[ピエール・ルルーとジョルジュ・サンド]
ピエール・ルルー国際学会 ASSOCIATION DES AMIS DE PIERRE LEROUX
(PRESIDENT : JACQUES VIARD, PRROFESSEUR D'EMERITE A L'UNIVERSITE D'AIX-MARSEILLE)
のホームページがリニューアルされました :
LA PAGE D'ACCUEIL DE L'ASSOCIATION DES AMIS DE PIERRE LEROUX QUI VIENT D'ETRE CREEE PAR PR. JEAN STEINLEY (NOUVEAU / LE 17 AOUT 2003)
http://www.amisdepierreleroux.org
[ピエール・ルルー PIERRE LEROUX ]
PIERRE LEROUX, "PROFOND PENSEUR QUI REMUE SON SIECLE" (BALZAC) ET GEORGE SAND
ジョルジュ・サンドGEORGE SAND の政治社会哲学思想に最も影響を与えた十九世紀思想家として、まず筆頭に挙げられるのは、ピエール・ルルー PIERRE LEROUX である。バルザック BALZACが「世紀を揺るがす深遠なる思想家 "PROFOND PENSEUR QUI REMUE SON SIECLE"」と呼び、マルクスも一目置いていたフランスにおける知られざる政治社会哲学者である。ジョルジュ・サンド自身は、「歴史哲学上可能な最も偉大な批評家"LE PLUS GRAND CRITIQUE POSSIBLE DANS LA PHILOSOPHIE DE L'HISTOIRE " 」と形容している。現ピエール・ルルー国際研究学会会長、ジャック・ヴィアールJACQUES VIARD 氏は、2000年一月、フランス・キュルチュール(FRANCE CULTUREフランスラジオ放送)で行われた、知られざる才人発掘をテーマとした対談で(司会;ミッシェル・ペローMICHELLE PERROT)「ルルーの影響は、あらゆるところに刻印されているが、その名前はどこにも見あたらない」と語っている。
南仏 AIX-EN- PROVENCE に本拠地を置くピエール・ルルー国際学会ASSOCIATION DES AMIS DE PIERRE LEROUXは、毎年、学会誌 REVUE LES AMIS DE PIERRE LEROUXを刊行し活発な研究活動を推進しているが、この6月にはホームページをリニューアルしている。サンドやショパンに関するHPともリンクさせ、ルルーについての充実した内容の情報を提供している点で注目すべきサイトである。
社会主義という言葉を最初に導入したといわれ、サン・シモン主義(SAINT-SIMONISME)の系譜をたどるフェミニストでもあったピエール・ルルーは、ジャン・レイノーJEAN REYNAULT とともに「新百科全書 NOUVELLE ENCYCLOPEDIQUE」を編纂した。人類は転生を繰り返しつつ完全なものに向かって永遠に進歩するというルルー独自の哲学と、一般大衆を無知から救うことが平等思想の実現につながるとする普遍主義的な人間平等をめざす精神は、サンドの小説「モープラ MAUPRAT」「スピリデイオンSPIRIDION」「コンシュエロ CONSUELO」をはじめとする様々な作品に多大な影響を及ぼした。サンドは、貧困に窮する子だくさんのルルーに経済的援助を積極的におこない、その社会哲学理論を擁護した。
1841年、作家サンドはついに、出世作「アンデイアナ INDIANA」はじめ「レリアLELIA」など、サンドのミリオンセラーを出版し続けてきた反動的な編集者ビュローズBuloz と決裂、ルルーとともに「独立評論 REVUE INDEPENDANTE」を編纂する。30年間におよぶ女流作家と哲学者の思想の交流は、ジャン・ピエール・ラカサーニュが、ルルーとサンドのあいだで交わされた一連の百通近い書簡に解説と注釈を附し刊行した「ある友情の歴史 UNE HISTOIRE D'AMITIE」の中に読みとることができる。最近では、BRUNO VIARD の"A LA SOURCE PERDUE DU SOCIALISME FRANCAIS"の刊行および国際学会(ASSOCIATION GEORGE SAND DES ETATS-UNIS)での画期的な発表により、ルルーの思想は国際レベルでも広く知られ始めていることを付記しておこう。
サンドの側からルルーに宛てた手紙は、この冬に逝去したジョルジュ・リューバン GEORGES LUBIN の生涯をかけた労作『サンド書簡集全26巻』の中の、下記に記す巻に収められている。サンドとルルーの往復書簡をひもとくことは、七月革命から二月革命に至る十九世紀フランスにおける政治哲学思想の胚胎とその流れを知るうえで、また、当時流行していたオーギュスト・コントAuguste Comteの科学的実証主義やヴィクトール・クーザンVictor Cousinの唯心論的折衷主義に対立するルルーの共和主義的社会主義思想が、なぜ、ある意味では意図的に葬り去られ今日に至ったのかを解明するうえで、重要な意義をもつと思われる。
(文責:西尾治子 HARUKO NISHIO)2003年8月
参考文献 BIBLIOGRAPHIE:
Pierre Leroux, "DE L'HUMANITE", Fayard, 1985
Pierre Leroux, "AUX PHILOSOPHES, AUX ARTISTES, AUX POLITIQUES", Payot&Rivages;,1991
Bruno Viard, "A LA SOURCE PERDUE DU SOCIALISME FRANCAIS", Desclee de Brouwer,1997
J.P.Lacassagne, HISTOIRE D`UNE AMITIE, Klinckcieck, 1973
<サンドからルルーに宛てた書簡>
「Correspondance」 par Georges LUBIN Editions Garnier
第3巻 1836(1通)
第4巻 1837(2通) 1839(1通)
第5巻 1841(5通) 1842(2通)
第6巻 1843(13通)
第7巻 1845(2通)
第8巻 1847(1通)
第9巻 1850(1通)
第10巻 1851(1通)
第11巻 1852(2通)
第12巻 1854(1通)
第25巻 1839(1通)
<ルルーからサンドへの手紙> PAR Jean - Pierre Lacassagne 『Histoire d'une Amitie』より
1836年 - 1通
1837年 - 2通
1838年 - 2通
1839年 - 1通
1840年 - 2通
1841年 - 13通
1842年 - 10通
1843年 - 6通
1844年 - 19通
1845年 - 7通
1850年 - 1通
1851年 - 1通
1852年 - 6通
1854年 - 1通
1866年 - 2通
http://web.archive.org/web/20070209104031/http%3A//www32.ocn.ne.jp/~harukon/leroux.htm