1866年、サンドは忙しく旅をしている。
なかでもフロベールの住むクロワッセ訪問を含むブルターニュ地方への二度の旅は、二人の文学者の交流を深めるとともにサンドにとって創作の背景調査のための重要な機会となった。
1866年8月26日午前一時、サンドは素晴らしい天候のもと、美しい月明かりの中を無事に目的地に到着したと、St-Valéry-en -Cauxから息子モーリスの奥さんのリナに宛てた手紙に書き記している。
6時間の旅程。ルーアンは素晴らしいところに思えた。
しかし、デュマ一家はサン・ヴァレリ・アン・コーのおかしな drôle 家に住んでいた。水が不足しているのだった。
顔も体を洗うのも同じ一つの洗面器でなくてはならず、ビデ bidet がないことは清潔好きなサンドには驚きで耐え難いことだったようだ。
翌日のリナ宛ての手紙でも洗面に苦労していると漏らしている。
<1866年夏~年末のサンドのアジャンダ>
*6月1日ー8月1日 ノアン Nohant
*8月2日ー8月25日 パリ Paris
*8月26日ー27日 サン・ヴァレリ・アン・コーのデュマ・フィス邸に2日間滞在 St-Valéry-en -Caux
*8月28,29,30日 クロワッセのフロベール邸に3日間の滞在 Croisset
*8月31日ー9月7日 パリ Paris
*9月8日ー9月18日 ブルターニュ Bretagne ナントNantes ゲランド半島Guérande
*9月19日ー10月28日 ノアン Nohant アンジェ Angers オルレアンOrléans
*10月28日ー12月31日 パリかノアン Paris ou Nohant
*11月3日ー10日 クロワッセのフロベール邸に8日間の滞在
<出来事>
*6月1日 フランス・オーストリア両国、中立協定を結ぶ
*6月24日 クストーザの戦い:オーストリア、イタリアを破る
*7月1日 "Le Dernier Amour" のR.D.M誌への掲載開始
*7月3日 サドワの戦い:プロシャ軍、オーストリア軍に勝つ
*7月4日 オーストリア、La Vénétie をナポレオンIII世に譲渡し、調停médiation を受け入れる。
*8月9日 "Don Juan du village" の Vaudeville 座初演
*8月14日 " Lis du Japon", Vaudeville 座にて上演
*8月15日 コンコルド橋上の群衆の混雑で9名が死亡
*9月3日 新たな小説の構想
*9月末 ロワール河流域の甚大な洪水 郵便物の配達停滞
*10月19日 ナポレオンIII世、オーストリアに La Vénétie を返却
*10月22日 息子モーリスの『蝶々の世界』のための序文執筆
*11月10日 『戯曲全集』刊行予告
*11月17日 『デゼルトの城』および『村の界隈の散策』
*11月18日 グノーの「ファウスト」のコンサートに
*12月22日 体調優れず Favre医師の往診
*12月31日 ひどい胃痙攣 crampes d'estomac atroces に襲われる
典拠元:George Sand, Correspondance, t.XX, réunis, classés et annotés par Georges LUBIN, Classiques Garnier,1985
上の画像はゴシック建築の代表として知られるルーアンの大聖堂です。
モネが時間と光の具合によって様々な姿をみせるこの大聖堂を連作にして描いたことでも有名な教会です。
下の画像は現在のルーアンです。
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