それでもいい、という歌詞から始まる
HYの366日という曲。朝ラジオから流れた。
ふと、父のことが浮かんだ。
それでもいい、それでも生きていて欲しいと
願った家族の決断は父にとってどうだったのか。
2007年3月、父が脳出血で倒れた。
大学病院に駆けつけた家族は重い後遺症が
残ることを医師から聞かされた。
後頭部下の辺りで出血が起こっていて、
寝たきり、食べれない話せない呼吸ができない。
季節のものを好む人。筍、蕨、山芋、鮎、貝。
広い畑を借りて採れた野菜も旬のものも、
分ける人だった。配りに行ってた。
酔っ払うとこだけが嫌なとこで、
あとは全部好きだったし、尊敬できる人だった。
倒れて1週間が経過。延命について説明あった。
迷いはない、家族一致の決断だった。
気管切開、胃瘻、寝たきり。
それでもいい。
それでもいいから生きていて欲しい。
倒れて9ヶ月後、自宅介護を選択した。
見舞いに来てくれる人が言った。
「お父さん、ここまでして生きたかったかな」
「私なら延命は望まないな」
私たち家族の決断は間違っているの?
母も姉も、私も胸の中に持っていた不安。
父は話せない。
意思疎通はできるけれど、訊くのが怖い。
次女である私は変わり果てた父が怖かった。
当時32歳。姉が私にかける圧力も怖かった。
週に1日、必ず父の元へ。
お腹に空いた穴から食事を流し込み、
絡まった痰は喉に開けた穴から機械で吸引。
下の世話。愛情だけでは生きられない。
慣れていくにつれて怖さは無くなった。
話せない分、動けない分、私は父に触れた。
手を握りハグをして時には頬にキス。
母はよく父のベッドで添い寝してたし、
姉は私以上にファザコンだったから。
とにかく女3人に愛されてた父だった。
あるとき母が涙目で別室にいた姉と私に言った。
「とーちゃん、幸せやって!」
父が縦に首を振ったのだ。
母の幸せ?という問いかけに。
自由が利かない父が私たちの選択を肯定。
嬉しかったのよ、とても。
2012年4月、倒れて5年後に父は他界。
眠る父があまりにキレイで穏やかで、
写真に残したいと思うほどでした。
不謹慎だと躊躇して諦めたこと今も後悔。
ただ父への後悔はあまりないのです。
今も会いたくはあるけれど、
父と過ごした5年間、光に満ちてたからね。
だから姉の圧力にも感謝笑✴︎
こないだ母の誕生日を祝って行ったランチ❤︎
数年前に多血症から脳梗塞を患い、
右手右足がマヒ、失語症で言葉が出づらい。
でもね幸せ〜〜〜と笑う母なのです。
色々な選択があっていい。
父が教えてくれたこと。
今日は亡き父に想いを寄せる
良い時間となりました。
最後までお付き合いいただき、
ありがとうございました✴︎
* 世界の幸せを祈ります *
cocchiy