1823年6月30日生まれの息子モーリスは、この頃は10歳少し前。教育は家庭教師に任されていましたが、この家庭教師が結婚したため、サンドはモーリスをアンリ四世リセ校の寄宿学校に入れる決心をします。1833年4月のことでした。しかし、モーリスは大好きな母親の住むパリのアパルトマンを離れて寄宿生活を送ることに耐えきれず、それを知ったサンドは、週末のたびに友人のギュスターヴ・パペに依頼し、息子を寄宿舎から自宅のアパルトマンに連れてきてもらっていました。
一方、モーリスより5年遅れて1828年9月13日に誕生した娘ソランジュは、まだ4,5歳というあどけない年齢でした。彼女はミュッセの前に母親の恋人だった文学青年ジュール・サンドーのことを父親のように慕いなついていましたが、サンドが彼と別れたしまったために、彼女は心に一抹の寂しさを覚えていました。そのうえ、母親はミュッセとイタリアに旅立ってしまい、その不在が彼女をいっそう苦しめることになります。
母が不在であるというどうしようもないソランジュの孤独感は、ちょうどサンドが四歳の時に経験した苦しみに似ていました。それは、母に対する強烈な思慕と、愛する母に見捨てられたという深い絶望と抗いがたい孤独感でした。サンドの場合は、幼くして父親を落馬事故で失い、それ以降、貴族の祖母に養育されることになるのですが、このとき、きっと迎えに来ると約束しながら、母親は約束を違えたのでした。母ソフィーは、祖母から年金を受け取る代わりに娘を祖母に渡してしまったのでした。夫を失って経済的手段を持たず、サンドにとっての義理の姉カロリーヌをパリに待たせていたソフィーにとって、多くの選択肢はなかったのです。サンドは回想記の中で、このとき、母が自分を祖母に「金で売った」ことを理解し、この時以来、金銭に対し警戒心を抱くようになったと書いています。若干、四歳の幼い子供が、経済概念を理解できたとは思えませんが、少なくともこの幼いときの辛い経験が、のちにサンドの金銭に対する不信感へとつながっていったことは想像に難くありません。
このとき、自分は一体、何者なのか、自分は祖母の貴族階級に属しているのか、母親の民衆階級なのか、父親の元家庭教師デシャルトルに男子の教育を施される自分は果たして男なのか女なのか、アイデンティティの問いが幼い頃から作家に重くのしかかっていたと思われます。サンドが実生活で変装を好み、作品の中で数多くの変装する登場人物を描いたのは、どちらにも属し得ない自分を隠すためであり、隠すことによって、より自由なアイデンティティになり得たからだと言えるのかもしれません。
いずれにしろ、二世代に渡って受け継がれた母娘の母親に見捨てられた悲哀と懊悩は、ソランジュの場合、母親への激しい反抗となって転嫁され、ことあるごとにそれが強烈な形となって現れました。サンドの側では、おとなしく言うことをきく長男モーリスに比べ、娘のソランジュは大きくなるにつれて気位ばかりが高くなり、ひどくわがままで母親にとって手に負えない子供ということになってしまうのでした。こうして、母娘の間に宿った相克と確執はその後も長く続くことになり、娘ソランジュは、結果的に、ショパンとサンドの別離を誘発することになってしまうわけですが、その意味では作家の私生活を脅かす存在となっていくのです。