れた。このときトランプ大統領とメラニア夫人は、天皇、皇后だった現在の上皇、上皇后のお住まいの皇居・御所を訪れ、懇談している。
トランプ大統領は天皇に「お会いできて大変光栄です」と述べ、天皇は「お気持ちをうれしく思います」と応じ、懇談は和やかに行われた。天皇は大統領と通訳を介して、皇后はメラニア夫人と英語で話した。天皇は大統領に「両国はかつて戦争をした歴史がありますが、その後の友好関係、米国の支援で、今日の日本があると思います」と感謝を表明している。懇談後、両陛下は御所の車寄せまで見送ったが、トランプ大統領は皇后に「メラニアは皇后さまを大変尊敬しています」と語った。これはお世辞ではないだろう。
懇談に同席した宮内庁関係者は「大統領は日本の皇室の歴史や、天皇陛下の日本における位置付けをしっかりと認識し、敬意を払って対応された」と語っている。トランプ大統領夫妻は訪日前のブリーフィングで美智子皇后が皇室で果たしてきた役割を知り、特に同じ立場のメラニア夫人は尊敬の念を強めたと思われる。
今回、トランプ大統領は初めて皇居・宮殿に足を踏み入れ、晩餐会などのもてなしを受ける。同大統領がどのような印象を受けるか興味深い。というのは皇居・宮殿に初めて足を踏み入れた外国の賓客の多くが、その雰囲気に強い感銘を受けるからだ。
世俗的な欧州の王室にはない鎮まって凛とした空気。広い大きな空間に余計な装飾は一切なく、品のいい花瓶が一つ置いてあるだけ。贅沢な装飾をこれでもかと重ねていく米欧のインテリアとは対極にある、質実で堅実なミニマリズムの美だ。そこに日本人の精神的ありようを見る賓客は多い。安全保障、経済、貿易など、日米の懸案は横に置いて、トランプ大統領にとって日本再発見の機会になるのではないか。
皇室にはどこの元首の館にもない原則が徹底されている。それは「誰に対しても差別せず平等に、最高のもてなしで接遇する」との両陛下の姿勢を反映した原則だ。宮中晩餐会はフランス料理にフランスワインと決まっているが、ワインは常に最高級品が出される(白はブルゴーニュ地方、赤はボルドー地方、シャンパンは祝宴のときの定番のドン・ペリニョン)。これは米国であろうと、アフリカの小国に対してであろうと変わらない。
残念ながらトランプ大統領はアルコールは嗜まないから、ワインに興味はないだろう。しかしこれはすごいことなのである。米ホワイトハウスも、英バッキンガム宮殿も、はたまた仏大統領官邸のエリゼ宮でも、自国との関係性によって待遇に差をつけるのはふつうのことだ。自国にとって大事な国であればより高級なワインを出すし、さほど重要でない小国であればそこそこのワインですます。政治の世界では差をつけることは当たり前に行われている。しかし皇室はこうした政治性から一線を画しているのである。
皇室は政治にかかわらないが、皇室が強力なソフトパワーであり、日本外交にとって最大の外交資産であることは外交に携わる人たちの共通認識だ。日本の首相が何度訪問しても不可能だったことを、天皇が訪れることによってなし得たことは少なくない。一例がオランダである。
日本人にとってオランダは風車とチューリップの国で、江戸時代から出島を通じて文物と世界の情報をもたらしてくれたというよきイメージがある。しかしオランダ人の日本に対する認識は第二次大戦にある。戦争の緒戦、日本軍は蘭領インドネシアを占領し、オランダ人の軍人、民間人の計約13万人を強制収容所に入れ、栄養失調や風土病などで約2万2000人が亡くなった。死亡率は約17%に上り、シベリア抑留で亡くなった日本人捕虜の死亡率(約12%)より高い。
これは戦後、特に引揚げ者に日本への恨みとして残り、1971年に昭和天皇が非公式訪問した際には、デモ隊が投げた魔法瓶で昭和天皇の乗った車の窓ガラスが割れた。こうしたこともあって、オランダは両陛下が訪れることの出来ない国として最後まで残った。
先の天皇、皇后が初めて国賓として訪れたのは日蘭交流400周年の2000年。最大の焦点は訪問してすぐに行う首都アムステルダムの戦没者記念塔での慰霊だった。約2500人の市民が見守り、全国にテレビ中継されるなか、両陛下は慰霊塔に花輪を供え、黙とうした。「長い、長い黙とうだった」と、そこに居合わせた日本の外務省関係者は異口同音に語っている。
その夜、ベアトリックス女王主催の歓迎晩餐会で、天皇はここでも異例ともいえる約10分間の長い答礼のお言葉を述べた。両国の長い交流に触れ、先の大戦について「深い心の痛みを覚えます」と語り、同時に両国の関係のために力を尽くした人々の努力に「改めて思いをいたします」と結んだ。
4日間の滞在中、両陛下はさまざまな人と交流した。ライデン大学では、両陛下は寮の窓から手を振る女子大生たちに気付き、足を止めて言葉を交わした。この模様は新聞一面に写真付きで大きく掲載された。また小児身体障碍者施設では女児が皇后から離れようとせず、皇后が微笑みながら抱いている写真も新聞を飾った。これらは日本に対するオランダ世論を劇的に変えた。当時、両陛下を迎えた元駐オランダ大使の池田維氏は「両陛下の訪問で日蘭関係が新しい段階に進むことができたのは、いま振り返れば明らかです」と語る。
2006年、ベアトリックス女王は適応障害で療養中の雅子妃を、皇太子、愛子内親王とともに静養のためオランダに招き、離宮などで2週間過ごさせたが、これも様々な歴史を経て、皇室がオランダ王室と家族ぐるみでつきあってきたからこそ実現したものだろう。
究極のところ皇室外交は、天皇、皇后の人間力に負っている。両陛下の振る舞いやお言葉が、訪問国の人々の間に日本のよきイメージを浸透させ、これが国と国との友好的な雰囲気を醸成する。
新聞やテレビでは「天皇は外国元首と面会された」「皇居・宮殿で晩餐会が開かれた」と断片しか伝えられない。しかし長い伝統文化をバックにした静かな皇室外交には、人間味溢れる心の交流があり、彩り豊かな人間模様が広がっている。またそういうものが国と国の関係を動かしているのも事実なのである。