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なおしのお薦め本(30)『人という動物と分かりあう』

   クリエイト速読スクール文演第1期生の小川なおしさんから、お薦め本が届いています。 

 

 『人という動物と分かりあう

              畑 正憲

  人間の問題といっても、人間に着目しているだけではわからないことは多々あります。そんなとき、動物の世界を見て参考にするのもアリではないでしょうか。そこで、動物と言えばムツゴロウさん。教育の問題と関わる、飼育者を襲った馬の話を引用します。

 「馬の素晴らしさについては、百万語を使っても語り切れないが、人が馬を利用できてきた最大のポイントは、彼らの心にそなわっている抑制の能力だと思う。どんな動物にもそれはあるし、大脳の活動の最も大切な部分だと言えるが、とにかく馬では大きいのである。

 AとB、二つの行動の選択を馬が迫られたとしよう。Aは忍従の道。当面は嫌いだが、とりあえず従っていれば生き延びられる。Bは徹底抗戦の道。馬だって、追い詰められれば、身体能力が高いので、猛獣と化すことができる。

 馬は、めったにBを選ばない。Aを選び、そしてまたA´を選んでコツコツと生きていく。心にブレーキをたくさん持つのが馬だ。

 その馬が、飼育者を襲った。本来ならば、信頼し、従うべき人をである。しかも負わせた傷は、入院するほどだった」

 「襲ったのは、人工哺育の馬である」

 「生涯馬一筋という人物が、隣の別海町にいる。ペルシュロンやブルトンといった重量のある馬を育てる大道さんだ。

 どうです、人口哺育で馬が立派に育った例がありますか、と、その大道さんに聞いてみた。

 『まんず、どもなんねえな』

 それが答だった。

 『体はおが(成長)するべが、心がおがらねえ。こらえ性さねくなっからよ、肉にするしかしかたあんめえ』

 飼育者は、ミルクを与える。馬は甘えてくる。仕事についてきたりする。

 飼育者はしかし、子馬につきっきりでいるわけにもいかず、他の仕事に精を出している。そこで子馬は、ミルクの時間以外は、外にぼうっと立っていることが多くなる。哺育が余りにも日常的になり、飼育者が飽きてくるのも事実である。私は、人口哺育の子馬と言うと、日だまりにぼうっと立つ姿をまず思い浮かべる。子馬は、一日の大半を、そんな形で過ごしていた。これは、善意のネグレクションだと思う。

 まず、母馬だけを見て育つ時期を作り出せていない。だから、他の人を恐怖する心もなかった。誰が愛撫しても、それを許し、無感動にキョトンとしている。

 一途の愛着や恐怖がない。そのような回路は、使われなければ減っていく。感情の回路が減少している脳に、どうして、抑制の働きが必要であろうか。最大の美点、抑制能力が低下して、人を襲ったのだろう」

 ムツゴロウさんは、馬の話から人間の子供たちへと視点を移します。

 「怪我をするからといって自然から切り離され、現代の子供たちは箱の中で育てられている。テレビゲームの前に子供たちが座っている時間を累計すると、一体、どのくらいになるだろうと私はぞっとする。

 怒り。喜び。悲しみ。おそれ。

 ひめやかな興奮。

 それらを浴びて、命は育つ。それらは肉体で感じ、肉体を通じて脳へ伝えられるものである。感情のひとつひとつは、私たちが食べる米のご飯になぞらえられるかもしれない。米粒のひとつずつが、体の何に効く、体のどこになるのかなど、私たちは知りようがない。しかし感情の一粒一粒は、神経を通過し、それを鍛えて、回路として残していくのである」

 「あえて、実物教育とは呼ばない。子供たちに、実物に触れる生活を与えるべきだ。土を掘る。ミミズがいる。それを掌にのせてみる。顔を近づけて匂いを嗅ぐ。そのような神経を数千万回重ねて、私たちの脳は育っていく。現在の子供は、広い意味での、善意のネグレクションではなかろうか。日なたにぼうっと立つ人口哺育の子馬と、都会の子供たちの姿とが、二重映しで見えて仕方がない」

 動物たちと肌で接してきたムツゴロウさんみたいな人しか持てない見方かも、と思いました。    なおし

 

            ※クリエイト速読スクールHP

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