ドストエフスキーがサンドを尊敬していたことは周知の通りですが、ロシア人の彼がフランス人にさえ知られていない『ウスコック』『アルディーニ』『ジャンヌ』といったサンドの作品やヒロインたちに言及しているのは、驚きです。下記の参考欄をご参照ください。
今日は、いよいよ大晦日です。お陰様でこのところ、ブログの一日の閲覧数は平均して150。200や300を超えることも多く、突然1200なにがしという日もあり、週平均では1600名前後の方にご訪問いただいている模様です。今年はこうしたうれしいデータに出逢うことのできた年でもありました。
ご多用のところ、拙いブログをご訪問くださいました皆さま、一年間、誠にありがとうございました。
どうぞよいお年を迎え下さいますよう。
参考 :
『作家の日記』 (ちくま学芸文庫) (文庫) ドストエフスキー (著), 小沼 文彦 (翻訳) (2009/11/7)
「したがって全世界の婦人がこれを機会に彼女の死を悼んで喪服を着用すべきであることは、いまさら言うまでもない。なぜならば最も気高く最もすばらしいその代表者のひとり、いやそればかりではなく、頭脳と才能の点でほとんど前代未聞と言ってもいい婦人、すでに歴史的なものとなった名前、ヨーロッパの人間のあいだで忘れ去られたり消え去ったりすることのない運命をになわされた名前の持ち主が死去したのだからである。」
「これらの彼女のヒロインたちは犠牲と、英雄的行為を渇望していた。その初期の作品の中で、その当時とりわけわたしの気に入っていたのは、たとえば、そのころヴェニス物語と呼ばれていた (『ウスコック』も『アルディーニ』もこれに属する) 作品に登場する、何人かの少女のタイプであった。これらのタイプはその後、文句なしに天才的な作品であり、ジャンヌ・ダルクに関する歴史的問題の明晰な、そしておそらく、疑う余地もない解明である、長篇小説『ジャンヌ』となって完成されたのである。現代の百姓娘の中に彼女は突如として歴史上の人物であるジャンヌ・ダルクの姿をわれわれの面前で復活させ、この壮大で奇跡的な歴史の現象が現実に可能であることをはっきりと実証して見せたので、これこそまさにジョルジュ・サンドにうってつけの課題であった。なぜならば、その同時代の詩人たちの中で、彼女以外には、おそらくひとりも、汚れを知らない少女のあれほど清らかな理想、清らかであると同時に、汚れを知らないだけにあのような威力をそなえた理想を、自分の心の中にいだいていたものはいなかったに相違ないからである。」
今日は、いよいよ大晦日です。お陰様でこのところ、ブログの一日の閲覧数は平均して150。200や300を超えることも多く、突然1200なにがしという日もあり、週平均では1600名前後の方にご訪問いただいている模様です。今年はこうしたうれしいデータに出逢うことのできた年でもありました。
ご多用のところ、拙いブログをご訪問くださいました皆さま、一年間、誠にありがとうございました。
どうぞよいお年を迎え下さいますよう。
参考 :
『作家の日記』 (ちくま学芸文庫) (文庫) ドストエフスキー (著), 小沼 文彦 (翻訳) (2009/11/7)
「したがって全世界の婦人がこれを機会に彼女の死を悼んで喪服を着用すべきであることは、いまさら言うまでもない。なぜならば最も気高く最もすばらしいその代表者のひとり、いやそればかりではなく、頭脳と才能の点でほとんど前代未聞と言ってもいい婦人、すでに歴史的なものとなった名前、ヨーロッパの人間のあいだで忘れ去られたり消え去ったりすることのない運命をになわされた名前の持ち主が死去したのだからである。」
「これらの彼女のヒロインたちは犠牲と、英雄的行為を渇望していた。その初期の作品の中で、その当時とりわけわたしの気に入っていたのは、たとえば、そのころヴェニス物語と呼ばれていた (『ウスコック』も『アルディーニ』もこれに属する) 作品に登場する、何人かの少女のタイプであった。これらのタイプはその後、文句なしに天才的な作品であり、ジャンヌ・ダルクに関する歴史的問題の明晰な、そしておそらく、疑う余地もない解明である、長篇小説『ジャンヌ』となって完成されたのである。現代の百姓娘の中に彼女は突如として歴史上の人物であるジャンヌ・ダルクの姿をわれわれの面前で復活させ、この壮大で奇跡的な歴史の現象が現実に可能であることをはっきりと実証して見せたので、これこそまさにジョルジュ・サンドにうってつけの課題であった。なぜならば、その同時代の詩人たちの中で、彼女以外には、おそらくひとりも、汚れを知らない少女のあれほど清らかな理想、清らかであると同時に、汚れを知らないだけにあのような威力をそなえた理想を、自分の心の中にいだいていたものはいなかったに相違ないからである。」