大会プログラム
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特 別 講 演 10月31日(土) 16:50~18:00
第3講義室(2階)
Littérature et savoirs scientifiques au XIXe siècle
Gisèle SÉGINGER (Université Paris-Est Marne-la-Vallée)
Malgré un transfert progressif de légitimité du philosophe (promu par le siècle des Lumières)
au savant, et une croissante spécialisation des sciences qui créera peu à peu une frontière,
le XIXe siècle n’est pas encore le temps de cette scission entre les « deux cultures » que
déplorera le chimiste et romancier Snow au XXe siècle. Écrivains et savants dialoguent et
ce sont souvent les mêmes schèmes de compréhension du monde qui sont mis en œuvre
dans les sciences et les textes littéraires, si bien que Jacques Rancière pourra parler d’un
partage du sensible et d’une politique de la littérature : non seulement elle pense le monde,
mais elle contribue aussi à sa configuration et à la catégorisation des formes de l’expérience,
aussi les œuvres du XIXe siècle pourront-elles être considérées comme des matrices
épistémologiques par les sciences humaines. La littérature a une véritable action avant que
ne triomphent les théories de l’autonomie du Texte caractéristique de la modernité littéraire
et dont la Nouvelle critique fera un impératif catégorique.
Cette conférence posera trois questions : le XIXe siècle serait-il l’âge d’or d’un dialogue entre
la littérature et la science, en dépit de l’essor du positivisme ? quelle est la spécificité du nouveau
rapport à la science qu’invente le siècle par rapport aux époques antérieures où la littérature fondait
aussi volontiers sa légitimité sur sa contribution à une connaissance des hommes et du monde, voire
à une régulation morale et politique ? comment les écrivains eux-mêmes pensent-ils la fonction de
la littérature et ses effets cognitifs face à une science révolutionnée, qui est de plus en plus fragmentée
en disciplines, et qui accorde la première place aux sciences de la vie et de la matière ?
Au-delà de la diversité des modèles d’intelligibilité et de la particularité des œuvres, il s’agira de
cerner la logique d’un échange propre au XIXe siècle.
ワ ー ク シ ョ ッ プ 第1部 11月1日(日) 10:00~12:00
ワークショップ1 第1講義室(1階)
Le théâtre de la Révolution française, entre esthétique et politique : Une dramaturgie au cœur de
l’événement Président : Éric AVOCAT (Université Kwansei Gakuin, chargé de cours non-titulaire)
Intervenants : Tomoko TAKASE (Université Meiji), Tomoko NAKAYAMA (Université des Études
Étrangères de Kyoto)
Hôte en 1989 d’un colloque du Bicentenaire, La révolution française et la littérature, introduit par
une belle étude du Professeur Nakagawa sur le théâtre de Sylvain Maréchal, l’Université de Kyoto
est le lieu idéal pour revisiter un répertoire dont la recherche a désormais pris toute la mesure.
Héritier de la pensée dramaturgique des Lumières, animé d’un élan prodigieux par le décret sur
la liberté des théâtres (1791), l’art dramatique joua un rôle clé dans la formation de l’esprit public,
s’affirmant comme un puissant vecteur des débats qui disent et produisent la société nouvelle.
Au cours de cet atelier, Éric AVOCAT fera en préambule une brève présentation du Répertoire du
théâtre républicain, recueil de 220 pièces compilé au 19e siècle. Tomoko TAKASE analysera les
mutations de la sensibilité dont témoigne l’adaptation de l’Othello de Shakespeare par Ducis (1792),
corollaire de la révolution opérée par Talma dans le jeu de l’acteur. Tomoko NAKAYAMA retracera
l’évolution d’un type dramatique, la femme-soldat, de la scène des Lumières à celle de l’an II, où
Desfontaines la fit servir à l’exaltation de la patrie et de la famille (1794). Éric AVOCAT réfléchira
enfin à l’inscription de l’invention dramatique dans l’actualité politique, en traitant de la comédie
de Lebrun-Tossa, La Folie de Georges ou l’ouverture du Parlement d’Angleterre (1794).
ワークショップ2 第2講義室(1階)
関係性の中に置かれたフランス ─ モダニズムの時代における黒人文化表象をめぐって ─
コーディネーター:吉澤英樹(成城大学非常勤講師)
パネリスト:元木淳子(司会、法政大学)、三宅美千代(慶応義塾大学非常勤講師)、柳沢史明(東京大学教務補佐)
本ワークショップは『ブラック・モダニズム─間大陸的黒人文化表象におけるモダニティの生成と歴史化を
めぐって』(未知谷)の刊行と連動して企画され たものである。20 世紀初頭に改めて「発見」された「黒人」
という主題と、両次大戦間の知の枠組みの変動との関わりを解明するプロジェクトの一環として、 今回は
柳沢史明(美学・民族芸術学)と三宅美千代(英語圏文化・文学)と協力し、黒人文化表象が持ちえたモダニティ
を関係性において考えることを目的と している。当日は吉澤が、シュルレアリスムの使用権をブルトンと
争ったイヴァン・ゴルの妻クレール・ゴルの小説『ニグロのジュピター、ヨーロッパを席捲 する』(1928)
を中心に、ドイツ表現主義と当時のフランスの芸術運動との関係を黒人表象の傾向から分析する。
三宅は、アラゴンやベケットと親交をもつ英 国人ナンシー・キュナードが 20 年代後半にフランスで展開
した印刷所運営と、アンソロジー『ニグロ』(1934)の編集活動を取り上げ、間大陸的なモダニズ ムに内在
する黒人問題をめぐる差異や隙意に注目する。柳沢は、両次大戦間のベルギーとフランスの植民地行政間
の相互影響関係や軋轢が黒人芸術の受容や再 生産に与えた影響について、ベルギーの幻想文学作家フラン
ツ・エランが 1922 年に発表した黒人彫刻を擬人化した小説の中にその反映を読み込む。アフリカ 文学
専門家で司会の元木は、議論を整理しコメントを介して会場へと議論を開く。こうして本ワークショップは、
一つの主題を広域的なコーパスにおくこと、 さらに他のディシプリンとの交差の内にフランス文学の特色を
側面的に浮かび上がらせることも目的としている。
ワークショップ3 第7講義室(2階)
「コントル・アタック」のバタイユとブルトン、そしてシュルレアリスム ─ 彼らの共同作業について
ともに再考すること コーディネーター:有馬麻理亜(近畿大学)
パネリスト:鈴木雅雄(司会、早稲田大学)、岩野卓司(明治大学)、丸山真幸(津田塾大学非常勤講師)
バタイユ研究において古典となって久しいドゥニ・オリエの『コンコルド広場占拠』(1974 年)は、ある
勝利の記録である。すなわち、フィリップ・ソレルスら『テル・ケル』グループによるイデオロギー闘争
の勝利である。その一つの(負の?)遺産として、
バタイユとブルトンの「対立」が自明視されるようになり、ブルトンに勝利した(とされる)バタイユには、
「革命」のイメージがつきまとうこととなった。68 年世代、あるいは全共闘世代のヒーローとしてのバ
タイユの誕生である。たしかにバタイユの「過激さ」を最大限に振幅させ、ある別の作家に対する「優位さ」
を示すという読みの型が定着したおかげで、これまで豊穣な研究成果がもたらされてきたといえるのだろう。
これは否定しえない事実である。しかしそれでも、そこで掬い上げられなかったものもまた同じく
らい多かったのではないだろうか。ブルトンとバタイユの対立を所与とせずに、いわば「テル・ケル史観」を
歴史化、相対化してみると、どのような新しい光景が広がることになるのだろうか。フランスではここ数年、
そうした課題に意識的であるような試みが現れはじめている。エリザベス・アーノルド=ブルームフィールド
の『ジョルジュ・バタイユ、テロと文学』(2009 年)や、ミシェル・シュリヤによる最近の仕事がそれに当たる。
決して主流でないとはいえ、このようなフランスにおける近年の潮流を背景として、私たちとしても本ワーク
ショップにおいて、まずは「コントル・アタック」(1935-36 年)の時代を素材に、こ の歴史の読み直し作業へ
と共同的にとり組みたい。

日本フランス語フランス文学会 2015 年度秋季大会
ワ ー ク シ ョ ッ プ 第2部 11月1日(日) 13:00~15:00
ワークショップ4 第1講義室(1階)
フランス・ルネサンス文学における隠蔽と解読
コーディネーター:伊藤玄吾(同志社大学) パネリスト:岩下綾(慶應義塾大学)、林千宏(亜細亜大学)、
久保田剛史(青山学院大学)
ミシェル・フーコーの指摘にも見られるように、ルネサンス期における知の体系を特徴づけるものは、言葉と
物との類似性や象徴である。合理主義と神秘主 義が拮抗しあう当時の自然観の下で、世界はみずからに謎を
宿しながらも、記号や言語を手がかりに読み解くべき一冊の書物として認識されていた。さらには 文学や芸術
において、寓意やシンボルなどの修辞的技法や、風刺あるいは神話化といった表象が多用されていたという事実
も、類似性や象徴を作品の「解読格 子」としていたことを物語っている。本発表の主旨は、「隠蔽と解読」を
キーコンセプトに、フランス・ルネサンス期の文学・芸術におけるメッセージの隠蔽 性ないしは表象技法を検証
することにある。
岩下は、ルネサンス期のレトリック理論を手がかりに、ラブレーの『第四の書』における奇怪な挿話群を読み
解きながら、著者自身が「ミトロジー」と称す る架空の物語に隠された多層的な現実/非現実の指示対象物に
ついて明らかにする。林は、デュ・ベレーの『ローマの古跡』および『夢』に描出される象徴的 で謎めいた
一連の情景をめぐって、同時代に流行したエンブレム芸術の影響を指摘しつつ、それらの図像的解読の可能性
について検討する。久保田は、ルネサ ンス期に隆盛を誇った秘密表記法と秘教科学の流れを俯瞰した上で、
それらの集大成とも言うべきヴィジュネールの『数について』を取り上げ、彼の暗号理論 に見られる言語思想
や自然観について考察する。
ワークショップ5 第2講義室(1階)

文学と悪とモラル
コーディネーター・パネリスト:松澤和宏(名古屋大学) パネリスト:越森彦(白百合女子大学)、海老根龍介
(白百合女子大学)、北原ルミ(金城学院大学)
文学(研究)の根拠が厳しく問われている今日、久しく軽視されてきた観のある文学と悪とモラルの関係に光を
あててみたい。越は、リスボン大震災(1755 年11月1日)を契機にしてヴォルテールとルソーの間で展開された
悪の存在と最善説の正当性をめぐる論争の内容を確認したのちに、言説分析の立場から『リス ボンの災禍に
ついての詩 』・「ヴォルテール氏への手紙」・『カンディード』という論争的テクストにおける説得手段と
してのレトリックを分析する。ボード レールは『悪の華』について「悪から美を引き出す」と書いたが、
「悪」は作品の主題にとどまらない。何かを描くという
行為や芸術作品によって魅了するこ ともまた、暴力の行使という一面を持たざるを得ないし、芸術家の方も
ジャーナリズムや公衆からの暴力を逃れられない。海老根は、芸術的創造をこうした力 の葛藤の場と捉える
ボードレールの姿勢を紹介する。松澤は文学とモラルを切り離したなどと言われるフローベールの『ボヴァ
リー夫人』においてブルジョワ 道徳が問題視されていることを読み解く。美徳の「報い」を期待する功利
主義的な作中人物の傍らで、報われない美徳を生きる作中人物がグロテスクな相を帯 びて描かれ、報われ
ない美徳が書く営みにまで及んでくることを明らかにする。ペギーは、1895年の社会党入党直後に三幕劇
『ジャンヌ・ダルク』を執筆し、 1910年の『ジャンヌ・ダルクの愛の神秘劇』においてカトリック信仰へ
の回帰を公に示した。北原は、ドレフュス事件、政教分離法等で政治的対立の深まる世 紀の変わり目に、
ペギーが、ジャンヌを通して、悪の問題をどのように提起したのかを明らかにする。
ワークショップ6 第6講義室(2階)
近代科学と芸術創造 ─ 19-20 世紀における科学と文学の関係 ─ コーディネーター:真野倫平(南山大学)、
梅澤礼(立命館大学)
パネリスト:松村博史(近畿大学)、石橋正孝(立教大学)、橋本一径(早稲田大学)
2012 年から 3 年間にわたり、真野の発案のもと、共同研究「19-20 世紀のヨーロッパにおける科学と
文学の関係」が行なわれた。これは近代の科学や技術が 同時代の文学・芸術作品にいかに反映されて
いるのかを、学際的な視点から解明しようとするものであった。その成果は、2015 年 3 月に出版され
た共著『近 代科学と芸術創造─19-20 世紀のヨーロッパにおける科学と文学の関係─』(真野倫平編、
行路社)として実ることとなった。本ワークショップでは 15 名の共 同執筆者のうち、4 名が代表して
報告を行なう。
まず石橋が「科学に共鳴する文学」の例として、当時の科学リテラシーからすれば荒唐無稽だった気球
操縦法がなぜゴーティエやユゴーを熱狂させたのかを 考察する。次に松村が、「科学を利用する文学」の
例として、バルザックが 18 世紀以前の体質論の医学と、19 世紀の観察医学の違いを意識しつつ、2種類の
異なる医者像を造形していることを取り上げる。だが科学と文学の関係は必ずしもつねに良好なわけではない。
梅澤は「科学に利用される文学」の例として、 作家たちによる監獄描写を否定する形で監獄学が生まれたこと、
そうした監獄学への反発が作家たちをさらに監獄問題へと駆り立てたことを示す。最後に橋本 が、「科学に抗
する文学」の例として、ミシンの普及により閉じ込められるようになった女性たちにとって工房が一種の文学的
空間となっていたことを明らか にする。
本ワークショップは、従来のアカデミックな文学研究では軽視されがちであった領域に注目することで、文学を、
一つの時代を支配する知の制度の一環とし て考察するものであり、分野・世紀を越えた活発な意見交換が期待
される。
ワークショップ7 第7講義室(2階)
Lisible et visible en France au XXe siècle
Largement attestées depuis l'antiquité, les relations entre le texte et l'image ont connu depuis le XIXe
siècle de profonds renouvellements. Les rencontres entre lisible et visible peuvent prendre de nombreuses
formes, de la critique d'art aux usages visuels du signe d'écriture, en passant par les textes inspirés des
arts ou encore les collaborations entre écrivains et artistes. Ce workshop se propose d'explorer quelques
-unes d'entre elles au XXe siècle.
Chiba Fumio évoquera les enjeux des textes écrits sur les images, à partir du cas de Michel Leiris et de ses relations personnelles avec les artistes.
Du texte sur l'image au texte fait image, on espère contribuer à montrer la variété des textes, des images, des supports mais aussi bien sûr des approches, qui constituent cet immense champ d'étude parfois désigné sous le nom d'intermédialité. Le workshop se déroulera en japonais et en français