不妊治療は32、3歳のときに始めていた。
治療をしている方々の平均年齢はまだ少し上だと聞いて、焦りなどはなかった。
タイミング療法からのプラス ホルモン投与。
1年ほど通院し、やめた。
注射がとても痛く、不妊治療専門のクリニックはいつも混んでいた。
それに、その頃部内での仕事が変更になり、これまで置いていなかった社長秘書に命ぜられた、
仕事が楽しくなった。
それでも子作りが目的の営みはキチンと行われていた。
でも、授からなかった。
私は38歳になっていた。
年が明けた1月。夫から想いを伝えられ、再度となる治療を決心した。
焦らなくてはならない年齢を迎えていた私たちは、迷うことなく体外受精を希望した。
体外受精を望む夫婦には医師との面談が必須だった。面談までに3ヶ月かかった。
面談のとき、医師からキツイ言葉で体外受精への覚悟を試された。
自分たちの甘い覚悟に気づかされることになる。これは体外受精の話ではなく、「命」の話なのだ。
そして芸能人の高齢出産報道が美化されており、迷惑だと怒っていた。
年を重ねるごとに赤ちゃんが授かる確率は減少し、リスクは高まることを報道すべきだと。
そう言えば「まだまだ若いじゃない」と不妊治療を経験していない人からよく言われた。
そうして、私たちの治療が始まった。
2012年6月の話。
cocchiy
治療をしている方々の平均年齢はまだ少し上だと聞いて、焦りなどはなかった。
タイミング療法からのプラス ホルモン投与。
1年ほど通院し、やめた。
注射がとても痛く、不妊治療専門のクリニックはいつも混んでいた。
それに、その頃部内での仕事が変更になり、これまで置いていなかった社長秘書に命ぜられた、
仕事が楽しくなった。
それでも子作りが目的の営みはキチンと行われていた。
でも、授からなかった。
私は38歳になっていた。
年が明けた1月。夫から想いを伝えられ、再度となる治療を決心した。
焦らなくてはならない年齢を迎えていた私たちは、迷うことなく体外受精を希望した。
体外受精を望む夫婦には医師との面談が必須だった。面談までに3ヶ月かかった。
面談のとき、医師からキツイ言葉で体外受精への覚悟を試された。
自分たちの甘い覚悟に気づかされることになる。これは体外受精の話ではなく、「命」の話なのだ。
そして芸能人の高齢出産報道が美化されており、迷惑だと怒っていた。
年を重ねるごとに赤ちゃんが授かる確率は減少し、リスクは高まることを報道すべきだと。
そう言えば「まだまだ若いじゃない」と不妊治療を経験していない人からよく言われた。
そうして、私たちの治療が始まった。
2012年6月の話。
cocchiy