長い歴史を持つ宗教は沢山がありますが、或る伝統ある宗教は<神様の愛を信じない事>が一番神様を哀しませることだ、と述べています。愛する恋人同士で、小さな諍いがあつた時に、自分の愛を相手が信じてくれなければ、どんなにか哀しいことでしょう。人は好んで自分から親を選んで生まれてきたわけではありません。いくら自由意思が与えられているからといっても誕生の環境から抜く出す事は殆ど不可能です。厳しい人生、突然の事故と病気、次から次へと難問が襲ってきます。それを切り抜けるとき、その宗教は神様の愛を信じて逞しく安心して生き抜いていきなさい、と激励しているわけです。この世でもあの世でも、いつも愛の中で生きられるように誘導してくれるものが自分が持つ自分の魂からの暗示であることを信じて安心して生き抜きたいものです。
大切な人の愛を無くす事は、何とも切ない惨めな日々を送る羽目になります。愛は一方通行では成立せず相互愛が条件ですが、男女の愛の場合でも、同性の友情の場合でも、無償の愛などと美辞麗句を並べている内は本物の愛は得られません。相手の愛が欲しい、友情が欲しい、と言う願いが本当の愛を創造していきます。相手の愛が欲しいけれど、何故かギクシャクした場合の回復方法はただ一つしかありません。相手の良いところ、美しいところを必死で探し出し心の底から感謝と賛美を照れずに言葉と態度に出す、厭味を言われても、ハリの筵に追い込まれても、毎日会う人の場合は1ケ月は我慢しつつ感謝と賛美を伝達する、これでだめならどう見切りをつけるか、考え直した方がよさそうです。愛の世界では図に乗る事は許されません。甘えは大切ですが.