小学時代からの友だちのお母さんが亡くなったという知らせがありました。
入院生活が長かった友人の母親を見舞ったとき、
彼女はわがままの多い母親のことを「とても可愛い人なの」と話していました。
ふっくらしていて、色白の優しそうなお母さんでした。
彼女とは年に数回だけ連絡を取り、「元気」にしていることだけは知っていました。
私はとても彼女のことが好きで、いつも会いたいと思っていました。
小学、中学、高校とずっと一緒で同じバスケ部。教習所も一緒に通っていました。
そんな彼女から「今日、お母さんが亡くなったの」と電話があり、
淡々と母の葬儀のことを話すそぶりが、辛く感じました。
お通夜にもできるだけ早く行くからと言っておきながら、
仕事が長引いてギリギリになってしまいました。
「明日の告別式は何か手伝える?」帰りかけた足を止め、聞きに戻りました。
「受付、手伝ってもらっていい?」
そんな風に言ってもらえて、なぜか救われた気がしました。
とても大切に思っている友だちなのに、辛い時に何もできずにいて、
少しでも、彼女のそばにいて力になりたかったから。
告別式が始まる前に、彼女は母親の最後の状況をこと細かく語ってくれました。
久しぶりの連絡が“お悔やみ”だったりすると、とても辛いけれど、
一緒に参列した友だち、
同じバスケ部のメンバーから返ってきたメールや電話に優しさと温かさを感じました。
彼女から届いたメールにも
「みんながいてくれて、支えになってもらっているから頑張るね!」と。
これからも、ずっと友だちでいようね。