西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
本ブログ記事の無断転載および無断引用をお断りします。
 

ショパン「僕は君のところにいたんだよ」

2009年06月19日 | 芸術・音楽・演劇、オペラ、舞踏など
ショパンは、サンドとあるいはリストやドラクロワと過ごしたノアンでの七年の歳月の中から、数々の名曲を生み出した。
ショパンは、ノアンで民衆音楽を肌で感じ取っていた。どのようにして「マズルカ」や「ポロネーズ」がショパンの手により「人間感情に充ちた音楽」となったのだろうか。女優のMarie-Christian Barrault がPascal Contetのアコーディオン伴奏とともに、1830年~1849年の音楽の魂を呼び起こす。

リールのピアノ・フェスティヴァルもまた、サンドの夏です。

http://www.lavoixdunord.fr/Locales/Metropole_Lilloise/actualite/Secteur_Metropole_Lilloise/2009/06/14/article_j-etais-chez-toi-frederic-chopin-georg.shtml より
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ノアン夏の祭典

2009年06月16日 | 旅と文学
ノアンの夏のフェスティヴァルについてブログを書いたせいか、「ジョルジュ・サンドのふる里」という祭典をオーガナイズしている組織団体より、詳しい情報を満載したお便りをいただきました。ツーリズム関係、シャートルとサント・セヴェール市の地方共同体、ジョルジュ・サンド委員会、ブルー・ジャズ協会等々が中心となって、サンドゆかりの地や周辺の村を巡るプロムナード、4つの教会での歌唱コンサート、弦楽器職人luthierや笛吹師を招いた伝承音楽と踊りの祭典、ダンスパーティ、コンサートや文学関係のフェスティヴァル等々を6月末から大々的に開催するそうです。

ノアンには何度か行ったことがありますが、昔は交通の便も悪くパリから行くのは大変でした。シャトルーからのルートにすべきか、ラ・シャートルからの方が早いか、時刻表と睨めっこして頭を悩ませたものでした。ようやく到着しても、ノアンには、ラ・プチット・ファデットという旅館がある他はサンドの館があるだけでしたが、そのうちに直ぐ近くにバス停ができて本数も増え、一気に便利になりました。

それとともに、毎年7月末頃のサンドの館では、サンドの演劇作品の上演、伝統的な珍しい古えの楽器の演奏や板の上で木靴の音を響かせて踊る一種のタップダンスのような伝統的な踊り「ブーレ」、また当時の村人の暮らしを再現したお祭り等が見られるようになりました。『愛の妖精』『魔の沼』『笛師の群れ』『ナノン』『モープラ』『アンジボーの粉挽き」といったサンドの小説群が思い浮かび、その時代が彷彿としてきたものです。

六月はお知らせにある通り、地域の様々な団体が連携して嗜好を凝らした大規模な活気ある催しが、サンドの生地ノアンで、またフランス北部のリールLille やボーヴェBeauvais というところでも開催され、人気を呼んでいるようです。

これら一連の行事は、時代の変遷に伴う地域の発展と地元の人々の努力により、一人の作家がいかに地方を活性化しうるかを示唆しているように思えます。

この夏ノアンを訪れる方、また興味がおありの方は、祭典について次の詳細をご覧下さい。

http://www.infolettre.fr//gabarit/newsletterview.php?news=16799

村巡りについての問い合わせ : 02 54 48 22 64
映画祭についての問い合わせ: 02 54 31 06 04

Pays de George Sand - 134 rue nationale - 36400 La Châtre - paysgeorgesand@pactlachatre.com
02 54 48 10 65
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ジャン・ジャック・ルソー(1712- 1778)

2009年06月15日 | 文学一般 海外
『ジュリーまたは新エロイーズ Julie ou la nouvelle Héloïse』(1761年)『告白 Les Confessions』(postume)『社会契約論 Du Contrat Social』(1762年)の作家・哲学者のルソーです。
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ドゥニ・ディドロ(Denis Diderot, 1713 - 1784)

2009年06月15日 | 文学一般 海外
フランスの啓蒙思想家・作家。『百科全書』『修道女』(1760)『ラモーの甥』(1761)『運命論者ジャックとその主人』などの著者、ディドロです。
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コンドルセ(1743- 1794)

2009年06月15日 | 歴史
Marie Jean Antoine Nicolas de Caritat, marquis de Condorcet。最後の啓蒙思想家。『人間精神進歩の歴史的情景の素描』。恐怖政治に反対したために投獄され、獄中で服毒自殺。妻のソフィー・ド・グルシーは、アダム・スミスやトマス・ペインの主要著書を最初にフランス語翻訳したことで知られる。
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ラクロ(1741ー 1803)

2009年06月15日 | 文学一般 海外
小説「危険な関係(Les Liaisons dangereuses)」の作者です。
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ラ・ロシュフコー(1613-1680)

2009年06月15日 | 文学一般 海外
François VI, duc de La Rochefoucauld。恋愛や宮廷について機知と皮肉を込めた格言集の『箴言集』(1664)で有名。フロンドの乱(1648-1653)でマザランと対立。ラファイエット公爵夫人のサロンに連日通う常連客であった。

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ラファイエット夫人

2009年06月15日 | 十九世紀の文学
こちらの方がよく見るラファイエット夫人に近いようです。
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Comtesse de La Fayette(1634-1693)

2009年06月15日 | サンド研究
『クレーヴの奥方』のラファイエット公爵夫人です。

Marie Madeleine Pioche de la Vergne, Comtesse de La Fayette
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Scudery嬢

2009年06月15日 | 女性文学・女性
『愛の国の地図』と「プレシオジテ」のスキュデリー嬢です。

「友情が恋愛になるときには、二つの川のように混じり合い、 有名な方が他方の名を吸収する。」

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