大森第一小学校第40期卒業生同期会

卒業して幾星霜、さあ懐かしい面々と再会し、浮世の憂さも忘れて、思い出話に花を咲かせよう!

つぶやきの部屋28

2016-02-12 17:04:04 | Weblog

「愛しのねこちゃん」

ちょっと前にネットに「猫好き必見!知っておきたい猫の雑学 50」なる記事が載って
いました。
その中から独断と偏見で見繕ったものを紹介しますね。◆は、へーそーなんだ物。

◇猫には片耳あたり32個もの筋肉があり、そのおかげで耳を自在に動かすことができる。
 ちなみに人間には片耳につきわずか6個ずつしかない。
◇猫の耳の内側から外に向かって生えている毛は「Ear Furnishings(イヤー・ファーニシ
 ング)」と呼ばれ、耳を汚れから防いで音を聞こえやすくする役割がある。
◇猫には人間には聞き取れない超音波が聞こえている。
◇猫には3つまぶたがある。3つめのまぶたは目頭にある小さな白っぽい膜のような部分
 で、瞬膜という。
◆人間の指紋のように、猫の鼻にはひとつとして同じもののない「鼻紋」がある。
◆猫はヒゲを使って、隙間の幅と自分が通れるかどうかを測っている。猫のヒゲは通常、
 左右12本ずつ生えている。
◆猫は100種類以上の音を使い分けることができる。犬はたったの10種類。
◇猫には甘さを感じる味覚がない。
◇大人の猫には30本の歯がある。
◇猫はアゴを横に動かすことができないため、大きな塊状のものは食べられない。
◇猫は毎秒約26回の速さで喉をゴロゴロ鳴らすことができる。これはディーゼルエンジン
 のアイドリング音と同じ速さ。最近の研究により猫がのどを鳴らすときは20~140ヘルツ
 の周波数が保たれており、人間の血圧を下げたり、不安を和らげたりする癒し効果があ
 ると注目されている。
◆猫の前足は5本指で、後ろ足は4本指。
◆猫は肉球からしか汗をかかない。
◇猫の身体には、1平方インチ(約6.45平方センチメートル)あたり約130,000本の毛が生
 えている。
◇猫が水を嫌うのは、毛皮があまり水をはじかず濡れてしまうから。唯一、ターキッシュ・
 バンという品種の猫は泳ぎが得意。
◇猫の背骨はゆるやかにつながった53本の椎骨からなり、それが柔軟な体の動きを可能に
 している。ちなみに人間の椎骨は34本。
◇猫は身体全体で230本の骨を持っている。人間の骨はそれより少ない206本。
◇猫には人間にあるような鎖骨がない。そのおかげで小さな隙間でも通り抜けることがで
 きる。
◇猫の心臓は毎秒110回~140回の速さで脈打っている。これは人間のほぼ倍の速さ。
◆猫の脳の90%が人間と似ている。
◇飼い猫でも時速30マイル(時速48キロメートル)で走ることができる。
◇猫は自分の背丈より6倍高くジャンプすることができる。
◆メス猫は右利きでオス猫は左利き。
◇猫は一生の70%を眠って過ごす。9歳の猫が起きていた時間はたったの3年間ということ
 になる。
◇大人の猫が「ニャー」と鳴くのは猫同士ではなく、人間とコミュニケーションをとると
 きだけ。
◇世界には5億匹以上の飼い猫がいるが、その品種は40しか特定できていない。

僕の家にも猫がいた時期があります。多分僕が3歳~17歳までの間。でも同じ名前「ミーコ」
でも2匹の猫です。初代は僕が5歳前後にいなくなって、二代目は小学校に上がるか上がら
ないときに伯母と風呂屋へ行った帰り道、「ニャー」とあっちから声をかけてきて、そのまま
ついてきて、そのまま居着いた。おそらく前の飼い主が亡くなったかして、心根のやさしい
伯母であることがそいつのヒゲにでも触れたのでしょう、嬉しそうに懐かしそうにして、伯母
の足に纏わり付くようにして、ついてきたのです。
その二代目は、尾っぽが短い雑種のメス猫で、ネズミはおろかスズメ獲りの名人(?)で、
或る朝、母の枕元にネズミの首(首実検?)を置いていったという強者。そういった野性味
だけでなく、人間臭さをも併せ持った随分と変わった猫で、いろいろな逸話がいっぱいある
のですが、別の機会に紹介することにしますね。

「うかれ猫 奇妙に焦(じれ)て 参りけり」(一茶)



                               ブログトップへ戻る


最新の画像もっと見る

19 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
団塊の世代雑感(241-74) (4組のizisです(241-74))
2016-02-15 15:30:02
小保方旋風に続いて春一番も荒れ狂いましたね。それらに比べりゃ大したインパクトも無い内容かも
知れませんが、そして大分間が空いちゃったけど、「団塊の世代雑感(241-67)」の続きに戻
りますね。部屋がまたがるので余計に分かり難い。m(__)m

いずれも要約になりますが、
1点目は、
「Tissue Engineering誌論文におけるデータの改竄疑惑への言及が存在しない」点を挙げています。
「博士論文のもととなっているTissue Engineering誌の論文には、明白と言ってよい画像の改竄(報
告書における「実験結果欺罔行為」)が認めら」るとして、電気泳動写真などの改ざん・捏造を具体
的に採り上げ、その一部の図が博士論文でも使用されていることを指摘。
そしてその図を責任著者の一人であるバカンティ自らが「類似した見かけのデータを、複数の著者が
編集したために起きた過失」を理由に削除したことは、Tissu誌論文撤回になって然るべき性質のもの
であって、「実際の写真を検討すると、『過失』というレベルではないことは明らかで、学位取り消
しの条件である『不正の方法』に相当するのではないかとの疑義」があるにもかかわらず、調査報告
書では、「『そもそも博士学位論文の条件として査読付き欧文論文が前提となっており、このTissue
Engineering誌論文には修正がなされていること』を理由にデータの意図的な改竄(調査報告書に言う
実験結果欺罔行為)には該当しないと結論付けて」いる。しかし、Tissue Engineering誌において強
い影響力を持つバカンティ教授による訂正(削除)を「軽微な『過失による修正』にとどめている」
Tissue Engineering誌の編集方針には疑義がある。「改めて独自の調査がなされてしかるべき」とし
たのです。

2点目は、
「公表されてきた学位論文を草稿とみなし、『真の学位論文』なるものが存在し、それをもとに学位
取得の妥当性を議論していることに関する疑義」です。
小保方女史の主張する真の学位論文は、「3年間にわたって修正されることなく正本として保管・開示
されてきた」草稿論文に代わって、「調査開始後、委員会に要請されてからかなりの期間を経て提出
され、しかも提出一時間前に修正された形跡もある文書を『真の学位論文』と認定する根拠は薄弱」
であり、「学位審査の公聴会の際に副査が指摘した不備が修正されていないことをもって、『本件博
士論文』(草稿論文*)が公聴会前の論文であるとの弁明を支持しています。しかし、最近明らかに
された経緯によると、その後の小保方氏らのNature論文における不備は、Cell誌、Science誌の査読過
程で指摘されていたにも関わらず修正されていません。この対応を見ると『学位論文に関しては副査
の指摘に素直に従い、これを修正した』との前提が自明であるとは必ずしも思えません」と至極もっ
ともな指摘をしました。
さらに、「公聴会時に回覧されたはずの論文(報告書中における『公聴会時論文』)については、現
存が確認されておらず、プレゼンテーション資料が確認されているのみです。プレゼン資料とそれに
基づく公聴会時の副査とのやりとりをもとに、『本件博士論文』が草稿であり、それとは別に修正を
踏まえた『真の博士論文が存在する』との推論を導いていますが、プレゼン資料が『真の博士論文』
とされる論文の内容をそのまま示しているとの前提は、必ずしも自明とは思えません」とこれまたす
るどい指摘。
こういったことが報告書では軽微に扱われていて、事実上免責になっていることが問題だとして、具
体的に2つの例を挙げています(割愛*)。
 小保方女史が真の学位論文として調査委の求めに応じて提出されたものが公開されていないのも問
 題だと指摘しています。5月末に紙で提出されたものと6月末に電子媒体でのものと両方の公開を要
 請しています。
 小保方女史は、博士号が取消しになったときに、「今年度中をめどに、修正した博士論文を独自に
 公開してやる」「決定の取り消しを求めて、早大を提訴することも視野に入れている」と恫喝にも
 似た発言をしているわけですが、どちら側からもその公開が未だなされていない(できない)背景
 には何があるのかしらん。
 いずれも痛いところ(小保方女史はその不正箇所を、早大側は取消しとした理由の曖昧さ)を突っ
 つかれるのが嫌なんでしょうね。

(続く)
返信する
団塊の世代雑感(241-75) (4組のizisです(241-75))
2016-02-17 13:28:26
3点目は、
「大量の許諾を得ない転載部分について」として、第1章の20ページもある米国NIHの許諾を得ないま
まに転載した文章を採り上げ、報告書では「事後提出の『真の博士論文』とされるものにも、この部
分は残っている」ことから、それが反って「『本件博士論文』が草稿であることの傍証の一つとされ
て」いて、「学位授与に一定程度の影響を与えたとはいえるが、重大な影響を与えたとまではいえ」
ず、それが「学位授与との間に因果関係があったとはいえない」としているが、「これが著作権の侵
害および、調査報告書のいう『創作者誤認惹起行為』に該当することは言うまでもなく明白」であり、
「学位取り消し条件の『不正の方法』に該当すると報告書にも明記されて」いるではないか、と訴え
たのです。
 このいわゆる「盗用」について、小保方女史が早稲田大学理工学部の1年生のときに必修の実習科
 目であった「理工学基礎実験IA」の資料(2002年度)では、「実験ノートの記録の重要性や具体例
 が詳述され、さらに『引用とコピー』という項目において『引用なしで、他人の成果を自分の文書
 に書くことはいわゆる“盗用”である。字からわかるように犯罪に準ずる行為として扱われる』と
 太字で明記されており、学生はレポート提出時に繰り返し指導されて」いるとも指摘がなされてい
 ます。要するに、知らぬ存ぜぬ、ウッカリ・ボンヤリは通用しませんよ、と云いたいわけです。

4点目は、
「実験ノートの確認方法に関しての記載、および科学的正確性に関する評価が不十分である点」とし
て、博士論文を裏付けする実験の実態があったと報告書にあるが、「その根拠となるノートの写しや
明確な資料が公開されておらず、(中略*)理化学研究所の調査の過程で明らかになった小保方氏の
実験ノートの杜撰さから考えて、大学院在学時のノートや記録が十全であったと考えることには疑義」
があるとし、「調査報告書にも明記されているように、検討されたことは論文に書かれている(一部
の)実験作業の有無についてのみであり、実際のデータの分析の合理性や科学的正確性について踏み
込んで検討」しておらず、「この部分においては、たとえばTissue Engineering誌の査読判断に事実
上一任しており、通常の学位審査で規範とされる、主査・副査による科学的合理性・正確性の検証を
独自に行っていません」と他人任せの姿勢を批判しました。

5点目は、4点目を敷衍するもので、
「審査体制の不備に関する指摘について」として、小保方女史の審査に関して「重大な過誤があった
ことは明らか」であるとし、常田主査、武岡副査の責任について詳述しているものの、副査を務めた
バカンティと大和両氏の調査を疎かにしている。そして「Vacanti氏、大和氏が公聴会以前に博士論文
を通読できていたのかは明らかになって」いないし、「Vacanti氏は公聴会にすら出席しておらず、も
しそうであれば、審査報告書になぜ名前を連ねることができたのか不可解」である。7月17日の会見の
席で調査委の小林委員長が「『学外者で責任を問えないため』」と説明したが、「副査は大学院が正
式に依頼し、きちんと当該論文を審査していただくために委託する役回りであり、学外在籍副査の審
査状況を明らかにし、その責任を明確化することは本調査の要の一つ」ではないかと指摘しました。

6点目は、
「調査委員会のメンバーの氏名が開示されていない点」を指摘しました。「どの程度の解釈の振れ幅
があったのか、小林弁護士以外の委員の見解を正す機会がありません。これは透明性・信頼性を欠く
要因である」とね。

真っ当なひとであれば、皆が皆同じような不信感を抱く。<(`^´)>

(続く)
返信する
団塊の世代雑感(241-76) (4組のizisです(241-76))
2016-02-18 21:17:55
小保方女史がES細胞窃盗の件で参考人聴取されていたというニュースが。
で、ちょいと差し込みを。

理研の元研究員であった石川智久氏(現在、NPO法人地方再興・個別化医療支援の理事長)により
昨年1月に刑事告発され、同年5月(14日付)に受理されたES細胞窃盗容疑で小保方女史が参考人
(小保方女史の代理人である三木弁護士は飽く迄もその一人と強調していますが)として事情聴取
されたことが昨日分かり、今日はアチコチのTVやネット等でニュースが流れました。

この一件がどういったルートでリークされたのか定かではありませんが、直前までそれを否定して
いた三木弁護士の言い訳は、兵庫県警(受理元)との間で「マスコミに一切公表しない」という事
前の約束があったからそうしていたと。そして「まさか約束が破られると思っていなかったので、
情報の出どころがわからず、いったん報道を否定した。ほかの参考人について情報が出ていない状
況であり、しかもマスコミが殺到することは避けたかった。こんなことになるんだったら、事情聴
取に協力することはなかった。ひどい話だと思っている」、「大勢いる参考人の1人。彼女だけが
ニュースになるのは極めて腹立たしい」と憤りのポーズ?
でもね、三木弁護士にとって寝耳に水のニュースだったんだよね。小保方女史が事情聴取されたの
は16日のこと。それも東京都内にある警察の施設で。兵庫県警がわざわざ東京まで出張ってきたの
には、無防備な小保方女史から事情聴取する思惑があったからでしょう。講談社本社は東京の文京
区音羽にありますからね。手記『あの日』の打ち合わせか何かで東京に出て来ていたときを狙われ
たに違いありません。

三木弁護士、賢いのか鈍いのかよく分からないのだけど、ポロポロと小保方女史にとっては好まし
くない情報が口を吐いて出てくるわ出てくるわ。

その1、三木弁護士は以前に事情聴取に立ち会ったと云っているわけだけど、16日の東京での事情
聴取には立ち会うことはできなかった。取材ではその聴取の日時や場所、回数を明らかにしなかっ
たのだけど、嘘は吐きたくないという心理が働くもんだから、そう云わざるを得なかった。でも、
何度も聴取を受けていたことがバレちゃった。

その2、16日以外の事情聴取が、三木弁護士を通じて小保方女史が療養中とされている自宅(神戸
市内のマンション以外のところ)と連絡が取られて行われたことが、「兵庫県警との間でマスコミ
に一切公表しない約束で事情聴取に応じた」の一言からバレちゃった。
「今も自宅療養中」、「聴取では三木氏の横で落ち着いて説明」、聴取後には「(小保方女史が*)
警察の人もよく理解してくれたと思う」と話していたとの説明もしているから、遠出はしていない
ね。落ち着いて事情聴取に応じることのできる場所だから、自宅かもね。
三木弁護士は大阪弁護士会に所属しているし、今回の取材も大阪市内で応じている。大阪なら神戸に
近いし、小保方女史は東京近郊より大阪当りに父親と隠れ住んでいるのかもね。

その3、2013年2~3月に若山研究室が理研から山梨大に引っ越す際、同研究室の客員研究員だった小
保方女史が若山研のフリーザーに残していったES細胞数箱を引き継いだとして、「備品も含め残っ
た者が保管を引き継ぐのは研究室では当たり前のこと」、「後に、引き継いだ細胞を保管するフリー
ザーに、盗まれたとされる研究者の名が書かれた箱があることに気づいたが、小保方氏は勝手に捨て
ることもできず残していた」と云うのだけど、前者「引き継ぐのは当たり前」なら後者「盗まれたと
される研究者の名が書かれた箱があることに気づいた」と云うのは矛盾しているでしょ。引き継いだ
ものなら確認することが世間一般の常識だもの。それにね、「勝手に捨てることもできず残していた」
なんてね、小保方女史個人の所有物じゃないんだから、理研にその旨を届け出るのが当たり前。そう
しないことを世間一般では「ねこばば」と云う。司法試験には出題されなかった?

その4、「盗まれたとされるES細胞は、理研の調査でSTAP細胞に混入していたされたES細胞
と種類の違う無関係なもので、STAPの実験にもまったく不要なもの」、「(若山研の)引っ越し
時には、STAP実験はほぼすべて終わっている。その段階で、混ぜるためにES細胞を盗った、な
んてありえない」だってさ。
過去・過去完了・現在完了・現在・未来といろいろな時制があるでしょ。過去完了のことを持ち出し
てきて未来を占おうたって無理な話だよ。小保方女史にはまだまだSTAP細胞が必要だったってこ
とだよ。その手品の種がね。

♪嘘と泪のしみついた
 どうせ私は噂の女

<肝心要の記事をチェックし忘れていたので一部書き直しました。>

(元のところへ続く予定)
返信する
団塊の世代雑感(241-77) (4組のizisです(241-77))
2016-02-22 17:08:17
今日2月22日は、猫の日なんですってね。知らんかったわ。
未だカレンダーには載っていないけど、バレンタインデーとかホワイトデーとかと同じような扱いに
なっちゃうのかしらん。それなら愛犬家が11月1日もなんとかせい、となるだろうし、カレンダーが
煩(うるさ)くなりますニャー。

閑話休題。
で、「団塊の世代雑感(241-75)」の続きです。

この至極尤もと思える意見書が考慮されたとはとても思えぬ玉虫色の決着となったのは以前に記した
通り。
 10月7日に早大総長は小保方女史に1年間の論文修正の猶予を与えた。
 早稲田大学は、
 “下記博士学位論文(大学院先進理工学研究科の小保方女史が2011年3月15日に授与された、「Isolation
  of pluripotent adult stem cells discovered from tissues derived from all three germ layers 三
 胚葉由来組織に共通した万能性体性幹細胞の探索」*)について、大学院先進理工学研究科における予備調
 査、2014年7月17日に総長に提出された「早稲田大学大学院先進理工学研究科における博士学位論文に関す
 る調査委員会」による調査報告書等に基づいて、慎重に協議を重ね、同年10月3日の早稲田大学研究科長会
 の議を経て、小保方晴子氏に授与された博士学位の取り消しを同年10月6日付けで決定した。ただし、先進
 理工学研究科における指導・審査過程に重大な不備・欠陥があったものと認められることから、一定の猶予
 期間を設け、論文訂正と再度の論文指導ならびに研究倫理教育を受ける機会を与え、これが適切に履行され、
 博士学位論文として相応しいものになったと判断された場合には、取り消すことなく学位を維持するものと
 した。なお、上記のことがらが定めた期間内に履行されない場合は、学位は取り消されるものとする。”
 と同大のHPで公表した。

要するに、STAP細胞の成り行きを見て、さじ加減しようとしたのですよね。
でも笹井氏の死がはずみ車のようになって、小保方女史は勢いよく坂を転がり落ちていくのですよね。そして
到頭、STAP細胞はES細胞であったと結論付けられるに至って、早大側としては最早何ら斟酌する必要は
無いと判断した。しかも執行猶予といった玉虫色の決着が早大側への囂々たる非難となっていましたからね。
だから、小保方女史が非難するように、初めから結論ありきの博士号剥奪となった。ま、どっちもどっちなん
だけどね。

以前にも書きましたが、学位の取り消しについては、 早稲田大学学位規則に「本大学において博士、修士また
は専門職学位を授与された者につき、不正の方法により学位の授与を受けた事実が判明しときは、総長は、当
該研究科運営委員会およびの研究科長会の議を経て、既に授与した学位を取り消し、学位記を返還させ、かつ、
その旨公表するものとする」 (第23条第1項)とある以上は、不正の事実が認められない限り取り消すことが
できないのですよね。しかも一旦は、調査報告書で不正とは見做されないとしたのですからね。
それを巧みにさじ加減が可能な執行猶予にすり替えた。
小保方女史も(不正の事実など証明できやしないと)高を括っていたのか、それとも(もうどっちでもいいや
と)腹を括っていたのか、手記『あの日』に方針転換。もう25万部を超えたといいますから、印税も3,500万円
余り。早大と一戦交える軍資金としては十分。使い物にならない博士号でも、どこで活躍の場を求めるのか未
だ分からないまでも、ブランドにはなるでしょうからね。
 ブランド好きの小保方女史だけど、ブランドには「汚名(の烙印)」と云う意味もあるのを知っているのか
 しらん。(ーー゛)

(続く)
返信する
団塊の世代雑感(241-78) (4組のizisです(241-78))
2016-02-28 23:30:52
STAP騒動は徒でさえ分かり難いのに、こうやって度々全く関係の無い内容を挟み込むから、しっちゃか
めっちゃかになっちゃうけど、旬のものゆえ平に御容赦ください。<(_ _)>

「第39回(2016年3月4日発表)日本アカデミー賞」

今年優秀賞にノミネートされたのは、

1.優秀作品賞
 ・海街diary
 ・海難1890
 ・日本のいちばん長い日
 ・母と暮せば
 ・百円の恋
 の5作品です。
 「深夜食堂」、「繕い裁つ人」といった佳い小品もありましたし、「ソロモンの偽証(前篇・後篇」
 といった中々の作品もありましたし、変わったところでは「脳内ポイズンベリー」、「龍三と七人の
 子分たち」、「岸辺の旅」、「劇場版MOZUと」いった作品もありましたが、年会費を支払った会員の
 方々にはお気に召さなかったようで選考から漏れました。
 5作品の中では、「日本のいちばん長い日」と「海難1890」しか見ていないので、どれが最優秀賞に
 なるのか、判断のしようが無いのですが、「日本のいちばん長い日」は、このリメークものよりもオ
 リジナルの白黒作品の方が出来が良かったように思います。「海難1890」は、1890年の海難事件だけ
 に絞れば好かったのに、後日譚を付け加えたのが台無しにしてしまいましたね。
 で、何となく「海街diary」が選ばれるような気がします。(「母と暮せば」は「父と暮せば」の焼き
 直しのようですし、「百円の恋」はミニシアター系ですし、消去法でそのように思うのです。)

2.優秀監督賞
 ・大根仁(バクマン)
 ・是枝裕和(海街diary)
 ・武正晴(百円の恋)
 ・田中光敏(海難1890)
 ・原田眞人(日本のいちばん長い日)
 例年の傾向から云うと、最優秀作品賞の監督が選ばれているので、是枝裕和でしょうか。

3.優秀主演男優賞
 ・内野聖陽(海難1890)
 ・大泉洋(駆込み女と駆出し男)
 ・佐藤浩市(起終点駅ターミナル)
 ・二宮和也(母と暮せば)
 ・役所広司(日本のいちばん長い日)
 役所広司は、昭和天皇役の本木雅弘に食われていましたね。内野聖陽も前半(1890年のとき)だけの
 出番でしたし、佐藤浩市か大泉洋かのいずれかだと思うのですが、「駆込み女と駆出し男」は観てい
 るので、彼結構頑張っていたので大泉洋にあげたいですね。

4.優秀主演女優賞
 ・綾瀬はるか(海街diary)
 ・有村架純(ビリギャル)
 ・安藤サクラ(百円の恋)
 ・樹木希林(あん)
 ・吉永小百合(母と暮せば)
 どれも観ていないけど、1と2の関係から綾瀬はるかだと思います。

5.優秀助演男優賞
 ・浅野忠信(母と暮せば)
 ・新井浩文(百円の恋)
 ・伊藤淳史(ビリギャル)
 ・染谷将太(バクマン)
 ・本木雅弘(天空の蜂、日本のいちばん長い日)
 これは間違いなく本木雅弘でしょうね。

6.優秀助演女優賞
 ・夏帆(海街diary)
 ・黒木華(母と暮せば)
 ・長澤まさみ(海街diary)
 ・満島ひかり(駆込み女と駆出し男)
 ・吉田羊(ビリギャル)
 実は、ここが一番悩ましいのですよね。さっぱり予想が付かない。
 で、獲って欲しいひとにして、吉田羊。

7.新人俳優賞
 ・有村架純(ビリギャル)
 ・土屋太鳳(orange・オレンジ)
 ・広瀬すず(海街diary)
 ・藤野涼子(ソロモンの偽証 前篇・事件/後篇・裁判)
 ・篠原篤(恋人たち)
 ・野田洋次郎(トイレのピエタ)
 ・山崎賢人(orange・オレンジ)
 ・山田涼介(暗殺教室)
 これは難しい。だって知らないひとばかりなんだもの。で、唯一知っている藤野涼子に一票。

ほかにも裏方さんたちの賞がありますが、割愛します。

3月4日(金)夜9時からの日テレで、僕の予想が当たるか、ずっこけるか、すべて分かります。
返信する
団塊の世代雑感(241-79) (4組のizisです(241-79))
2016-03-05 00:15:55
「日本アカデミー賞・星取り表」

世界卓球女子準決勝を夢中になって見ていて、日本アカデミー賞に切り替えるのが遅れて
しまい、最優秀助演女優賞は見逃してしまいました。
でもネットでどうなったか調べて、僕の予想の星取り表は次のようになりました。
1.最優秀作品賞「海街diary」☆
2.最優秀監督賞 是枝裕和(海街diary)☆
3.最優秀主演男優賞 二宮和也(母と暮せば)★
4.最優秀主演女優賞 安藤サクラ(百円の恋)★
5.最優秀助演男優賞 本木雅弘(日本のいちばん長い日)☆
6.最優秀助演女優賞 黒木華(母と暮せば)★
7.新人俳優賞 これ最優秀賞が無いのですね。知らんかった。

ということで、3勝3敗の五分。要するに当たるも八卦、当たらぬも八卦。^^;

裏方さんたちの賞では、
8.最優秀脚本賞「百円の恋」足立紳
9.最優秀撮影賞「海街diary」瀧本幹也
10.最優秀証明賞「海街diary」藤井稔恭
11.最優秀音楽賞「バクマン」サカナクション
12.最優秀美術賞「海難1890」花谷秀文
13.最優秀録音賞「海難1890」松陰信彦
13.最優秀編集賞「バクマン」大関泰幸

つまり、
「海街diary」 4点
「母と暮せば」2点
「百円の恋」 2点
「海難1890」 2点
「バクマン」 2点
「日本のいちばん長い日」1点
と、今回は珍しくバラけたのですよね。予想屋泣かせのレースだったわけです。^^;

おまけ。
来年度の候補落ちが決まったも同然だと思えるのが今上映中の「女が眠る時」。
時間とお金を無駄遣いしたくない人は敬遠した方がよいですよ。ただし、不眠症のひと
にはお薦めです。女性だけでなく男性でもぐっすり眠ることができます。^^;
返信する
団塊の世代雑感(241-80) (4組のizisです(241-80))
2016-03-12 20:50:21
「片岡愛之助の歴史捜査 坂本龍馬の最後の夢!」

と題する番組が一昨夜(3月10日、21:00~22:00)BS日テレで放送されました。
余り期待していなかったのですが、案の定でしたね。歴史捜査じゃなく歴史操作。龍馬研究の専門家と称する
ひとたちが、したり顔で講釈を垂れる。まさに講釈師見てきたような嘘を言うのだから厭になちゃう。(ーー゛)

ご覧ならなかった方のために、粗々ですがその内容は次のようなものです。

いろは丸事件(「団塊の世代雑感(86-1~13)」参照)で実際の積荷を偽って多額の賠償金を紀州藩から
せしめた龍馬ですが、どうしてそのようなことをしたのかを追ってみるという構成になっています。

まず登場した講釈師は、鈴木邦裕なる人物。このひと、「海事補佐人、神戸大学客員教授。海難審判における弁
護人の役割、潜水艦なだしお衝突事件などを担当」と紹介されていましたが、もう少し補足すると以下のような
経歴のひとです。
 2010年時点でのものですが、1937年愛媛県生まれで松山市在住。1957年弓削商船高等学校(専攻科)航海科卒
 業。外国航路航海士、船長を経て、1970年から海事補佐人。潜水艦なだしお遊漁船第一富士丸衝突事件では
 富士丸側の補佐人を務めた。弓削商船高等専門学校、神戸商船大学非常勤講師を歴任。現、海事補佐人、一
 般社団法人船舶安全機構理事、船舶安全サービス株式会社取締役副社長。現在の肩書は、海事補佐人、神戸
 大学客員教授だけなのかも。

このひと、『いろは丸事件と竜馬 史実と伝説のはざま』(2010/12、海文堂出版)と云う著書をものにしてい
るのですが、慶応3年4月23日(夜11時)当時の海難事故を現在の判断基準で裁こうとしているのと、龍馬のこ
とは全くの研究不足とアラが目立ちます。
 唯一功績と思えるのは、「伊呂波丸売買契約書」を発見したこと。6年前と云いますから、上記著作がこの発
 見を切っ掛けに書かれたことは確かなようです。
 その売買契約書には、値段が4万メキシコ・パタカ(ドル)とあって、当時の1万両程度と能書きを垂れてい
 ました。
 でもね、原名をサーラというこの船は英国で1862年(文久2年)に造船された当時最新式の蒸気内車(石炭を
 燃料として蒸気機関で進む)のスクリュー帆船だったわけで、いくら薩摩藩が使用した(文久3年購入。安行
 丸と名付けて運航。慶応元年11月にオランダ商人ボードインの所有となる)中古品としても安過ぎる。
 ちなみに海軍省発行の「海軍歴史」では、薩摩藩は7万5千ドルで購入。そして伊予大洲藩が慶応2年6月に購
 入したときには7万ドル。邦貨で4万2千5百両であったと「大洲藩史料」にありますが、これはボードインか
 ら割賦(5回払い)で購入したため利子が付き、総額で4万6千6百メキシコ・ドル、邦貨にして3万6千両余
 り。それにその利子(10ヶ月分)510両余りと初回の支払い5千2百5十両を加えてやると4万2千両ほどになる
 ので、そのような記載になっているのでしょう。いずれにせよ、1万両程度では無かったのです。(ー_ー)!!
 それと、龍馬が一航海15日で500両の賃貸契約とした背景には、この利子を何とか肩代わりしようとしたの
 だと思うのですよね。何故なら、龍馬や薩摩藩の五代才助の勧めでいろは丸を購入したものの、利子の支払
 いの目処が立たずに大洲藩の購入責任者であった国島六左衛門が責任をとって割腹して果てたからです(慶
 応2年12月24日夜。享年38)。龍馬はこのことに随分と気を病んだようですから。

このひと、売買契約書に龍馬の名が無いにも係わらず、そこには「いろは丸」に船名を変更すると書かれてあ
ったものだから、巷間伝わるように龍馬が名付けたと云うのは誤りであると断言。
でもね、上述したように購入に龍馬が深く関わっているのは事実で、そのように名付けるよう進言したかも知
れないのですよね。だっていかにも龍馬らしい命名じゃないですか。決して厳めしいものでは無く、小難しい
ものでも無いのですからね。

そして決定的に×なのが、このひとの専門分野での判断。
いろは丸には衝突を避けるための舷灯(マストの上に白色灯、右舷に青色灯、左舷に赤色灯)が無かったと、
これまた見てきたように断言する。
でもね、蒸気船には必須の設備なんですよね。このひと、紀州藩との長崎における本格的談判のときに左右の
舷灯が無いと紀州側が責め立てたことを根拠にしているのですよね。衝突したときに紀州側がいろは丸へやっ
てきて、そこにいた水夫らしき者に尋ねたときにそいつ(紀州側はその名も記録しておかなかった)が舷灯は
無いと答えたということをね。紀州藩士が自ら目視確認したわけではないのですよ。水夫もいろいろですから
ね、蒸気船に初めて搭乗した者なら舷灯が何であるかも分からないわけですし、水夫でなかったかも知れない
し(長崎の貿易商小曾根英四郎も会計係として乗り組んでいたわけですから、その配下のものもいた筈)。
しつこいようですが、蒸気船(しかも英国製)なら舷灯が付いていないことなんて有り得ないのです。こんな
初歩的な事も無視している。
それから、いろは丸は紀州藩の明光丸を右前方、しかも右舷の青色灯を認めたので、明光丸が左に舵を切った
と認めて、それでそのまま進んでいったところ、明光丸が舵を右に切ってきた(右に曲がってきた)ので、そ
れを避けようとして舵を左に切った(左に曲がった)が、横腹にぶっつけられたと土佐側が主張したことにつ
いては、当時は現在とは違って右側通行(互いに右側に舵を切って衝突を避ける)といったルールが無かった
と云った舌の根も乾かぬうちに、小さい方がフットワークが良いのだから、いろは丸の方がよけるのが当然、
なんてそんなルールもへったくれも無かった当時を現在のルールで裁こうとする粗忽さ。
こんなわけの分からない理由で、100%いろは丸側に過失があるとやっちゃう。それなのにあれこれ龍馬が遣り
込めて法外な賠償金をせしめたのはけしからんとやっちゃう。このひと、龍馬が嫌いなのかもね。

(続く)
返信する
団塊の世代雑感(241-81) (4組のizisです(241-81))
2016-03-12 20:59:14
ま、法外な賠償金を吹っかけたのはそうなんですけどね。
何せ、8万3千526両198文(現在のお金で、約42億円。ただし、1両を5万円で換算しての話です。もっと高いよ
うに思うのですが)ですからね。
 船代が3万5千630両、積荷等代価が4万7千896両198文。半端まで出しているところがもっともらしい数字に
 していますね。

ま、積荷の中にフランス製の最新式ミニエー銃が400挺もあったということが賠償金を釣り上げているのです
が。でも本当はそんなものは積んでいなかった。これまで4度の発掘調査でも見つかっていませんから。
 興味深いのは、幕末の古伊万里や英国製のドアノブ(その裏側接合部に英語の表記がある)に交じって見
 つかった革靴の底。龍馬の例のブーツのそれかも。キャビンで靴を脱いでくつろいでいたときに衝突した
 ので、そこにそのまま置かれてあったものかも。なら、このとき以後はブーツは履いていないかもね。第
 一乗る船が無くなっちゃったのですから、ブーツで極める必要も無くなった。

番組では、明光丸側からいろは丸乗組員の成瀬にどのようなものを積んでいたのか聞いたところ、「米と砂糖
でそれほど多くない」と答えたなんて後で顔が赤くなるようなことを云ってしまいましたが、成瀬、正確には
成瀬国助と云うのですが、彼は紀州側の医官です。(ーー゛)
実際に答えたのは海援隊士でいろは丸の船長であった小谷耕蔵。まだ龍馬も悪だくみを考える前だったし、全
員が明光丸に乗り移って難を逃れてホッとした直後だっただけに、つい本当のことを云ってしまったのです。
そして鞆の浦に上陸して談判の初日(4月24日)のこと。龍馬は「兵器等を日限までに運搬するところであっ
た」なんて云ってしまったものだから、夕方に再度の談判をしようと紀州側が龍馬の宿所へやってきたときに
は仮病を使って、さてどうしたものかと思案頻りだったのですよね。で、翌日の談判で「〆て金1万450両余
り」と書いたものをちらっとみせたのですが、1挺当り25両ほどで計算したのでしょうね。(後でもっとふっ
かけることになるのですが。)

実際は、積荷から考えて、蝦夷地に向かっていたのだと思うのですよね。かの地の調査は、かねてからの龍馬
の宿願を叶えるためには必須の案件でしたからね。だから生活出需品しか積んでいなかった。
 慶応3年3月6日付の龍馬から長州(萩藩)の印藤肇に宛てた手紙(通常の手紙にすると分かり難いので箇条
 書きにしましたが許してくださいとの断り書きを最初にして、10箇条に分けて記した長文の手紙)の第四段
 (第4条)に以下の記述があります。
 「小弟ハエゾに渡らんとせし頃より、新国を開き候ハ積年の思ひ一世の思ひ出二候間、何卒一人でなりとも
 やり付申べくと存居申候。其中助太夫事、別二小弟の志を憐ミ、且積年の思ひも在ㇾ之、不ㇾ屈して竊ニ志
 を振ひ居申候。大洲蒸気船ハ三月十五日より四月朔迄の間二借入の定約ハ相定め置たり。故、近日其期限も
 来るべし。」
 (小生は、蝦夷に渡ろうとした頃から、そこで新たな国を開拓することが積年の思いであり、一生涯の中の
 一大事と考えておりますので、一人であっても何とかしてやり遂げようと思っております。とりわけて伊藤
 助太夫は小生のその志を賞美してくれていますし、それに私の積年の思いもあるので、屈することなく密か
 に志を奮い起こしている次第です。そのための大洲藩の蒸気船いろは丸を3月15日から4月1日までの間借り
 入れる契約を定めておきました。ですから、近日中にその時期が遣って来ます。)
 実際にいろは丸が長崎を出港したのは4月19日のことですから、後れを来すような何かがあったのでしょう。

(続く)
返信する
団塊の世代雑感(241-82) (4組のizisです(241-82))
2016-03-12 21:05:29
で、次の講釈師は、霊山歴史館副館長の木村幸比古氏。彼もよくTVに龍馬研究の第一人者として顔を出しま
すが、いつも大したことを云わない、というより云えない。今回も然り。著書に『龍馬暗殺の謎 諸説を徹底
検証』(2007/3/16、PHP研究所)があるようですが、その目次からは虚実ない交ぜに言い古された内容を羅列
してあるだけのように見受けられる。龍馬研究者は、これまでに先人たちが書き残したことから大きく逸脱で
きない宿命を負っているのですよね。そうしていないと異端者として扱われる。無難な事を云って重宝がられ
る。学者というよりタレントなのですよね。

だから、龍馬が長崎における談判で万国公法を持ち出したことに対して、龍馬は殆ど読んでもいないのに、虚
仮脅しでしかなかったなんて決めつけてしまう。
でもね、龍馬から秋山という者に宛てた以下の慶応3年5月11日付の手紙を何と見るのでしょうか。
「唯お送り頂いた万国公法、有り難く思っています。そして活板(活版)の字が足りないのであれば、その不
足の字はお手持ち金で頼んだのですか、または伏水(伏見)でご相談して、以前に頼んだ版木師に御申しつけ
くださいますよう、頼み奉ります。」(意訳)
 秋山先生宛てとなっていて、現在でもこれが誰なのか判明していないのですが、僕が思うに、海援隊士新宮
 馬之助の変名だと。彼は京都に精通していますし、伏見の寺田屋も顔見知りの仲です。それに彼は河田小龍
 のもとで絵と学問を学んでいます。絵の腕前は大したものであったと云いますから、その関係で版木師とも
 知り合うことになったのだと思うのです。
 万国公法は、すべての規範を国際社会に置き、国家それぞれの関係を詳細に規定したもので、慶応元年に米
 国人宣教師ウィリアム・マーチンがヘンリー・ホイートンの著書を漢訳し、『万国公法』の名で出版してい
 ますので、中国から渡って来ていて、既に龍馬をはじめとする(世界に目を向けている)知識人の間には出
 回っていたのでしょう。
 
金が無けりゃ寺田屋に頼んで、何としてでも何冊も摺って、それを配って世論を味方に付けて、紀州藩との談
判に勝利しようと考えているのですよね、龍馬は。この手紙の日付から、龍馬は長崎へ向かう船上にあった
(5月8日下関発、13日長崎着)ので、その航海中にそのことを思いついたのでしょう。なら、龍馬はその内容
を知っていたことになります。脱字があるものを所有していることも知っていたのですから、一通り目を通し
もしている筈です。

こうしてだまし取ったとされても仕方ない大金を龍馬は何に使おうとしていたのかについても、才谷屋の(分
家筋にあたるので)DNAがそうさせたなんていい加減なことを云っていますが、長崎の地で後藤象二郎や岩
崎弥太郎と相談して沈めてしまったワイルウェフ号の代金返済や、これから必要な船「大極丸」の代金などに
充てるつもりだったのですよね。(「団塊の世代雑感(81-1~7)」参照)
そういった分析にまで至らない。多額の賠償請求は計画的であったとして、蝦夷地開拓の費用に充てるつもり
だったのだろうと、通り一遍のことしか云わない。細かな数字の裏に潜む龍馬の計算、その意外なまでの律儀
さまでを読み取ろうとしない。

(続く)
返信する
団塊の世代雑感(241-83) (4組のizisです(241-83))
2016-03-12 21:13:53
さて最後にお出ましの講釈師は、鹿児島県立図書館館長の原口泉氏。著書に『坂本龍馬と北海道 大政奉還後
の知られざる国家構想』(2010/11/16、PHP新書)がある。目次をざっと見てみると面白そうなのですが、こ
の番組で原口氏の話を聞いて、購買意欲が瞬時に失せた。
それはどうしてかと云うと、このひとの視座は常に薩摩中心なのです。
龍馬の夢は北海道(蝦夷地)の開発・開拓にあった、彼の地は誰にものでもないグレーゾーンの状態にあっ
た、までは良しとしても、その発想を得たのが、お龍を伴って(本邦初の新婚旅行として)訪れた薩摩の地
であったと云うのは頂けませんね。薩摩には3ヶ月に及ぶ滞在をしているのですが、お龍と巡った温泉地や
霧島を除いた2ヶ月は鹿児島の城下町にいて、そこで気付いたと云うのですよね。その根拠は、『蝦夷語箋』
(嘉永7年(1854)、上原熊次郎著)と云うアイヌ語の字引にあると云うのです。
 上原熊次郎は松前の生まれとされていますし、文化4年(1807)に蝦夷地が幕府の直轄領となると、松前
 奉行所で働くようになっているので、薩摩藩とは関係がありません。

そして、お龍の『千里駒後日譚』(川田雪山聞書)の以下の記事(明治32年11月3日、土陽新聞第一回掲載)
を引いています。
「(前略)北海道ですか、アレはずつと前から海援隊で開拓すると云って居りました。私も行く積りで、北
海道の言葉を一々手帳へ書き付けて毎日稽古して居りました。」
これをもって薩摩滞在中にと云うのは牽強付会もいいとこ。だって、上記聞書の続きを見ればその時期が違
うことは分かる筈ですからね。

その続きと云うのは以下のもの。
「或日望月さん(望月亀弥太、「団塊の世代雑感(65-4~10)」参照*)らが白の陣幕を造つて来ま
したから、戦争も無いに幕を造つて何うすると聞けば、北海道は義経を尊むから此幕へ笹龍桐の紋を染めぬ
ひて持つて行くと云つて居りました。此時分面白い話があるのです。北海道へ行く固めの盃にと一晩酒を呑
みましたが、誰れが言出したか一ツ祇園を素見(ひやか)さうと、大利さん(新宮馬之助*)は殿様に化け
て籠にのり、白峰さん(白峰駿馬*)がお小姓役、龍馬は八卦見、ソレから私が御腰元で、祇園の茶屋へ押
し掛け、コレは殿様だから大事にして下さいと云ふと、女中も三助もお内儀さんも皆んな出て来てヘイヘイ
とお辞儀をする。阪本は八卦見だから手を出せ筋を見てやると云ふと、私にも私にもと皆手の掌を出すのを
何だとか彼だとかあてすつぽふに云って居りましたが、能く当る当ると喜んで居りました。帰りになると一
処にまごまごして居つて、会津や桑名の奴等に見付かるとイケないから、君は此の道を行け僕はあつちへ行
くと皆な散り散りになつて思い思いに帰りました。(後略)」

望月亀弥太は、元治元年(1864)6月5日の池田屋事変で亡くなっていますから、その直前の大仏に「水口加
藤下陣」に隠れ住んでいたときのことをお龍は語っているのです。つまり、龍馬とお龍の鹿児島行の慶応2年
(1866)よりも前から龍馬らは北海道開拓の志を持っていたということです。
さらに付言すれば、龍馬が土佐で河田小龍と会った安政元年(1854)11月、この会合から得たヒント(私設
艦隊とその運営のための貿易)をもとに目を向けた先が蝦夷地であったのです。
蝦夷地にはたえずロシアの触手が伸びていて、樺太の松前藩の番所襲撃事件(フヴォストフ事件、1806年9
月)や択捉島に駐留していた幕府軍を攻撃した事件(文化露寇、1807年5月)、さらに国後島でゴローニン
が幕吏に捉えられたことの報復として高田屋嘉兵衛がロシアに連れ去られた事件(ゴロ―ニン事件、1811年
~12年)などきな臭い事件が起きていました。北の防人としての役割を龍馬は果そうとしたのです。と同時
に龍馬は彼の地で大統領制に近い共和制の国造りを試そうともしていました。
 龍馬が暗殺される直前に幕府若年寄の永井尚志と何度か会っていますが、北海道での共和制のことを話し
 たことは確かです。なぜなら榎本武楊率いる旧幕府の軍艦で永井ら旧幕臣を函館の地に運び、そこで共和
 制まがいのことを行ったからです。
そういった構想までを二度目の出府時の安政5年(1858)に、松平春嶽に最初に謁見した際に、披露したの
だと思います(「団塊の世代雑感(241-50)」参照)。
この構想に春嶽が乗って、以降は龍馬を応援するようになるのですが、まずは勝海舟への橋渡しをして龍馬
の志を遂げさせようとしたのです。(「団塊の世代雑感(55-1~8)」参照。)

だからこの原口氏、薩長と幕府との衝突による人命損失を回避するために浪人などを北海道開拓に使うこと
を龍馬が考えたなんてことを臆面もなく語ってしまうのですが、上述したように時期はもっと前の発想です
から、そしてそれは文久3年(1863)に清河八郎によって上洛した浪士組(浪士の活用)よりも前のことで、
当時の龍馬の構想には有志でそれを行うことを考えていた節がありますので、原口氏の指摘は後付の理屈で
しか無いのです。

お国自慢の原口氏には耳の痛いことですが、龍馬暗殺の背景には、この蝦夷地での共和制の国造りがあった
のですよ。
天皇制を錦の御旗にして、天皇の権威を笠に着て専制政治を企てようとした勢力にとっては目の上のたんこ
ぶですからね。幕府に肩入れしていた孝明天皇を取り除いて、操りやすい明治天皇を押し立てて、自らの延
命を図ると共に、権力を奮う。そのような輩にとって龍馬は危険分子以外の何ものでも無かった。
 龍馬は天皇を祭神としての象徴的存在として、そのために大統領制では無く英国の議会制民主主義を範と
 するようになるのですが、国民主権といった共和制の考え方に変化はありませんでした。

龍馬(その政治的同志も含みますが、龍馬という原動力を失った彼らが殆ど何もできなかったことを考える
とやはり龍馬あってのことだと思います)が存命していれば明治政府は、岩倉具視の死を待つことなく、憲
法制定が可能であった筈ですし、政党制議会による国会開催もできていたでしょう。そして統帥権などとい
う化け物を生じさせて、日本を滅亡させるようなことにはならなかったことでしょう。つまらぬ歴史の操作
をした!!(`´)
返信する