以前書いた禁忌(タブー)
天皇制の議論をすることはない。
居酒屋で酒を飲みながら話をすると...この話は止めましょう!となる。
国民に開かれた皇室を目指しているはずだが...タブーとなっている。
皇室を湛える話しかできない。
小説「風流夢譚(ふうりゅうむたん」において皇太子妃が斬首される記述や、
天皇・皇后の首のない胴体と言った表現が右翼による言論抑圧を目的としたテロに発展した。
右翼少年が出版社の社長宅に侵入して社長夫人や家政婦を殺傷する「嶋中事件」が起こる事態となった。
出版社も当初は(内容の如何に関わらず)言論の自由・表現の自由は守るという立場であったが
右翼団体の度重なる強い抗議や圧力が強まったため編集長や編集長次長が更迭となった。
それ以降、天皇制や皇室に対する批判は右翼団体の抗議の的になるようになった。
その光景を目の当たりした国民から天皇制や皇室を批判できない風潮を作った。
そして、これが親世代、子世代、孫世代と引き継がれている。
皇室は失敗しない。失敗させない空気がある。
人間だからミスもあってもいい気がする。
それが普通だと思う。
ネット社会が発達した割りには皇室のスキャンダルは流失しない。
マスメディアの報道も崇拝的報道が目立つ。
肯定、否定があっても...いい気がしている。
今回の秋篠宮長女の暴走婚は...ある意味、婚約者とその母を餌食にした
皇室ではない。
秋篠宮長女が”複雑性PTSD”を患ったと発表があると...報道が沈下していった。
これまた不思議である。
敗戦直後、昭和天皇の戦争責任問題が浮上したが...GHQが日本統治のため揉み消しにした。
太平洋戦争での日本人死者数は310万人以上と言われている。
軍人軍属は「天皇陛下万歳」と叫んで死んで行った。
最高指導(責任)者は昭和天皇であることは明白であり、戦争犯罪人であることも!!!
開かれた皇室であれば...国民がもって天皇・皇室に対して活発な議論があってもよいと思う。