西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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『ラ・クープ』にみる女と男 5

2014年08月19日 | サンド・ビオグラフィ


(2)ボニュス先生は、自分の洋服と赤い頭巾をエルマンに与え、女装させて彼の脱走を助け、エルマンの身代わりとなって牢獄に残る。しかしこの時、うっかり通行証書をエルマンに貸した洋服に入れたままにしてしまったために、彼は再び死刑場に連れてゆかれることになる。このとき、魔法の力で死刑執行人に雷を落とし彼を救うのは、ズィラである。彼女も男装する。馬を急がせたあまり、馬は主人の騎士を落下させ、町外れで力尽きて死んでしまうという事故が起きるが、ズィラはたずなにしがみついていた騎士のマントを着て、絞首刑台に向かうのである。(P62) こうして、二度もズィラに命を助けられたボニュス先生は、再び妖精の国に戻って女装し、幸せなベジェタリアン生活に満足し、嬉々として家事やお菓子作りに勤しむのだった。
 このように、『ラ・クープ』』では、男女の変装が交互に現れ、時にはユーモアとテンポに富む筆致で描かれている。ここでは、変装という装置により、性における男女の役割、所有と服従、あるいは異性愛の概念の基本である性差が消滅してしまっている。男女の逆転現象が古いジェンダー規範やドクサに囚われることなく、これらを軽々と超えたところで目的達成のための手段として機能しているのである。ここでいうドクサとは、ブルデユー流に言うならば、何ら疑問の対象とされることなく、ノーマルで当然のこととして見なされる社会的な思い込みと実践の総体、すなわち臆見を指す。 さらに男女の変装は、この作品全編を覆う死という重いテーマを緩和する役割を果たしていることも付け加えておこう。
 こうした男女の反転現象は、サンドの物語世界では回帰的な現象であり、サンドの創作技法の常套手段といってもよいだろう。サンドの小説では、伝統主義の人間が好みがちな「待つ女」や、女性作家に期待される美人薄命の「受け身の女」は、ヒロインとはなりえない。サンドが社会通念を「転覆させる作家」あるいは「革命的な作家」と言われる所以である。 
 サンドはフェミニズム運動に積極的ではなかったために当時のフェミニストからはアンチフェミニストと非難されたが、作家サンドは創作を通し、女性は男性と同じ教育が与えられれば、男性と同じくか、もしくは男性より優れた能力を発揮するのだと絶えず主張する。独学で学問するヒロインや男性と同じ職業を獲得する登場人物も多い。ゴンクールやボードレール等の男性作家からスケープゴートにされ、激しい批判や揶揄を浴びても怯むことなく、全世界の読者に向かって女性の置かれた不利な状況や告発し、作品の中でそれらを変装をはじめとし様々な技法を駆使し、繰り返し訴え続けた。 サンドが同時代の男性作家や多くの女性作家たちと異なる独創性は、この点にあると言えるだろう。このようなサンドの作家としての文学上の功績は、社会変革を目指すフェミニストの実践運動と同様に、評価されるべきであろう。
 


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