昨年4月に最愛の父が他界してから、もう一年が経つのか。
定年退職をした翌年の春に脳出血で倒れ、重度後遺症が残った父。ベッドの上の父と過ごした5年の日々。
倒れる以前も大好きで尊敬すべき父でしたが、
元気な父とはドライな関係で愛情を示す行為は必要ではなかった。
でも、身体の自由、表現の自由を失った父に対して、でき得る限りの愛情を表現する日々でした。
常に手を握り、ハグをして、特別な日には頬にキス。父の胸に頭を当てて、「撫でて」と言ってみると、不安定ながら、
動く左手で半ば殴るみたいに撫でてくれるのです。そんな父に甘えていました。
父が亡くなったという電話が姉からかかった朝は、半狂乱でした。受話器を投げてしまった。
心の中で整理がつかないまま、息を引き取った父と過ごしました。
旅立つ準備を終えた父の穏やかな表情はとても美しく、写真におさめたいと思うほどでした。不謹慎かと撮らなかったことを少し後悔している。
一般的な葬儀を終え、たくさんの方々に見送っていただき、驚くことに父の肉体がなくなり骨になってしまいました。
そして、すぐに日常に戻り忙しい日々が始まりました。
弔問してくださった職場の皆さんにお礼を言わなければならなかった私は気丈であったと思います。
父との別れを受け入れることができているつもりでいた。
あっという間に年の瀬。父がいなくなって初めての大晦日。来年皆で集まるのが恒例。
父がいない実家に向かう車中、突如として涙が止まらなくなりました。
会いたい
父さんに会いたい。
大切な方々に報告することがありました。
「私のお腹に赤ちゃんが宿りました」
叔母たちは私の頬を撫で、涙を流し喜んでくれました。
「お父さんが一番喜んでるね」
結婚して11年と5ヶ月。
定年退職をした翌年の春に脳出血で倒れ、重度後遺症が残った父。ベッドの上の父と過ごした5年の日々。
倒れる以前も大好きで尊敬すべき父でしたが、
元気な父とはドライな関係で愛情を示す行為は必要ではなかった。
でも、身体の自由、表現の自由を失った父に対して、でき得る限りの愛情を表現する日々でした。
常に手を握り、ハグをして、特別な日には頬にキス。父の胸に頭を当てて、「撫でて」と言ってみると、不安定ながら、
動く左手で半ば殴るみたいに撫でてくれるのです。そんな父に甘えていました。
胃瘻に栄養を入れたり、気管切開して開いた穴から痰をチューブで吸い取ったりシモノセワモ。すごい経験させてくれるよね、父さん。
と素直に思えて感謝したものだ。
父が亡くなったという電話が姉からかかった朝は、半狂乱でした。受話器を投げてしまった。
心の中で整理がつかないまま、息を引き取った父と過ごしました。
旅立つ準備を終えた父の穏やかな表情はとても美しく、写真におさめたいと思うほどでした。不謹慎かと撮らなかったことを少し後悔している。
一般的な葬儀を終え、たくさんの方々に見送っていただき、驚くことに父の肉体がなくなり骨になってしまいました。
そして、すぐに日常に戻り忙しい日々が始まりました。
弔問してくださった職場の皆さんにお礼を言わなければならなかった私は気丈であったと思います。
父との別れを受け入れることができているつもりでいた。
あっという間に年の瀬。父がいなくなって初めての大晦日。来年皆で集まるのが恒例。
父がいない実家に向かう車中、突如として涙が止まらなくなりました。
会いたい
父さんに会いたい。
そしてまた春がきた。父の一周忌。
近しい親戚が集まり、手を合わせ、想いを巡らせる。
近しい親戚が集まり、手を合わせ、想いを巡らせる。
大切な方々に報告することがありました。
「私のお腹に赤ちゃんが宿りました」
叔母たちは私の頬を撫で、涙を流し喜んでくれました。
「お父さんが一番喜んでるね」
結婚して11年と5ヶ月。
父が望んでいた赤ちゃんです。
そんな、一周忌でした。
父さん、守っててね。
私たちのこと、守っててください。
頼りにしています。
cocchiy
父さん、守っててね。
私たちのこと、守っててください。
頼りにしています。
cocchiy
赤ちゃんおめでとう。
新しい命、お父様がきっと守ってくれるよ
よかったね。治療の経過報告がなかったので気になっていました。おめでとう
よかった
何となく、アナタが祈ってくれていること、
感じていました。
そんな一人ひとりの方に私は支えてもらいながら、
命を授かることができたのだと思っています。
とても前向きに治療に励めていたもの…♪
本当にありがとうね。